ふわふわオムライス
休日、エレインは店に飾る絵のラフをカズヤに見せるために急いでいた。自身の絵を飾られたことは何度かあったが、こうして依頼されたのは初めてだ。描きたいものが溢れてひたすらスケッチブックに描いていたら、見回りをしていた執事に叱られてしまったのは内緒の話だ。カズヤにバレたらきっと頬を引っ張られていただろう。目が覚めてスケッチブックを開けば想像する世界がそこにあった。嬉しくなったエレインは机に並べたままの画材を一通り鞄に入れ、部屋を飛び出した。
(それにしても驚いたなぁ)
人混みを縫うように進みながら先日の会話を思い出す。
「それで、どういう絵を飾りたいとかあるの?」
「……い」
「え? なに?」
「……特に、ない」
「……んん?」
特にないとはどういうことか。エレインは眉をしかめているとカズヤは懺悔するかのように叫んだ。
「特にないんだ! というか浮かばないが正しい! 正直内装はシンプルにしよ〜って思って椅子とか机はシンプルなものにしたけど、予想以上にシンプルすぎて殺風景になっちゃったんだよ!」
殺風景にも程があるレベルではある。ただ椅子と机を適当に並べただけの店内だ。なんというか、こだわりがない。照明エレインはぶら下がっている照明を見上げる。小さくて周りを照らしづらい照明だ。これで喫茶店をするとなるともう少し工夫が必要な気がする。頭を抱えているカズヤに視線を向け、エレインは言った。
「……お兄さんもしかして、芸術に疎いタイプ?」
「ぐはっ」
致命傷を負ったカズヤがその場に崩れ落ちた。
「子どもの純粋な一言が刺さる……」
さめざめと泣く大人の姿にエレインは苦笑した。思っていた以上に大人というものは脆いのかもしれない。専門分野ではないことに疎いのは当たり前なのだが、趣味とはいえ芸術の世界に足を踏み入れているエレインはそういう人間がいないという想像ができなかった。なんせ自分の周りには造詣が深い人達しかいなかったので。
「お兄さん。僕は絵を描いてくるけど、先に照明どうにかした方がいいんじゃないかな」
「……善処します」
拗ねた様子でそう返したカズヤの姿は新鮮で面白かった。大人というものは常に自分を律しているものだと思っていたから。こうして感情を素直に表す彼は、エレインから見ればイレギュラーな存在だった。だが自分の意見を真っ直ぐに受け止めてくれるカズヤの存在は、上手く自分を出せないエレインにとって居心地がいい。
考え事に集中していたせいか、エレインは人とぶつかってしまう。その衝撃で画材が地面に転がり、慌てて拾い上げる。
「ごめんなさい!だいじょ……」
ぶつかった人に怪我がないか確認するために顔を上げると、エレインの目は大きく開いた。ぶつかったのは一人の女性で、彼女は大粒の涙を流していたのだ。彼女は涙を拭いながら転がった画材を拾い集める。
「こちらこそごめんね。君の方こそ怪我はない?」
「大丈夫です。あの、どうして泣いているのですか?」
「ああ、これ? 気にしないで。ちょっと色々あってね」
はいこれ、と画材をこちらに手渡し微笑む彼女をなぜか放っておけなくて、エレインは画材を受け取り静かに言った。
「あの、良ければ少し休んでいきませんか?」
「……と、言うことでうちに来たと」
「そうだね」
「すみません。お手を煩わせてしまって」
「いーのいーの! 君が気にすることないよ」
エレインを出迎えたカズヤはそばにいる女性を見て驚いた顔をした。明らかに泣いたであろうと思われる人が近くにいたらてっきり泣かしたのかと勘違いしてしまう。困惑したカズヤにエレインは慌てながら誤解を解くように話、女性も彼の名誉を守るために話をした。女性の名前はイリーナ。ここに来る前に父親と大喧嘩してきたらしい。
「それにしてもなんというか、昔ながらの父親って感じだね」
「そうなんです! 私は教師になりたいのに父ったら結婚しろだお針子の仕事をしろだなんて言ってきて! 私は自分で選んだ仕事に就きたいのに許してくれないのが腹立つんです!」
怒りながら話すイリーナをエレインとカズヤは水を飲みながら聞いていた。
「仕事って自分で選べないの?」
「人によるんじゃないかな。例えば俺とかは好きに選べるけど、彼女はあらかじめ決められた仕事がある……とか」
「だとしたら不公平じゃない? 学校でも習ったよ。今は職業選択が自由にできる時代だって」
「じゃあ聞くけど、女性の騎士がいたらどう思う?」
「え? かっこいいと思うよ。騎士になるために頑張ったんだなって」
「これが現代っ子の感覚かぁ……」
しみじみと呟くカズヤに首を傾げる。なぜそんな感慨深い様子で言うのかエレインには理解できなかった。
「いいか? 今自由に仕事を選べてもイリーナみたいに選択肢を狭められている人はいるんだ」
「どうして?」
「こればかりはその人の考え方の違いかな……。例えばある日突然絵を描くのをやめて勉強しなさいって言われたらエレインはどう思う?」
「画材抱えて一生部屋にひきこもる」
「おぉ……それはそれで凄いな」
「君は絵を描くのが好きなの?」
会話を聞いていたイリーナがエレインをじっと見つめる。こちらに質問が来るとは思っていなかったので目を瞬かせながらもエレインは頷いた。すごーいと声を上げながらイリーナ拍手をする。少しこそばゆく感じて、頬をかいてごまかした。でも、と彼女が小さな声で言う。
「羨ましいね。そうやって好きなことができる環境があるってことが」
「イリーナ」
「ごめんね。八つ当たりなのは分かってるの。でもさ不公平だって思わない?」
カズヤの窘める声を聞いて悲しそうに笑う彼女にエレインはなんて声をかければいいのか分からなかった。彼女の言う通り、自分は確かに絵が描ける環境にいる。イリーナもきっと好きなことができる環境にいたら教師になるため勉強をしていたことだろう。
「私が男に産まれてたらまた違ったのかな。男だったら三男の立場になるし、教師になることを父も許したかもしれないね」
二人は顔を見合わせる。性別を変えるなんて無謀なことだ。彼女の努力を実際に見ていないのでわからないが、かなりの苦労をしてきたのだなと言うことだけは、その一言で伝わった。
「……でも」
エレインはイリーナの目を見つめ、言う。
「家族と言い合いができるのは、僕からしたら羨ましい、かな」
彼女の息を呑む音が聞こえた。エレインは困ったように笑うと話を続ける。十二歳の子どもがするにはあまりにも悲しげな笑顔だった。
「僕はお父様やお母様とちゃんと話をすることができないから、お姉さんみたいに自分の意見を言える人はすごいと思う」
「エレイン……」
「僕、お父様とお母様に意見を言うなんてできないから」
「……ごめんね。君にも苦労や悲しいことはあるのに、私ったら自分のことばかりで」
「ううん、お姉さんは悪くないよ。ただ僕からしたら羨ましいなって」
「私と君の環境を足して二で割った方がいい気がする」
「あはっ、それは僕も同意かも。そういえばお姉さん」
「なぁに?」
「どうして教師になりたいって思ったの?」
「ふふ、それはね」
イリーナはグラスに入っていた水を一気に飲み干す。トン、とグラスがカウンターを軽く叩く音が響いた後、彼女は口を開いた。
「弟がいるんだけどその子があまり勉強したがらない子でね。どうやったら楽しく勉強できるか考えながら試行錯誤してたらそれが楽しくなっちゃって」
「教えることが楽しいってこと?」
「そう。それに教える行為は自分の中でどれだけ知識が入っているかの確認にもなるの。そこから改善策を練って、また教える。私の教え方が伝わった時の快感が堪らなくて! 分かった! って言われた時の弟の目の輝きが今でも忘れられないの」
「お姉さんはすごいね」
「どうして?」
「自分のやりたいことが分かってることがすごいよ」
「そうかな?」
「そうだよ。お兄さんが言ってた。お願いみたいな人を自分を持っている人って言うんだって」
「自分を持っている人、ねえ……」
イリーナはそう呟くと、空いたグラスを見つめ黙り込む。エレインはその様子を静かに見守っていたが、ふと気づく。カズヤがいないと。彼は多分奥の厨房にいるのだろうと思ったが、なかなか出てこないのはなぜだろうか。首を傾げているとふわりと美味しそうな匂いが二人の鼻腔をくすぐる。いい匂いだと思っていると安心したのか二人のお腹が大きく鳴った。二人だけの空間に響くレベルで思わず顔を見合わせ笑ってしまう。互いにケラケラ笑っていると奥からカズヤが出てきた。
「ずいぶん大きな音だったな」
「言わないでよ。恥ずかしいから」
「それ私たち以外で言ったらダメよ? 人によってはシバかれるから」
「そりゃ気をつけないと」
「今日の料理はなんなのお兄さん?」
「今日はオムライスだ!」
「オムライス?」
「オムレツじゃなくて?」
「そのオムレツにご飯を入れたのがこのオムライス。うちの看板メニューにしたいと思ってるから味見してみてくれ」
「ご飯を入れる? この中にご飯が入ってるの?」
すごい料理がでてきた。エレインは目を輝かせながらスプーンを手に取る。「いただきます」とカズヤに教わった挨拶を言った後、オムライスにスプーンを差し込む。ふわふわした卵の中から米が現れる。こうやってご飯を入れてるのか、観察しながらオムライスを一口サイズにし、口に運んだ。
「!!!」
バターのコクのある味と玉ねぎの甘みがふわふわ卵に合う。噛めば噛むほど食材の甘みが増し、エレインは食べる手が止まらない。玉ねぎだけかと思いきや、一口サイズの鶏肉が存在感を主張するかのようにやってくる。バターの風味に合わせて味付けされているのか、ほんのり香る塩コショウの風味がいいアクセントになってとても美味しい。エレインはオムライスを咀嚼しながらカズヤを見つめた。その目はらんらんと輝いている。
「美味しいか?」
必死に頷く彼を見て、イリーナもオムライスを一口サイズに整える。オムレツにご飯を入れるとは外道なのではないか。そう思いながら口に運べば衝撃が走った。美味しい! 食事をする時は基本パンをいただくので、ご飯がこんなに合うとは思っていなかったのだ。これは売れる。イリーナはそう確信した。今のうちに常連になって美味しいものを食べておいたら幸せかも、なんて打算的なことを考えるくらいには。
二人は無我夢中で食べ進める。まだ食べていたいけど、なくなって欲しくない。幸せな矛盾を抱えたまま食べるオムライスはあっという間になくなっていった。
「美味しかった……」
「ご飯って卵に合うのね。幸せ……」
「口にあったようでなにより」
「でもお兄さん。どうしてオムライスを出したの?」
「ん〜……」
皿を洗いながら彼は答えた。
「俺のいた国では米が主流でさ、オムレツも元々は賄い料理だったんだよ」
「賄い料理? これが?」
「そう、スプーン一つで食べられる料理ってね」
「でもその話と今出した意味が繋がらないけど」
「まあそう慌てるなって。この料理を食べたいって客が希望したから提供されるようになったんだ」
「ふぅん?」
「それで思ったんだよ。イリーナの教師になりたいって夢は仕事が自由に選べる時代になったとはいえ、性別で制限されることはあると思う。教師とは言えど女性でもなれる分野はあるんだろ? 例えば礼儀作法とか」
「うん。でもそれは貴族の女性だけよ。私は平民だからなれないけど」
「そう自嘲するなって。それで、だ。違う分野で女性教師の道を切り開こうとするイリーナにぴったりだなって思って出したのが……」
「このオムライスってことだね!」
「その通り!」
カウンター越しに頭をわしゃわしゃ撫でられ、エレインはきゃーと声を上げ笑う。兄弟みたいに見える二人をイリーナは優しく見つめた。撫で終えて満足したのかカズヤは手を離すと話を続ける。
「オムレツって料理を改造してできたのがこのオムライスなんだ。だから教師って分野をイリーナが改造しちゃえばいいんだよ」
「私にできると思う?」
「そう聞いてくる時点で俺の返事は決まってるよ」
「ふっ、あはは! そうね」
嬉しそうに笑うイリーナを見てエレインは鞄の中に入れたままの画材を引っ張り出す。先程まで落ち込んでいた彼女は吹っ切れた笑顔をしていた。これは描かねば、エレインは鉛筆を手に線を引く。
「父を説得するのには時間かかるかもしれないけど、私は私でできることをやるつもり。いい意味で吹っ切れたわ」
「そりゃよかった」
「ありがとうねマスター、美味しい料理を味見させてくれて」
「いーえ。本来ならお代をいただきたい……と言いたいところだけど今回は特別サービス。今後ともうちのお店をご贔屓に」
「もちろん。ところで……」
イリーナは眉を下げカズヤを見る。カズヤはきょとんとした顔でイリーナを見つめた。イリーナは何度か視線を彷徨わせ小さくため息をついたあと、申し訳なさそうに言う。
「『異世界喫茶』って名前は、ダサいから変えた方がいいと思う」
カウンター越しに大きな音がした。イリーナがごめんなさいー! と叫びながらカズヤの介抱をしに行く。
集中しているのか、あれだけ大きな音がしているというのにエレインは気にすることなく鉛筆を動かす。そして鉛筆を置き、スケッチブックに描かれた絵を見て満足そうに微笑んだ。
そこには快活に笑うイリーナの姿があった。
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