ようこそ!異世界喫茶へ!〜美味しい料理であなたに笑顔を!〜

飴宮

ココアとクッキー

  真ん中っ子というのは辛い立場だとエレインはいつも思っていた。年子の兄、六つ下の弟。そんな環境で両親の目がエレインに向くことは両手で数える程度だ。父はいつも兄に目をかけ、母は幼い弟ばかり可愛がる。両親二人の瞳にエレインが映ることはない。

  親に振り向いてもらおうと努力はした。学校のテストはいつも満点で、自身の得意とする絵画では大きなコンクールで大賞を取ったり、十二歳の子供ができることはやり尽くしていた。家に帰ったエレインが嬉しそう今日の出来事を報告をしても、両親は一瞥するだけで特に声を掛けることはない。「おめでとう」や「すごい」の一言ですら彼に贈られることはなかった。


(僕が生きている意味ってあるのかな……)


  兄弟達が褒められているのを見るたびに心苦しい。だって自分に贈られたことはないから。エレインはこぼれそうな涙を堪えながら部屋に引き返す。この家で唯一安心できる場所だと言ってもいいそこは兄弟二人に比べてひどく質素な部屋だった。メイドが掃除をしているとはいえ、部屋の至る所に画材や本が並べられており、ベッドはそこまで広くない。照明や机もかなり古く、子ども部屋とは思えない渋さだった。

  愛されていないわけではない。だが欲しいものでもない。


(お父様とお母様はきっと、僕のこと嫌いなんだろうな)


 エレインはベッドに身を投げ、ぼうっと天井を見つめる。涙が両目からこぼれるが、拭う気力は起きなかった。



 それはエレインにとって転機の訪れとも言うべきだったのかもしれない。


「なにここ?」


  学校帰りの馬車で街を見つめていたエレインは小さく呟く。風景画として街の絵をよく描いている彼にとっては街の変化を見つけることは造作もない。兄弟二人は彼の呟きを聞いていないのか、楽しそうにおしゃべりをしている。無視されることに慣れてしまった弊害か、エレインは無視したフリをして街の変化に目を向ける。看板には「異世界喫茶」と書かれていた。


(異世界喫茶? 変わった名前だなぁ)


  通り過ぎる看板を見送り、エレイン達は帰宅する。母親は駆け寄ってくる弟を嬉しそうに抱きしめ、父親は報告する兄の姿を真剣に見つめていた。いつもの事だ。疎外感を無理やり抑え込んだエレインは部屋に戻り、画材を手に街に繰り出した。


「ここだよね」


  異世界喫茶と書かれた看板を見上げエレインは言う。外観は至って普通のお店なのに、ヘンテコな名前が目につく、ちぐはぐな印象を受けるそこにエレインは惹かれていた。だってこんなの、モデルにピッタリじゃないか!


「今日はこのお店を描こう」


  エレインは近くの噴水に座り、画材を広げた。街の絵を描いて時間を潰すのはいつもの事だ。両親は兄弟達に夢中なのでエレイン一人がいなくなったとて気にしないだろう。

  今日は何で描こうか。持ってきた画材は鉛 筆と木炭、そして絵の具達。少し悩んだエレインは鉛筆を手に取り、スケッチブックに線を引く。鉛筆が紙の上を滑る音が耳に届く。周りの喧騒を無視してエレインは絵の世界に潜り込んだ。絵を描いている時は楽しい。自分だけの世界にいられるから。この時だけは両親も兄弟達も気にしなくていい。エレインにとって至福の時間だ。

  完成まであと少しと言う時、ふと頭上から声を掛けられる。


「それ、うちの店?」


  ハッとして顔を上げれば、一人の青年がスケッチブックを見ていた。もしかしたらこのお店のオーナーかもしれない。エレインは勝手にモデルにしたことに申し訳なさを覚えつつ頷いた。怒られる。目を瞑って怒声が来るのを待つ。しかし出てきたのは真逆の言葉だった。


「すっげー! うちの店そのままじゃん!」

「え……」

「これ君が描いたんでしょ!すごいな!なぁ、他にも描いてるの? もし良かったら見せてくんない?」

「は、はい。でもこれ完成してないので見られるのはちょっと……」

「このクオリティで完成してないの! 俺から見たら完成してるように見えるよ!?」


 青年のペースに巻き込まれながらエレインは混乱した。今まで自分の絵を褒めてくる大人はいなかったからだ。いや、実際はいるのだがこうも純粋に褒めてくる大人は初めてだった。いつも褒めてくる大人は絵の価値ばかり気にして作者のエレインを褒めたことはない。少し恥ずかしくなって、エレインはスケッチブックを隠すように身をかがめる。青年はエレインの隣に座り絵を見ようとした。


「あの」

「なに?」

「集中できないので……」

「ああ〜集中したいよなごめん」


  青年は店の中にいるから完成したら見せてと言うと中に入っていく。断ることができなかったエレインは呆然とした様子で彼の背中を見ることしかできなかった。


「失礼します……」


 完成した絵を携え、おずおずと扉を開ければカランカランと小さなベルが頭上で響く。青年は入ってきたエレインを見て嬉しそうにやってきた。


「まじ? 見せて見せて」

「これ」

「おおー! すっげー!」


 嬉しそうに絵を見る青年を、エレインは諦めた目で見つめる。結局この人も他の人と同じで絵の価値しか見ないのだろうな。手持ち無沙汰になったエレインは床をじっと見つめこの時間が終わるのを待つ。


「な、この絵描いてて楽しかった場所とかあんの?」

「え……?」

「俺絵は描けないから分かんないけどさ、描いてて楽しかったんだろうなってのが伝わるよ。ほらここ」


 そう言って青年は看板を指さす。そんなこと言われたことない。初めてのことばかりで鼓動が早くなる。


「えっと……変わった名前のお店だなって思ってたら楽しくて」

「やっぱり変な名前に見える?」

「あ、その……」

「だよなぁ〜。俺ネーミングセンスないからなぁ……」

「あ、でもインパクトはあると思います!」

「うっ……子どもの優しさが沁みる……」


 ショックを受けた青年は胸元を抑え苦しそうにしている。あわあわしながらなんて声をかけようか悩んでいたらエレインのお腹がぐぅ、と小さく鳴った。青年はエレインを見つめ、目を瞬かせると胸元を抑えていた手を伸ばし髪を撫でた。


「うわっ」

「なんだお腹すいてたのか。待ってな、何か持ってきてやるよ」

「え、でも僕お金もってないですよ!」

「気にすんな、絵を描いてくれたお礼だ」


 適当にどっか座ってな〜と手をひらひらさせる青年を追いかけるが彼は奥に入ってしまった。人様の店で勝手なことをするわけにはいかず、しぶしぶエレインはカウンター席に座る。椅子が少し高くて足が地面につかずぷらぷらしてしまうが、行儀が悪いと咎める人はいない。しばらくすると青年がクッキー片手に戻ってくる。


「ほい、先にこれ。飲み物は今から用意するから待ってろ」

「わぁ……! あ、でも本当に食べていいのですか?」

「子どもがそんなこと気にしなくていい」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 エレインは置かれたクッキーに手を伸ばし一口かじる。小麦とバター、砂糖の風味が口いっぱいに広がった。エレインはあまりの美味しさに目を輝かせ、クッキーを味わう。


「美味しいです!」

「そう言ってもらえて光栄だな」


 美味しそうにクッキーを頬張るエレインを青年は嬉しそうに見つめ、手鍋を手に取った。そこにココアパウダーと砂糖、少量のはちみつを入れ、弱火にかけながら牛乳を少しづつ加え混ぜていく。エレインは青年の動きをじっと観察しながらクッキーを食べ進めていく。


「こんなもんかな」

「あの、何を作ってるんですか?」

「これ? ココアだ。今の時期は寒いからあたたかいものが飲みたいよなぁ」

「ココア……」


 エレインはココアがあまり好きではない。というのも、家で飲むココアはエレインにとって甘すぎる。弟に合わせて作られているから甘いのは当たり前なのだがくどいと言うべきか、ココアを一杯飲むだけでお腹いっぱいになるのでエレインはあまり得意ではなかった。


「ココアは嫌いか?」

「いえ、その……家で飲むココアがすごく甘すぎてあまり得意じゃない、です」

「なーるほど? なら俺の腕の見せどころだな」


 青年はそう言うとニカッと笑い、胸を叩く。


「美味しいココアを淹れてやるよ」


 任せておけと青年は言うと、ペースト状になったココアの元を見て用意しておいた牛乳を加え、火の強さを少しだけ上げさらに混ぜていく。甘い香りが辺りに漂い、エレインはほぅと息を吐く。初めて入ったお店なのに、やけに安心する。なんでだろう、そう思っていると目の前にマグカップが置かれた。


「はい、ココア。熱いから気をつけて飲めよ」

「……ありがとうございます。いただきます」

 

 ふぅ、ふぅと小さく息を吹きかけ、エレインはココアを見つめる。飲めなかったら素直に謝ろう。そう思いココアを飲む。エレインは驚いた顔をして青年を見つめた。はちみつの柔らかい甘さが口内を通り抜けた後、カカオの苦味がひょっこりと顔を出す。甘すぎるココアしか知らないエレインにとって衝撃的な出来事だった。家で飲むココアとは違って飲みやすく、これなら毎日飲んでもいいと思うくらいにエレインの胃袋はこのココアに掴まれていた。


「どうだ?」

「家で飲むココアと全然違う!美味しい!」

「だろ〜? 俺の淹れるココアは世界一だからな」


 ふっふーんとドヤ顔で話す青年にエレインは目を輝かせる。


「お兄さんって魔法使いみたいだね!」

「俺からすれば君が魔法使いみたいだけどな」

「どうして?」


 首を傾げるエレインに青年は言う。


「だって俺からすれば絵を描くことってすごいことなんだわ」

「そうかな? 普通だと思うけど」

「君の中で普通になるレベルで絵が身近にあるってことだろ? それは君が絵を描くことが好きでできたことだからすごいことなわけ」


 エレインは青年を見つめた。彼もこちらを見返し、微笑む。青年の瞳には自身が映っている。


「好きを諦める人がいる中で、こうして描き続けてるのは才能だと俺は思うよ」


 君はすごいな、そう言われエレインは思わず俯く。両親から欲しかった言葉なのに、彼の言葉はまっすぐエレインの元に届いた。一つ、一つと涙がこぼれ、ズボンに落ちていく。


「俺なんか変なこと言ったかも! ごめんね!?」


 慌てた様子で青年が駆け寄るがエレインは顔を横に振る。誤解されたくない、涙を拭いながらエレインは必死に話す。


「僕、お父様とお母様に褒められたこと、なくて……テストで満点取っても、すごいねって言われたことないの……」


 息を飲む音がしたが、青年は黙っている。エレインは心の内に溜めていたものを吐き出すかのように言葉を紡いだ。


「いつも兄様と弟ばかり気にして僕のことなんか見てくれなくて! 絵を描いてコンクールで大賞を取っても褒めてくれない! 絵を褒める大人はいたけど、僕のこと褒めてくれる大人なんて一人もいなかった! でも兄様や弟がテストで満点取ったらお父様達はずっと二人を褒めてて……僕、いらない子なのかな? 僕死んだ方が良かったのかな? お兄さんみたいに僕のこと褒めてくれる人なんて周りにいなくてずっと悲しかった! 僕どうしたらいいの。どうしたらお父様もお母様も僕を見てくれるの?」


 もう限界だった。十二歳という少年が抱えるには大きすぎる孤独感。理解して欲しいわけではないのに涙が止まらない。わんわんと泣き出すエレインをじっと見つめる。涙をぼろぼろに流すその姿は見ているこちらが痛々しい。


「ココアだって弟に合わせて作ってるから甘すぎて僕は好きじゃない! 甘すぎるから嫌だって言ってもわがままを言うな、嫌いなら飲まなくていいって言われて、僕の話を聞いてくれない人なんていなくて! もう嫌だよぉ、家に帰りたくないよ……」


 青年は泣き続けるエレインの頭を優しく撫でる。


「辛かったな」

「……うん」

「お父さんとお母さんが自分を見てくれないのは悲しいよな」

「うん、すごく悲しい」

「ちゃんと悲しいって言えてえらいな」

「……」

「ここにいるのは俺だけだから、思いっきり泣きな」


 エレインは青年に抱きつくと、今までの気持ちを発散させるかのように大声を上げて泣いた。青年はエレインを抱き返し、頭を撫でる。両親に抱きしめてもらったことあったっけ、エレインは青年の温もりにまた悲しくなり涙を流す。

 エレインのくぐもった泣き声がしばらくその場に響いた。


「ありがとうございました。ココアとクッキー美味しかったです。今度お礼をさせてください」

「いーえ、絵を描いてくれたお礼だから気にすんな」


 泣いて気持ちがスッキリしたのか、頭を下げるエレインの顔は憑き物が落ちたように見える。青年はいつでも遊びに来なと微笑むとクッキーをいくつか袋に入れエレインに手渡す。

「僕の気が収まらないというか、さすがに甘えたままでいるのは……」

「子どもは大人に甘えるのが仕事だよ。顔色を伺う必要なんてない。それにお礼合戦は疲れるから俺で終わり。これ決定ね」

「だいぶ強引ですね」


 強引に事を進める青年にエレインは吹き出す。この人は今までいた大人たちとは違う。そう思わせる何かがあった。青年は腕を組んでしばらく考え込んだ後、閃いたと言わんばかりに手を叩く。


「そうだな……なら描いた絵をいくつかくれないか?

「えっ」

「俺の店殺風景でさ〜さっきも話したけど俺絵とか描けないから内装悩んでるんだよね」


 青年に言われエレインは店を見渡す。青年の言う通り机と椅子しかない店内はあまりにも殺風景だった。青年は名案と言わんばかりに頷きながら話を進める。


「だからさ、君の絵を何枚か飾らせてよ。自信作とかあったら見せて」

「……それでいいのですか?」

「もちろん。俺の店が華やかになるなら大歓迎。あ、あと無理に敬語使わなくていいよ」

「でも……お兄さんは大人だし……」

「気にすんな。てか俺敬語使われるのあんまり好きじゃないんだよね。自分が話す分には問題ないけど話されるのは好きじゃないというか」


 エレインは悩んだが、そこまで青年が話すのならやめた方がいいのだろうと判断し、そういうのならと敬語を外す。青年はうんうんと嬉しそうに頷き、エレインの頭を撫でた。


「お兄さん僕の頭撫でるの好きです、じゃない好きだね」

「そこに撫でるのにちょうどいい頭があるからな」

「理由になってないよそれ」

「そういえば君、名前は?」

「今さらじゃない? というか名前は聞いた方から名乗るのが礼儀だよ」

「それは確かに」


 青年はそう言うとエレインの頭から手を離し名乗った。


「俺はカズヤ。異世界喫茶店のオーナーさ」


 やっぱり変な名前のお店だな。カズヤの自己紹介を聞いたエレインは思わず笑った。

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