第10話 ルイエルド辺境伯領の革命について

 ファインスト王国北東はルージュ地方。起伏の少ない肥沃な大地が広がるそこは、冬こそ少し冷えるものの一年中過ごしやすい気候が続き、後述の理由もあるが避暑地として王国の王国貴族の間でも足を運ぶ者は多い。

 領内の村落では茶葉の生産が盛んで、王国の愛好家ではルージュの紅茶とそれ以外では、蜥蜴と竜とも言える差があると語る程。事実王国に出回る茶葉の六割以上が、ルージュ地方で採れたものだ。

 貴族たちが避暑地として赴くこととなるのは、ヴィル・スカレア。ルージュ地方で最も栄える街である。

 人口は王都の半分より少し多く、所狭しと高級ホテルが立ち並ぶ。最奥には咲くフリージアをモチーフとした紋章を掲げる大貴族が、巨大な屋敷を構えている。名を、スカーレット侯爵家。ファインスト王国建国に関わった由緒正しき大貴族にして、王国五大貴族の一つ。

 門を潜ればすぐに巨大な庭園が出迎える。

 バラやクレチマス、ゼラニウムが生けられた生け垣は迷路のようになっているが、見回せばすぐに傘のような屋根のあるテラスを見つけることが出来るだろう。


 ソーサーとティーカップが打ち鳴らされる小さな音が響く。

 それだけ小さな音が響くのも、このテラスに静寂が満ちているからである。

 白い椅子に腰かけ、眼を瞑り脚を組みながら紅茶を愉しむ麗しい少女が一人。漆黒のドレスに身を包み、後頭部で一つに纏めたブロンドヘアの上にはトークハット。

 白磁に金の装飾が施されたカップに満ちるのは琥珀色の高級茶葉、夕日の涙ソルクシャン・ド・ラルンだ。

 スカーレット侯爵家の庭園において、これ程優雅に過ごせる人物は一人しかいない。リリー・オウル・スカーレット、たった一人。


「ん」


 言葉も無く、リリーが飲み干した紅茶を即座に注ぎ直すメイドが傍らに侍っている。

 プラムではない、長躯の女性だ。平均的な成人男性を十センチ以上は超えるだろう。並んで立てば威圧感すら感じるかも知れない。夜を織ったかのような深い黒のワンピースのスカートは、脚の全てをすっぽりと覆い隠す程長く、白いエプロンには汚れどころか皺の一つすら付いていない。

 右肩から垂れ下がっている、くすんだ灰色の髪の毛先は腹まで届いており、その長さが窺える。さらによく見れば、髪全体に宝石のような艶が乗っているのが分かるだろう。長い髪を手入れするなら、それだけ長い時間と労力が必要だ。その事を考えれば、このメイドの性格まで読み取れる。

 ワインのように少し暗いルビーの付いたブローチは首元に、頭頂部にはホワイトブリム。右頬に、唇の端の少し下から耳元まで駆け上がるように刻まれた傷を加味しても、絶世と呼ばれていても不思議ではない程の美形。

 そんな完璧なメイドの名はフーア・オブライエン。プラムがいないのは、フーアがスカーレット侯爵家の家政婦長だからである。


「本日のご報告は如何なさいますか?」


 フーアの問いに、リリーは何も答えずに紅茶を啜る。

 その沈黙から彼女の意志を読み取り、フーアがつらつらと喋り始めた。


「幾つか言付けを預かっております。ジェーンより、ロンデイル撤収の報告。フルールより、勇者に関する情報でご報告したいことがあるとのことです。面会を求めていますが、如何されますか?」

「断る理由は無いわ」

「畏まりました。ジュディーカより、作戦は滞りなく完了したとのご報告。イヴレスより、ベル村での変死事件を確認。調査を進めるとのことです」

「ベル村……直轄領で?」

「流石はお嬢様。仰る通りです」

「世辞は要らない。少し匂うわね、レクティフィには?」

「そう仰ると思いまして。勝手ながら、既に命令いたしました」

「よろしい。醸造ヴァンデミエールには禁術と並行してベル村の調査もさせるように」

「仰せの儘に」


 顎に手を沿え、思案に耽る。

 だが答えが出る前にリリーはその思考を止めた。待ち人が、テラスに近付くのが見えたからである。

 くすんだ金色は、見方次第で緑色にも見える。いばらのような刺々しい髪から覗く眼光は、鳥すらも射殺す程の鋭いものだった。白いシャツと灰色のベストが包み込む肉体は猫のようにしなやか。首元には真鍮色のロケットペンダントをぶら下げた男。


「遅かったわね」

「勘違いするな。お前が早いんだ」

「あら辛辣」

「ようこそおいで下さいました、ベスコート様」


 深々と頭を下げるフーアを一瞥し、男はリリーの対面に座る。


「アイビーで構わん」

「どうせ本当の名前じゃないんでしょ?」

「だったら何か変わるか?」

「別に。さぁ美しい女の前で名前を隠す臆病者さん、今日はどうされたのかしら?」


 両手を広げ、皮肉っぽく告げる。

 裏社会の人間は信用第一。とは言え、全てを曝け出すのが信頼関係ではない。

 親しき中にも礼儀ありと言うように、ビジネスパートナーである彼らにはビジネスパートナーに適した距離がある。特にアイビー・ベスコートは、蔦の劇団と呼ばれる国際的な義賊集団の一人。スカーレット侯爵家の一員ではない彼相手には、それ相応の距離を置くべきだろう。


「革命が起きた」

「脚本通りじゃない」

「そうではない。外で、だ」

「あぁ……」


 不思議そうな顔をするフーアに、溜息を吐きながらアイビーは今一度脚本についての説明をする。

 ルイエルド辺境伯暗殺事件。この事件のシナリオは、革命を起こす事だ。

 標的であるへイエス・ゼン・ルイエルドは、元々多くの者から恨みを買う人物だった。だからこそ、彼を恨んでいる者を束ね徒党を組ませ彼らを傀儡の如く操ることにより、自らの手を汚さずして彼を殺させるシチュエーションを作る。

 そう考えると計画は失敗に思える。

 何故なら、ルイエルドは実際に彼女等に殺された訳ではないからだ。

 だが、実際に殺しているか否かは問題無い。目的は、刺客がルイエルドを殺すという状況を貴族たちに見せる事にあるのだから。

 これは、ある種の劇だ。

 ルイエルドとティアは演者であり、多くの貴族と使用人が観衆。リリーは、ただの裏方に過ぎない。

 舞台裏でリリーが何をしようと、観客には見えないのだ。


「危惧はしていたわ。ただ、制圧される暴動の範疇でしょ?」

「あぁ、俺たちもそう考えていた。が、もしそれさえ計画の内だとしたら」

「……成程。確かに可能性はあるわね。あのルイエルドの立ち回り、裏には相当切れる人物がいると考えてもいい。調査の段階で相手は帝国に与する人物だと仮定したけど、それがさらに信憑性を帯びて来るわね」

「……僭越ながら、質問させて頂いても?」

「構わん」

「それだけ聞くと、全てアイビー様の脚本通りと思います。一体何が問題なのでしょうか」

「フーアの言う通りね。ただ演劇は大成功でも、問題は観客席で暴動が起こってるのよ」


 フーアはテーブルの下の方に一瞬だけ視線を送り、再び不思議そうな顔を浮かべる。

 呆れた表情のアイビーが大きなため息を吐いた。


「お前の例えは婉曲的過ぎる。要は、この仕事により貴族への不満が爆発したんだ。もっと平たく言えば、一揆だな」


 アイビーは説明を続ける。

 例の事件は多くの目撃者が居た。

 確かに刺客たちは集まっていた貴族や商人を惨殺したが、全員ではない。逃げ果せた者は、命からがら逃げて来たと言いふらしたのだろう。

 ティア・アコナイトから始まった反乱の狼煙は、病魔が伝播するように広がった。ルイエルド辺境伯領内の各地の村落で、ルイエルドに、ひいては国に対する反乱が勃発したのだ。

 ルイエルドは元々重税を強いたりと圧政を執る貴族であったし、いつか不満が爆発するのは予想出来たこと。だがその風船に、暗殺を切っ掛けとして針を刺してしまった。

 彼の報告によると現在二つの街で反乱が起こっており、無事ルイエルドの臣下を殺害することで反乱に成功している。そしてこの波は、瞬く間に領内に広がるだろう。


「分かった? プラム」

「バレていましたか……」


 そろりと、机の下から出て来る犬耳が一つ。

 プラムはぴくぴくと耳を動かすと、恥ずかしそうに顔を上げた。フーア・オブライエンは、二人の話に付いていけない程馬鹿ではない。実際に理解できていなかったのはプラムである。


「お陰様でばっちり分かりました! 反乱が起こった訳ですね!」

「七十点ね」

「三十点だ」


 リリーが及第点を与え、アイビーが落第を告げる。

 王国内でこのようなことが起こったと言う事は、貴族であるリリーにとって状況は良くない。

 今回の反乱はルイエルド辺境伯領での出来事だが、これが噂として広まることになればどうだろう。自分たちもと影響を受ける者が増え、その中の一割は実際に行動を起こすだろう。そしてその中の一割は、実際に成功するかもしれない。

 それがもし、何者の手も加わっていないのならば。

 敵が帝国に与する人間ならば、大きな狙いは王国の力を削ぐ事だろう。そんな中革命に力を貸し、成功させれば。反乱軍は力と指揮を増し、最後にはこの国を揺るがす事も出来る。

 確実にこの反乱は波及する。そうなると、王国屈指のの大貴族であるスカーレット侯爵家は選択を強いられるだろう。

 全てを棄て、新しい国を目指すか。

 王政を守るため、悪しき貴族となるか。


「失礼。お言葉ですが、考えるべきはもう少し手前の部分なのでは?」

「分かってる。問題は誰が、この革命を手引きしたか」


 プラムが首を傾げた。

 普通に考えるのならば、革命を手引きしたのは梟だ。何せ実際に刺客を手引きしてルイエルドを殺させたのは、他でもない梟なのだから。ただその事を考えると、一つだけ引っ掛かる点がある。


「プラムは忘れちゃったのね。あの、ヴィエルジェ・ルージュを」


 リリーの言葉を聞いて、プラムもようやく気付いたようだった。

 今回の依頼はルイエルド自身が依頼したもの。だが、背景を考えるに彼にそうするよう唆した黒幕が存在する事は明白。用心深いのか、娘たちの調査では結局何も繋がりは見出せなかった。

 黒幕の目的は恐らく革命。更に言うならば、王国を帝国に併吞させる。もしくは、戦争を引き起こし帝国を勝利に導く。その為に、ルイエルドを欺いて彼自身を殺させた切れ者がいる。


「私達は、場にあるカードで役を作っただけ。そもそも、場にカードを持ち込んだゲームマスターを特定する必要があるわ。収穫メスィドール

「残念ながら」

旋風ヴァントーズ

「いえ、ヴィエルジェ・ルージュの足跡に怪しい影はありません」


 フーアが淡々と告げ、プラムは心底残念そうに零す。

 リリーは顎に手を当てて思案に耽る。

 推理をするには、大きな部分から考えるのが定石。まず考えるべきは、ルイエルドを唆した人物の素性だ。

 人物から読むなら、浮かび上がるのはやはり貴族。

 ルイエルドは非常にプライドの高い人物だった。となると、彼を唆せる人物は表社会で高い地位を築いている人物である。つまり、貴族となる。裏社会の有名人である可能性も否定できないが、限りなく低いとリリーは推測する。

 それにしては出処を特定出来ない。

 娘たちは裏社会に広く根ざしている。各組織の情報を集めるなど息をするより容易い。が、位の高い貴族程鎧は厚く、硬い。それだけ娘たちの介入は難しくなる。

 そう考えると浮上するのは、辺境伯と同格の侯爵や公爵。もしくは、王族の誰か。スカーレット侯爵家内部の可能性も否定出来ない。何もこの家は、一枚岩ではないのだから。

 ただ、王国きっての諜報機関である娘たちが集められない情報となると、危険度も高いだろう。無闇に飛び込んでいい問題ではない。そう結論づけ、リリーの思考は現世に戻る。


「いいわ。今日はどうもアイビー様。この私自ら、お見送り差し上げても構わないわよ?」

「遠慮しておく。本当に用があるのはお前の父だからな」

「あら大胆、婚約の申し込みかしら」

「冗談か? 面白くないぞ」

「このリリー・スカーレットと婚約を結べるなんて、この世界の男には無理な話なのよ? 冗談でも、貴方は欲に駆られてはい、と哀れな子供のように呟くべきじゃないかしら」

「黙ってろ。契約に関わる話だ」

「では、私の手の者でご案内を」

「助かる」


 おどけたような仕草のリリーを一瞥し、紅茶を一気に飲み干したアイビーが屋敷の方向へと去っていく。まるでその場から急に生まれかと見紛う程、気配を急に現したメイドを供として。


「さて、私も行かないとね」

「どちらへ行かれるんです!?」

「この格好を見て?」

「……お葬式ですか!」

「えぇ、参列よ。辺境伯が不慮の事故により死んだんだから、侯爵家にも招待状が掛かってるわ。プラム」

「はい! ただいま用意いたします!」


 馬車を用意する為、プラムが走り去る。

 その要素を残って眺めるのはリリーとフーアただ二人。すっかり戻って来た静寂の中で、リリーは静かに残っていた紅茶を全て呷った。


「母上は?」

「お変わりありません」

「そう。……いつも通り、留守は任せるわフーア」

「仰せの儘に」


 プラムが引く馬車が見えて来る。既に用意していたのだろう。いつでも走れるぞと馬が嘶いた。

 突如屋敷内に押し寄せた、彼に不満を持つ平民。彼らによって無慈悲に殺害されたルイエルド。並びに使用人たちの葬儀に参加するのだ。王国が誇る赤き百合として、粛々に。

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血で汚れてもよろしくて? 〜梟と恐れられる王国の牙が、王国を噛み殺すまで〜 朽木真文 @ramuramu

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