第9話 ルイエルド辺境伯領の革命について

「え、無し?」


 ユークリアは冒険者ギルドの受付で、受付嬢の言葉に呆気に取られる。

 対する受付嬢は、ユークリアの反応に困った顔で頷いて彼の言葉に同意を示した。

 急所が金属で補強された革鎧。佩いた剣と鞘は質素で、見るからに安物だと分かる。ブーツの爪先はまだ傷が少なく、革製の水袋もまだ少し硬い。

 白にも近い金色の髪は無造作に伸び、一本一本が縮れている天然パーマ。目元は不安げで、口許にはまだ少しばかり髭が見える程度で全体的に覇気がない。

 そんな青年も冒険者として活動して数年経つ。それでも彼が受けていた依頼が、依頼主により取り下げられた等今まで経験した事が無かった。

 冒険者ギルドが冒険者に斡旋する依頼は殆どがこのようなフローを経る。

 まずは依頼者による冒険者ギルドへの申請。

 ユークリアの出身の村で言えば、付近に凶悪な魔物が生息し始めたので力自慢の冒険者を寄越して欲しい、とギルドへ届け出をする訳だ。

 幾つかの書類を書き、報酬金となる依頼金を支払う事によりその依頼は受理され、初めて依頼者が助けを求めていると知られる事になる。

 とは言え、まだ冒険者がその依頼を知ることはない。

 受理された後、冒険者ギルドによる偵察と検証が始まる。

 冒険者は実力に応じて階級が設定されており、それに応じて依頼も危険度により階級が設定される。その階級はどのようにして決めるのか、という答えこそがこの検証である。

 ギルド専属の指折りと呼ばれる部隊が実際に依頼の様子を窺い、階級を設定するのだ。

 一見、依頼料をそのまま受け取り、指折りが解決した方が早いのではと考えてしまうだろう。だが、それは間違いだ。

 敵と戦うための剣や弓。身を護るための鎧に、物資を運搬するための鞄。剣の鋭さを維持するための砥石や、矢等の消耗品。勿論生命維持の為の食料や、衛生用品。何かあった時の為の医療器具や魔法薬。それを持ち運ぶことの出来る屈強な人間と、移動するための馬にも維持費が掛かる。

 それだけではないが、冒険者の依頼遂行は途方もないコストが掛かる。

 複数人であることもさることながら、依頼の解決ともなれば何日も検証を繰り返す必要がある。そうなると、それらのコストも比例するように増えていく。

 その為ギルドは依頼を見極める事に重きを置き、適した冒険者に斡旋する事でコストを削減。ギルドはその手数料で運営を維持していくのだ。

 とは言え偵察でもそれなりのコストは掛かる。だからこそ、指折りによる偵察が済んだ時点で依頼を取り下げる事は原則禁止。もしそれでも依頼を取り下げたい場合は、高額のキャンセル料を払う事となる。

 なので基本的に依頼が取り下げられる事はないのだが、現にこうして依頼は無くなった。


「先日ルイエルド様の執事の方がいらっしゃって、依頼を取り下げて欲しいと。取消料もしっかり用意していただいていたので」


 何故と抗議したい気持ちがそれ程までに顔に出ていたのか、ユークリアが口を開く前に受付嬢が続ける。

 キャンセル料もしっかりと払われているとなると、ユークリアがどれだけ言おうと状況が動くことはない。それにキャンセル料は引き受けた冒険者がいる場合、満額ではないもののその冒険者にも一部支払われる。働かずして対価を得たのだ。本来ならば、喜ばしい事。

 だが、ユークリアの顔は浮かばれない。


「そう……ですか」

「まぁユーク。迷惑かけちゃいけねぇ。一旦出直そうぜ」


 彼の肩を叩き、肩を組むのは赤い髪の青年だ。

 年齢はユークリアと同じ程度だろう。精悍な顔立ちをしてはいるものの、未だ幼さが残っている。ただ鍛え上げられた肉体は屈強で、背に抱える無骨な大剣も飾りではないのだろう。

 鎧に施された金属補強はユークリアよりも比率が高く、ところどころ大きな傷が刻まれている。革鎧も、革のブーツの底も酷くすり減っているのは彼がパーティーの中で敵の攻撃を一身に受ける役割を担っているからである。

 彼が屈すれば、パーティーメンバー全員に敵の注目が向かう。パーティーには近接戦闘を苦手とする面々が多くいる。つまりは、彼がパーティー全体の命を背負っているのと同義。

 そんな重要な役回りの彼はダイア。ユークリアの幼馴染である。

 ダイアに促され、ユークは喉元までせり上がっていた文句を呑み込む。そして、軽く受付嬢へ挨拶しギルドを後にした。

 昼間のロンデイルは非常に盛況だ。

 裏路地と呼べるような細く湿った路地もあるにはあるが、殆どの道が市場や旅人で賑わっている。

 帝国と王国の国境で、商人の出入りが多いこのロンデイルだからこその景色だ。この街の名物であり、同時に日常でもある。

 横を通り抜ける馬車の風に髪を揺らされながら、ダイアはユークの顔を覗き込んだ。


「残念だったな。まぁ、助かったと思って気楽に行こうぜ」

「でも……」


 普段のユークならば文句ひとつ零さないだろう。

 だが今回は、彼がそれだけ不満に思う程に彼がこなしたい依頼だった。

 冒険者チーム、『巨人の右腕タイタンエイド』が受けた依頼は単純明快。行方不明となった少女を、捜索し助け出して欲しいというもの。

 依頼主はへイエス・ゼン・ルイエルド辺境伯。

 近隣国家でも、ファインスト王国に並ぶほどの大規模な国力を持つルシナル帝国。その国境を防衛する彼の影響力は非常に大きく、政治面でも様々な面で彼の意思が食い込む。そのルイエルドからの依頼だ。この国で活動する冒険者で、受けない冒険者は存在しないだろう。

 森に繰り出し狩りの最中、侍女の一人とはぐれてしまったらしい。少数精鋭で捜索隊を組むも見つからず、やむを得ず冒険者に依頼を出すに至ったそうだ。

 報酬は同ランクの魔物討伐の依頼と比較し三倍以上。貴族に顔が売れ、それでいて報酬も高いという願っても無い依頼だったのだが、ユークが残念がっているのはまた別の理由。


「本当に無事だといいけど」

「……お前、本当にお人好しだな。そんなんじゃ世の中生きていけないぜ?」


 呆れた様子だが、心配はあまり無い。このやりとりを何回も繰り返してきたからこそ、彼が彼の芯を絶対に曲げない事を知っているのだろう。

 案の定ユークは、毅然とした表情で前を見据える。


「でも、僕は困っている人を見捨てるなんて出来ない」

「はぁーマジで損する性格だな。ま、そこがお前の取り柄だと思うぜ」

「ありがとう……」


 恥ずかしげも無く賞賛され、遅れて顔が熱くなっていく

 彼のこういうところが友人として誇らしくも、男として妬ましい。その感情も、最近克服したところだった。


「しかし、何で取り下げたんだろうね」


 侍女の捜索を依頼しておいて、依頼を受けた冒険者が現れた途端に取り下げ。

 何がしたかったのかが分からない。というのがユークの正直な感想だ。これならば、初めから依頼しなければよかっただけの事。


「あー……そりゃ、助かったんじゃねぇの?」

「捜索隊を組んでも見つからなかったから依頼したんだろ? だったら、それ以降に見つかる事も無いだろうに」

「馬鹿、自分で帰って来た可能性もあるだろ」

「……ダイア、今回も依頼概要に詳しく目を通してないな?」


 ぎくり、とダイアは肩を震わせた。その様子に大きな溜息を吐きつつ、ユークは暗記していた依頼概要を暗唱する。


「報酬、金貨十二枚。場所、アルテール大森林浅層。冒険者一チームに対し、侍女の捜索を依頼する。五日前にルイエルド辺境伯と数名の護衛、数名の侍女と共に狩猟へ向かった際森林内にて侍女の一人とはぐれてしまう。冒険者にはその捜索を依頼する。……五日前だ。女性一人でアルテール大森林を生き残るなんて、少し無理な話だろ?」

「……まぁ、それもそうだな」


 ダイアが納得する程に、かの大森林は危険な魔物が跳梁跋扈する区域だ。浅い場所ではあるものの、それでも危険である事には変わりないだろう。

 そのような場所で五日間も生き残るとなると、ユークでもかなり難しい。

 十中八九彼女は死んでいる。もしくは、死に体の状態だろう。だからこそ巨人の右腕はその依頼を受注したのだ。準備に掛けた時間も大幅に短縮したせいで、その分コストもかさんだ。

 それがいきなり侍女の安否の知らされずにもう依頼はいい、取り下げた。と言うのだから、ユークも文句の一つも言いたくなるだろう。

 最も問題なのは、行方不明となった侍女の安否が知らされていないこと。そのせいでユークは、何を考えても最悪の想像がついて回る。


「でも、何で取り下げたんだろうな」

「あるのは……考えたくないが死体を発見したとかじゃねぇか?」

「冒険者に高い報酬金を要して依頼したのに、それ以降も捜索隊を組んだのか? 少し考えにくいだろ」

「うーん、正論だな」


 考えても埒が明かない。それでも理由を深く考えるのは、パーティーメンバーにこの報告を納得させたいがためだ。

 当たり前のことだが、依頼の成功報酬とキャンセル料の分配。比べるとその額にはお大きな差がある。

 なので高額報酬のこの依頼による臨時収入を、楽しみにしていないメンバーはいなかった。だからこそ、今も尚準備万端でユーク達の事を待っているだろうメンバーにこの報告をすることが少し怖い。


「あ」


 何かに気付いたのか、無意識的に声を漏らしてダイアが立ち止まる。その様子に少し歩いた後振り返る。


「そういや知ってるか?」

「知らない。また女の話だろ」

「最後まで聞け。昨日噂で聞いてな、どうやらルイエルドが殺されたらしい」


 これ以上ないと言える程訝しげな視線を向けていると、ダイアはおどけたように仰け反りながら空いた距離を詰め再び勢いよく肩を組む。

 ルイエルドが殺されたなどありえない。

 彼はファインスト王国とローライザ王国との間で繰り広げられたという、ギルフェル戦役の大英雄。剛剣のルイエルドだ。噂では、敵将を馬ごと叩き斬ったとも。また、矢が彼の身体を貫かずに落ちたとも言われている。

 そのルイエルドが殺すとなると、かなりの実力者でもないと不可能だ。


「誰が殺したんだ?」

「さぁ。元使用人って聞いたぜ」

「……使用人、ね」


 例えば、黄金の剣とも称されるスカーレット侯爵家の騎士、カーテナ・ウィスタリアス。例えば、自他共に認める史上最高の冒険者、白雪のエア・ブローディア。例えば、王国宮廷魔術師のベスター・クロム・ディ・レーシア。

 王国には様々な強者がいる。

 彼らであれば、問題なくルイエルドを殺すことが出来るだろう。とは言え、それ程までの人物が動くならば否が応でも目立ってしまう。その状況で冒険者に噂が立たない訳がない。

 となると、元使用人の犯行というのは本当なのだろう。実際にルイエルドが殺されたのかは別として。


「それで行けるんじゃね?」

「納得するかなぁ……」


 だとすると、依頼が取り下げられるのも有り得る話なのかもしれない。

 そう考え始めたところでユークは眼前の異変に気付く。何やら人集りが出来ているのだ。飛び交うのは怒りによる怒声と、それらを上回る高揚。嫌な予感がし、ユークはその中心を覗こうとダイアが引き留めるのにも構わず近くに寄る。

 刹那、人が空中に浮かび上がった。

 さもボールのように何度も跳ね、吹き飛ばされた男は石畳の上でぐったりと倒れた。一方人混みの中央、殴った方だろう拳を振り抜いた体勢をゆっくりと解き、追い打ちしようと歩いたところを野次馬の何名かに止められている。


「おま――」

「大丈夫ですか!?」

「あっちゃー……」


 頭を抱えるダイアなど気にも留めない。倒れた男に一目散に駆け寄ったユークは、腰元にある革のポーチから薄汚れた小瓶を取り出す。

 栓をしていたコルクを咥えて抜き取り、内包されていた青空のような、それでいて透き通った液体をゆっくりと嚥下させる。

 魔法的な効果を有する魔法薬だ。治癒の魔法が込められたそれは瞬時に肉体に作用し、簡単な打撲程度ならばすぐに元通りだ。当然、殴られた事による傷がすっかりと癒えていく。

 思った通り。と、言いたげに呆れた様子のダイアが近くに寄る。

 魔法薬は決して安価なものではない。魔道士により製造されるそれは一瓶あたりのコストが非常に高く、その上魔法に関わる物品の売買には大陸魔術学会の認可が必要になってくるため正規品は極めて高価だ。

 それこそ、ユークが保有していた最低ランクのものでさえ。

 こういった道具はパーティー全体の財産だ。それを勝手に使ったことを仲間にどう説明しようかというダイアの悩みも知らず、ユークは男の肩を揺らし意識を確認する。

 暫らくしていると、意識も回復したらしい。喧嘩相手の方も気付けば消えていた為、その場で別れ再び街道を進む。


「何か、治安悪くなったかな」

「そうかぁ? 喧嘩なんていつもあっただろ」


 王国でも帝国でも、街中での喧嘩は珍しくない。

 とは言え、最近はいつにも増して多く見かけるように感じる。

 近年は不作が続き物価も高騰している。王国の民は、これ以上ない程に疲弊しているのだ。当然、他人に気を配る余裕も無い。

 ユークの、そしてダイアの田舎も、同じような状況に陥っているのだろう。残して来た家族や友人を心配に思いつつ、その感情を胸に留める。


「それよりどうすんだよお前。ポーション勝手に使いやがって」

「うっ、ごめん」

「俺知らねぇ」


 ぷいと顔を背け、ダイアは歩調を速めた。

 人通りもさらに多くなり、目的地の酒場までたどり着く。

 麦の足亭はロンデイルの他の酒場と比べると客が少なく、それ故巨人の右腕はこの酒場を待ち合わせの場所として利用しているのだ。

 決して、時折とびきり美しいウエイトレスが働いており、その少女をダイアが口説こうとする一心で通っている訳ではない。


「だからさぁ、私的にはこう思いますの! 浮気しない男なんていないって!」


 窓が開いているのか、店内から大きな女の声が聞こえてくる。

 耳に覚えのある声に二人は顔を見合わせ、そして入口のドアを恐る恐る開く。顔だけをひょっこりと出して、店内の様子を覗き込む。

 店内には女が二人。一人は他の客がいない事をいいことに、乱雑に他の席の背もたれに足を置く粗野な少女だ。

 夕暮れ時のような、鮮烈な茜色の髪を側頭部に二つ尾のようにまとめたツインテール。目算する事のできる身長は低いが、起伏の激しい肉体は彼女の摂った栄養が身長以外の発育に寄ったのだろうと理解できる。

 床に突き立てた巨大な両刃の斧の柄頭に肘を置き、ぶっきらぼうにローストした肉の切れ端を摘まんでは上を向き口の中に放り込む。喉が乾いたらジョッキのエールを喉を鳴らして流し込み、濁点の付いた感嘆の息を漏らしていた。

 ダイアと同じような金属の補強が各所に施された鎧を、近くのテーブルに脱ぎ捨てている。なので今彼女が身に付けているのは黒いインナーのシャツと、金属補強付きの皮のパンツのみである。

 もう片方は、何も食さず優雅な所作でティーカップを呷る少女。

 長く垂れ下がった灰色の髪には金属のような光沢と、果実のような艶がある。すらりとした手足と身体のラインは細く、それでいてしなやかだ。

 服装は純黒のワンピースと、巨大な黒い魔女帽子を被っている。尖った帽子の際には小さな宝石が付いており、その重みで大きく後ろへ垂れていた。

 隣の席に立て掛けられているのは、年季の入った木製の長杖。先端には帽子と同じ宝石が嵌め込まれているが、帽子のものよりも二回りは大きい。

 誰もいない店内で話すこの二人こそ、四人パーティーである巨人の右腕のもう二人。戦士のティアと魔術師のスチュールである。


「あ、お帰り! じゃそろそろ出るわよね?」


 物音に気付いたのか、ローストビーフを咥えながら振り返る。片方の手は斧の柄に伸び、準備は万端といった様子だ。スチュールも長杖を両手に持ち、決然とした表情でふんすと鼻息を漏らす。

 その様子にユークリアは俯いて、口を開き、言い淀む。

 やはり自分口からは言いづらい。なにせ、彼女たちはこれ程楽しみにしていたのだから。


「すまん! 依頼キャンセルだって!」


 そんなユークリアの様子に見かねたダイアが勢い良く告げる。途端に、二人の表情が曇った。


「は?」

「え?」


 猛烈な文句が来ると身構え、眼を瞑るユークリア。だが、想定していた矢のような文句は降り注いでこなかった。

 目を開けると、パーティーの女性陣は互いに顔を見合わせて思案に耽っていた。呆気に取られたようなユークを前に、ティアが口を開く。


「……思い当たるフシはありますの」

「うん。最近聞いたんだけど、確かな話」

「まさか、暗殺の一件? 絶対ガセだと思ってたんだけど」


 ユークの反論は、ティアの言葉により虚しく掻き消された。

 彼自身が、全く想像もしていない言葉で。


「違います」


 この年から数年に渡る出来事を記す後世の歴史書は、他の年のそれよりも分厚い。

 何故なら、遂に始まったのだ。

 ルイエルド辺境伯の暗殺と、英雄たるティア・アコナイトの誕生により農奴の間に生まれた希望。それは、新聞の普及により幾重にも膨れ上がって遂には破裂した。

 初めはたった一人の死。だがべハール地方のロンデイルで密かに生じた燻りは、やがて王国全土を巻き込む大火へと成長を遂げる。

 つまるところ、数百年にも渡り大陸を支配してきた三大国が一つ、ファインスト王国の革命。


「革命、ですわ」


 それに伴う、滅亡が。

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