ネイエンフス地方における成人の儀

毒蜥蜴

第1話

ネイエンフスの太陽は死にかけていた。

というのは、つまりこの地方の人工太陽アルティ・ソルの耐用年数がぼちぼち尽きかけていたという事だ。

この人工太陽アルティ・ソルは、准侍大将じゅんさむらいだいしょうとして《屠殺場スローターハウス》戦役に従軍した初代領主イェチローザが戦後に勲章や官位や領土と共に恩賞として賜ったものなのだが、コアのスペアも無く、新品が手に入るような大きなバザールといえばおよそ千五百リーギュ南のザモスキ港にまで行くしかなかった。

この探索行クエストを任されたのが、ツァゴルファの息子ツェルゴファと、ムリュンクの娘リュンクムルであった。

ツェルゴファは父親のキノコ農園を手伝っていて基礎体力には優れ、剣術や格闘はイマイチだが鳥射ち用の空気銃の腕はそこそこ、キノコ農家の常としてユメヨイダケ煙管キセルの常用者で、仕事以外の時間は夢煙ゆめげむりに浸ってダラダラと過ごしている典型的なネイエンフスの若者であった。

リュンクムルはひねくれ者の魔法使いの娘で、先祖伝来の非公式魔法を母から相伝し、普段はキノコ茶やキノコ酒を造ったり、ユメヨイダケを薄めた頭痛薬や睡眠導入剤を調合して日銭を稼ぎながら暮らしていた。

地方全体の一大事に重責を担った派遣隊パーティがこの半人前の若者二人きりというのは大いに矛盾しているし、人工太陽アルティ・ソルのコアといえば最も小さいものでも高原竜の卵ほどの大きさであるから、実際はもっと大勢が派遣され二人はその下っ端であったのだろうと考える史家は多い。

どちらにしても、この話の現在最もよく知られたバージョンに名ありで登場するのはツェルゴファとリュンクムルの二人だけで、それによると二人は出発にあたり領主(三代目スヴローザの末期か、あるいは四代目シェローザ初期と比定される)から煌びやかな晴れ着と立派な荷馬車とうんざりするほどに長い訓示を与えられ、意気揚々と南へと旅立ったのである。


ザモスキ港までは大昔に整備されて今ではほとんど使われず荒廃した旧街道に沿って進むしかない上に、その街道も草原地帯ステップを抜ければ流動性の砂漠で寸断されていて、星を読みながら道無き道を行く旅であった。

砂漠に入って三日目のことであったか、小さなオアシスの泉で馬たちに水を飲ませていると、ホウ、ホウ、ホウ、という不気味な鳴き声が遠くから聞こえてきて、その方角を見やると、太陽を背にした逆光の中に大きなネコ科動物のような、しかし絶対にネコ科動物ではないような、そんな奇妙な生き物のシルエットが浮かび上がっていた。

半透明に薄ぼけているその立ち姿は蜃気楼かとも思えたが、それならば鳴き声など聞こえるはずがない。

大病猫オオヤマネコ、とリュンクムルがつぶやくのを耳にして、ツェルゴファがもっとよく観察しようと鳥射ち銃用の望遠鏡を構えた時には、それはもう砂丘の向こう側へと消えてしまっていた。

二人とも、国境くにざかいに置かれた古い標石より向こう側に来るのは生まれて初めての事で、出発にあたり家族や友人たちから、とにかく、大病猫オオヤマネコに皮を剥がれないよう気を付けろ、と何度も念を押されたものだった。

大病猫オオヤマネコは全身が白い毛に覆われ、山羊のような頭の上から伸びている三角形の長い耳だけは毛が一本も生えておらず生皮が剝き出し、四つ足の先が鳥のように三つ又に割れている肉食獣で、幻獣学上の学名ではオコデュドスと呼ばれる。

大病猫オオヤマネコに襲われた人や家畜は大抵全身の皮をひん剥かれていて、それは剥き出しになっている耳を覆うためだとか、単に皮を食べるのが好きだからだとか、理由は色々な説が唱えられていたが、とにかくネイエンフスからザモスキまでの行程で最も警戒すべきものと恐れられていた。

獣は獣、銃があれば怖いもんかい、と鳥射ち銃を抱えたツェルゴファがうそぶくと、その無邪気さと無知に呆れながら、幻獣というのは半分この世に存在しつつ半分は存在しないから幻獣と呼ぶのだ、物理法則も半分しか通用しない、とリュンクムルが釘を刺した。

幻獣がそのような不思議な特性を持っているのは、突然変異や遺伝子工学によるものではなく、彼らがもともとは人間の夢の中で産まれたものが現実世界に侵蝕してきたからだ、というのが現在に至るまで最も有力な仮説である。

夢煙ゆめげむりに浸っちまえばネイエンの男に怖いもんなんかない、となおも強がるツェルゴファに対し、そんな調子だからうちの地方の男どもは平均寿命が他所の半分以下なんだ、とますます呆れるリュンクムルであった。

それからザモスキの港街に到達するまでの間は、妖しい幻獣の影に惑わされる事もなく、あるいは、やはり旅の緊張からくる幻覚幻聴の類であったかもしれない、と二人は胸をなでおろしたのだった。


人工太陽アルティ・ソルのコアは、比較的簡単に手に入った。

口が上手い海千山千の商人たちにのせられてついでに月まで買わされそうになったが、リュンクムルが財布の紐を堅く締めたという。

もっとも、そのリュンクムルとてやはり生まれて初めてやって来た都会のバザールに興奮しなかったわけでもなく、自分用にちゃっかり銀製の調合道具を購入していたそうな。


帰り道でまた砂漠に入り、撤去された反射衛星砲の砲台跡で野営していた夜のことであった。

テントの入り口に何者かの気配を感知して、あのキノコ酔いがとうとう人並みの助平心を発揮して夜這いをかけて来たかと思ったリュンクムルが、どうとっちめてやろうかと制裁棒代わりのスリコ木を片手に待ち構えると、息を荒げて真っ青な顔を浮かべたツェルゴファが顔を突っ込んできて、馬がやられた、と告げた。

砲台跡の崩れた外郭壁の影から恐る恐る首を伸ばして、おもてに留めていた荷馬車の様子を窺うと、馬四頭のうち一頭は逃げ出し、他の三頭は皮をひん剥かれた哀れな姿で砂の上に転がっていた。

荷馬車に積み込まれたコアの上に半透明の獣が佇んでいて、間違いなく件の大病猫オオヤマネコであった。

気が付かないうちに、つけ狙われてしまっていたのだ。

これだけの大殺戮を行いながら返り血一つ浴びず、月明かりが透けてこの世のものとは思えない幻想的な美しさを誇っているその幻獣は、そのままコアの上から動かなかった。

コアが人間にとって大事なものだと分かっていて、ここに陣取っていればまた人や馬が寄ってきて新しい生皮にありつける、と待ち伏せているのだ。

ツェルゴファが鳥射ち銃で何発撃ち込んでもまるで手応えが無く、もっと大きな皮を着ている大人を大勢連れて来い、とでも言わんばかりに、ホウ、ホウ、ホウと例の気味が悪い鳴き声で嘲られる始末である。

確かに脳天に射ち込んだはずなのに、と訝しむツェルゴファに、大病猫オオヤマネコに当たった事を弾自身が認識できてないからだ、とリュンクムルが言った。


ここにきて、二人の探索行クエストは行き詰ってしまった。

コアを持って帰れなければ、一人前とは認めてもらえなくなるであろう。

手持ちの武器や道具で何とかならないものかとお互いの持ち物を広げてみると、リュンクムルはバザールで購入した新品の調合道具一式、ツェルゴファからは銃と十徳ナイフの他には少量のユメヨイダケと煙管キセルが出てきた。

ネイエンの男たる者、いついかなる時も夢煙ゆめげむりに浸る備えを怠らない、と偉そうに胸を張るツェルゴファに呆れつつも、リュンクムルは一つ策を思いついた。

ユメヨイダケの効能を活かして、精神を現実と夢の両方の領域に置き、その両方で大病猫オオヤマネコを殺すのだ。

現実の物理法則に縛られてもいけないし、普段のツェルゴファのようにアホ面を晒しながら夢煙ゆめげむりに入り浸ってもいけない、肉体と精神の完全な均衡を保つことが肝要だった。

吸い残しのユメヨイダケでそんなこと出来るのか?とツェルゴファが尋ねると、そんな絶妙な調合が出来る天才がいるとしたらこの三千世界でわたしだけ、とリュンクムルは自信満々に言い切ったので、それが自分を怖気づけさせない為の口八丁だとしても、他に手が無い以上ツェルゴファは信じる事にしたのだった。


ツェルゴファは、鳥射ち銃の腕前は確かに悪くはなかったが、彼自身は猟師でも兵隊でもなかったし、キノコ畠を荒らす鳥たちを追い払うにはいつも鏑弾かぶらだまで脅かすばかりであった。

いつかはもっと大物を仕留めたいとは願っていたが、まさか人喰いの幻獣を相手にするハメになるとは思ってもいなかった事で、いつも頭の中にまでキノコが詰まっていると揶揄されてきたツェルゴファも、さすがに気が張った。

リュンクムルが調合した、ユメヨイダケと何かツェルゴファには見当もつかないものの混合液をグッと飲み下すと、脳ミソが半分は冴えたままもう半分が夢心地になるという、不思議な状態へ突入していった。

それは、夢煙ゆめげむりにどっぷり浸かって現実の労苦の事などすっかり忘れて惚けてしまういつものユメヨイダケ煙管キセルとは大違いで、左足は現実世界に踏みとどまったまま、右足は夢幻世界へと踏み込み、その両方の領域に同時に存在する自分自身を、ツェルゴファは認識できた。

今までにないほど鋭敏に研ぎ澄まされた意識を保ったまま大病猫オオヤマネコに目をやると、半透明に薄ぼけていた像が現実と夢の二つ分重なってハッキリと見えたので、ツェルゴファは迷わず引鉄を引いた。

圧縮空気に尻を叩かれて飛び出した円錐弾は大病猫オオヤマネコの頭蓋に飛び込み、今度は己の居場所を見誤る事はなかった。

ホウ、と一声鳴いた後、大病猫オオヤマネコの体はコアの上から滑り落ちて砂漠の上にどうと倒れ、そのまま横たわって動かなくなった。

死んだというより、全く予想外の攻撃に驚いた拍子にすっぽりと抜け出した魂が夢幻世界のどこかへと逃げ去り、肉体だけがぽつんと現実世界にとり残されたような感じであった。

亡き骸はもう半透明でもなくなり、珍しいが現実味のある存在に落ち着いた様子なので、解体して肉を食糧に、牙や爪はこの探索行クエストの証しとして持ちかえる事にした。

幸いにも、逃げ出した馬一頭が恐る恐る戻ってきたので、そいつに乗って大病猫オオヤマネコの亡き骸から回収した毛皮をザモスキへ持っていくとかなりの金になり、バザールで失った分の馬を買い揃え、ようやく旅は再開された。

やがて砂漠を越え、旧街道を逆に辿り、ようやく故郷の国境くにざかいであることを指し示す標石が見えてきた時は、二人で手を合わせて歓声を上げたのだった。


こうして、ツァゴルファの息子ツェルゴファとムリュンクの娘リュンクムルの探索行クエスト は、思わぬ危険に晒されながらも成功裏に終わった。

二人が持ち帰ったコアは発酵キノコ燃料推進ロケットで打ち上げられ、ネイエンフス地方の人工太陽アルティ・ソルは無事に延命されたのであった。

ユメヨイダケを用いた大病猫オオヤマネコ退治は、これまで打つ手なしと思われていた幻獣に対する初めての反撃であったから、大いに話題となった。

二人を模倣して幻獣に挑む度胸試しが若者の間で定着していき、それはやがて世代を超えたこの地方の成人の儀として伝統行事化していくのである。


さて、射撃術に明るい人であれば、以上の顛末がいわゆる『ネイエンフス式』と呼ばれる奇妙な射撃術の起源だと気が付かれた事であろう。

また刑法、法医学に馴染みある人であれば、それが『明らかに計画殺人を行いながら心神喪失を主張できる』として禁忌とされた術式であるとも思い当たるであろう。

六代目領主ルクローザは御上からの御禁令に面従腹背で応じたようで、七代目領主シュチローザの治世である現在に至るもユメヨイダケを服用して幻獣を狩る成人の儀の伝統はこの地方に根強く残り続けている。


鳥射ち銃の名人ツェルゴファと魔法使いリュンクムルを主役とした物語は様々なバリエーションを伴ってこの地方で語られ続けており、この二人には本来無関係なはずの場所や時代の出来事まで彼らに関連付けられて語られているものもある。

そんな中で、この成人の儀の起源譚は『寧苑府洲風土記ねいえんふすふどき』の現存する最も古い写本にも記されており、彼らの冒険譚の最もオリジナルに近い形を残していると推察されるのである。

もしネイエンフス地方を訪れる機会があって、この一風変わった成人の儀を目にした時は、田舎の野蛮な風習だと目くじらを立てず、ツェルゴファとリュンクムルの旅の物語に思いを馳せるのも、悪くないだろう。

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