酔っぱらい東へ

猫煮

酔っ払い管を巻く

 酒の女神(ニンカシ)に乾杯! そなたの乳は大河のごとく流れたり! そう思いながら素焼きのツボに口をつけりゃ、安酒も洒落た味に感じるもんだ。『安酒は悪酔いするから、よしといたほうが良い』なんて言う奴は、酒の秘跡ってやつを知らねえ。まあ、この神秘の技法は並大抵のやつじゃ身につかんから、それも仕方ねえが。この秘跡は全ての者に道が開かれちゃいるが、その入口を見つけるにはちいっとした才能が要るもんでな。


 才能ったって、靴屋の親方になるほどの偉え才能でもねえんだ。必要なのはまず『愛』。助平心じゃねえぜ? お袋に肩掛けでも買ってやろうだとか、かっかあに新しい鍋てもくれてやろうってな具合の話よ。次に、っと。おいおい、あいつは。


「エドガー・スコット! B121部隊のエドガー・スコット二等兵じゃねえか」


 あん? 何だあの野郎、俺を無視しやがって。俺ぁ、曹長だぜ? 場所が場所なら修正してやんだが、今は気分が良いから許してやっか。いや、あいつの着けてた紫のバラの造花が気に食わねぇ。エドガーの野郎、前からスカしてやがんだ。そう思や、むかっ腹が立ちやがる。どれ、代わりもしねえあの面でも叩きに行ってやるか。


「よっこらせ」


 ああくそ、腰が痛えったら。齢は取りたくねえもんだ。俺ももう、もう、いくつになったけかな。侵攻戦が1974のユノの月でえ、あれから、あれから、どんぐれえだ? ああ、ニンカシよ、我に知恵を授け給え。


 そうそう、31年だ。これも酒の秘跡ってやつよ。飲めば飲むほど冴えわたるってな。秘跡ってのは愛だよ愛。汝、愛するが故に泣き、涙のために笑えりってな。愛と言っても、助平の話じゃねえんだ。金の貸し借り見てえなもん。商売じゃねえぞ? 昼飯の代金を貸してやるってときに、踏み倒されたって気にしねえし、相手だってまあ律儀に返してくる。それが愛よ。くれてやるつもりでいれば、帰ってきちまうもんなんだなこれが。だが、愛だけじゃ秘跡には足りねえ。他に必要なもんがあんだ。そいつは。


(註:嘔吐する音)


 くそったれ、胃が裏返った気分だ。まあ出すもん出して気分は良くなったんだ。酒の女神を讃えよ! ってな。それで、ああっと、なんだっけか。そうだ、齢の話だ。もう俺も52か、長生きしたもんだ。俺の親父より齢をくっちまった。侵攻戦はうまく行ったが、その後がまずかったからな。まさか俺が、肉腹巻きを着るまで生きられるとはお釈迦様でも思うまいよ。あん? 釈迦って誰だ? まあ良い。そんなことより、エドガーだエドガー。あん野郎どこへ消えやがった。


「エドガー? おい、エドガー?」


 野ネズミのヒゲにかけて! 相変わらずのビビリ野郎が。あいつぁ、ケツ捲くるのは人一倍だったんだ。たまにはこらえてやがると思やぁ、やっぱりすぐにいなくなっちまう。根性のねえ奴め。これじゃあ、俺の立ち上がり損じゃねえか。もののついでだ、ちと歩くかね。おお、我が魂の安寧、導きの掘っ立て小屋、拾い物の段ボールよ、しばしの別れぞ、永遠にそこで眠るが良い。っとくらぁ。しっかし、寒ぃな。今は何の月だ?フェブルーズか、ヤヌスか、新年を祝ったのが確かこのめぇの、あー、まあ良いか。とにかく冬だ冬。


 冬は雪、春は花、夏は小川、秋には新酒。呑兵衛の一年には、これだけで十分よ。ま、俺ほどにもなれば、嫌になるほど見てきたからな。いっそ、それを見て騒ぐ呑兵衛共を見るのが楽しみってもんよ。特に雪、あれはいけねぇよ。歩きにくいし、眠くなっちまう。だもんで、騒いでるのを離れて見るってのが、通だね。


 だってのに、なんだってどいつもこいつも辛気臭ぇ顔してやがる。ほれ、ちょいと顔を上げりゃ粉雪が輝いて、静かに。ああ、畜生。雪が降ってやがったのか、寒いと思った。すっかりかぶさっちまう前になんとかしねぇと。そうだ、パーシヴァルのやってる飲み屋が近いんだった。


「エドガー、行くぞ。エドガー? おい?」


 あの野郎、どこ行きやがった。いつまでも世話を焼かせやがって、ちっとも人の話を聞きやしねえんだ。そんなんだから、置いてきぼりになるんだってのに。もう知ったことかよ。どうせその内会えるさ。パーシヴァルの店はっと、ああいって、こういって、そうだったな。あんにゃろうの顔も随分と見てねぇ気がするな。最後に見たのは確か18年前、いや、18ヶ月前だったか?  18日前だったかもしれねぇが。そもそも18だったか? 16や14でなく。あいつと顔を合わせたのは18の時だ、それは間違ぇねえんだが。なんでって、そりゃパーシヴァルは教練の同期だからな。間違えるはずがねえや。促成栽培の一年教育だもんで、徴兵されたその歳を間違える阿呆はいねえわな。


 18、18だよ。そういや、パーシヴァルの野郎、賭け事が強かったな。 6、6、6で3倍勝ち、何度降ってもシゴロ以上の目を出しやがる。たまに負けてもヒフミだけは絶対出さなかったな。そのくせ、いざというときの勝負運は弱ぇんだ。甘食をかければこっちの勝率が十割ってぐれえだからな。運は良いのに、勝負師には向いてなかったんだな、あいつぁ。


 しっかし冷えるね。ここはニンカシの恵みを一息にっと。これで体の芯から熱くなれるってもんさ。情熱は重要なスパイスだからな。そう、情熱だ情熱。『愛』の次に必要なのは『情熱』さ。つまり忍耐だな。そいつで持ちきれない荷物をなんとかして持ち続けんのさ。それでどうなるって? そりゃあ自然の倣い、熟れたイチジクがどうなるかなんて知れたこったろ。鳥が啄むか、獣が喰むか、あるいは、よ。


「やってるかい」


「ああ、お客さん。やだね、トマさんじゃないか」


「やだねとはなんだい、だいたい俺はトーマだぜ」


「ソーマもトーフも知ったこっちゃないよ。だいたい何度も言ってるけどね、うちは持ち込み禁止だよ」


 持ち込みだぁ? ああ、この空き瓶か。良い具合に空になってくれたもんだからな。いっちょ注ぎ足してもらいたいもんだが、あんにゃろのカミさんは四角四面でいけねえや。あん? そういや、そのパーシヴァルがいねえな。


「おい、おカミさんよ。パーシヴァルの野郎は居ねえのかい」


「 ……さあね、今頃は雪の下で凍えてるでしょうよ」


「なんでえ、この寒いのに買い出しかね。見通しの甘いやつだな。老けたついでにボケたか」


「はいはい、何でも良いですから。一本飲んだら帰っておくれ。こんな日は客入りが多いんですからね」


 お、気が利くねえ。こいつはウィスケ・ベサか。火みてえに強えから、ちびちびとやらねえとな。口の中で気化させて、くぅっ、この香りだよ香り。こいつを溜めておきながら一気に流し込んで! 樽の香りがしっかり醸されて情景まではっきりと見えらあな。自分の息まで同じ味、ここまでしっかり味を出すには元の酒から面倒を見てやらなきゃならねえ。葡萄詰みから樽の火の番まで、作り手全員が一丸となってこそ出せる味、まさに連帯の味ってやつだ。


「いやあ、旨いね。おカミさん、もう一杯もらえるかい」


「ちょっと、二杯目はお代をいただきますよ」


「なんだとう、誰が払わないっつったね。待ってろよ、確かこの辺りに年金をもらったのがな」


 上着のどっかに入れてあるんだ、右腹のところのは、飴の包み紙か。左っかわは、何もなしと。右胸の下は、ベアリングね。左の胸下っと、ええい、畜生め。この向きについてんと、片腕じゃ探りにくいんだ。貰いもんだからとやかく言わねえがよお。左腕さえありゃ気にならねえんだが。左腕がねえんだな、これが。ありゃ? 何でねえんだ?


「すまねえな、腕が見つからねえんで、探しにくいったら。もうちょい待ってくれ。そのへんに、俺の腕でも落ちてないかい? 有れば楽なんだが」


「もう良い、良いからこれ持って出てっておくれ。おくれったら!」


 な、なんでえ。何も泣くこたあねえだろうよ。しかも、押し付けてきたボトルの酒もそこに浅く残ってるだけじゃねえか。しみったれったらありゃしない。


「おう、わかった。わかったよ。こいつのお代はツケといてくれ。今度払う。必ず払わあ」


「足でも折りな!」


 ったく、犬でも追っ払うみてえに。パーシヴァルが戻るまで待つ気だったんだが、仕方ねえやな。しかし、エドガーにパーシヴァル、ここでマーティンでも見かけりゃ小隊再集合って具合だあな。マーティンの野郎はグルタの生まれだってんでとんと会ってねえが、あの図太さなら元気にやってんだろうよ。いや、国は違えってのに、同じ血が流れてるからとメソメソした所もあったっけかな。あいつの国は錫がよく取れるってんで、この国とは長い付き合いだ。俺の故郷は国境で、関所も開かれてるはずだし、そのうち会いに行ってやるかね。あいつのお郷はどこだっけかな。


 どれ、未来の再開を祝してこのあたりで一杯っと。


 ああ、強い上等の蒸留酒だ。ニンカシの祝福あれ! しかし、味が良い分秘跡には向かないね、こりゃ。命の水の力ってのはあんまり上等すぎてもいけねえんだ。ご先祖様が言うところのチュードーって奴だわな。別に酒の女神がケチくせえってわけじゃねえぜ? 俺は見たこたあねえが、こんなに慈悲のあふれる権能だ。優しげでたおやかな、絶世の美女に違えねえさ。


 酒神の権能ときたらすげえんだよ。しかも、誰だってそれを身につけることができるってんだ。もちろん、無料ってわけじゃねえ。まず必要なのは『愛』よ。その点俺あ恵まれてらあな。かっかあに、おふくろ、おやじにガキどもも居るってんだから、愛には事欠かねえ。


 ああそうだ、かっかあと言えば鍋の底が抜けたとか言ってたっけな。それで金物屋に行くことにしたんだ。いや、行かなかったんだったか? そうだ、行けるはずもねえわな。あの頃俺あ、家に帰ってねえんだ。なら、かっかあも金物屋で適当に見繕ってもらっただろうよ。ん? なんで帰ってねえんだったか。そもそも、あの頃ってのはいつだったかな。くそ、上等すぎる酒ってのはこれだから。頭が痛くてしょうがねえ。ニンカシよ、恵みたもう。


 まあ細けえこたあ良いか。念の為に金物屋でも冷やかしに行ってみるかね。ついでにブリキの人形でも買っていってやるかな。兵隊の面でもしてりゃあ、ガキが俺の顔を思い出すのにも使えらあね。このあたりの金物屋ってえと、ああ、あそこだ。


「おい、店主。おい、いねえのか」


「はい、なんでしょう」


「鍋の相場はどの当たりだい」


「そうですね、鍋なら小で35、大で60あたりですね。エンチャントに使う大鍋あたりになるとサーキットの刻印分も合わせて200はしますが、何をお探しで?」


 しまったな、ろくすっぽ厨には立たねえから、詳しいところは解らねえんだが。よくよく思い出してみっか。確かっかあが煮炊きするときは、コンロにでかい鍋を乗せてたな。あれで一度に全員分作るんだが、材質はなんだったか。金属なのは確かなんだが、家庭用の鍋にそういくつも種類があるもんかね。


「ああ、いや。今買うつもりは無えんだが、近々予定が入るかもしれねえんでな」


「左様でしたか。いえね、一時は戦争で金物も値上がりしましたが、近頃は安定しまして。これもあなたのような勇士のお陰でございます」


「ん、ああ。そうかい。それで、鍋なんだがこう、三世帯で子供が三人あたりの家庭向けのやつでな。一度に煮炊きしてた気がするんだが、こう、それぐらいのサイズの鍋だとどんなもんだい」


「その条件ですと、中よりの大でしょうか。大は小を兼ねると言いますが、鍋に限ってはそうも言えませんでな。煮炊きの燃料もかかりますから、詳しい所は奥様に確認していただくとして。家庭用の大サイズなら、下は50から、上は180ぐらいでしょうか」


 180たあ、随分と上振れするね。軍用と違って、民生品の規格化はまだ進んじゃいねえがそれにしたって幅がありすぎじゃねえか? まあ素材によっちゃあそんなもんかね。


「そうかい、勉強になったよ」


「勇士様のお力になれたとあれば、光栄です」


「ああ、ところで。ブリキの人形はあるかい?」


「 ……いいえ、当店では取り扱っておりません。このあたりでもここ10年ほどは見かけませんな」


「そうかい、これも時代かねえ。寂しいもんだ」


「それでは、お客様。足元にお気をつけて」


「おう、ありがとよ」


 人を帰すなり、伝信機に飛びつくたあ、この時期の店は忙しいもんだね。しっかし、俺がガキのころにおもちゃといえばブリキの兵隊だったが、時代も変わったねえ。とは言え、10年も見てないたあ、あの店主も大げさだね。上のガキの5歳の誕生日に買ってやった覚えがあるんだぜ? あの子はまだ8つだぞ。まあ商売人ってのは大げさなほうが良いのかもしれねえが、それにしたってやりすぎだね。


 しっかし、冷えたな。雪も積もってきてらあ。こりゃ早いところ帰るに限る。帰る、帰る、どこに?


 いや、そりゃ家に違えねえ。違えねえが、家はどこだ。ここの地図はよく知ってるさ。配備されて随分経つ街だ。パーシヴァルの野郎は家族を呼び寄せたが、俺は単身で寄宿舎暮らしだ。だが、俺あもう除隊してるはずだよな。そしたら、故郷に帰ってるはずで。いや、故郷はここじゃねえ。ここじゃねえが…… 。頭の霞が鬱陶しいったら。こんなときにはニンカシの。


 くそ! 酒が切れてやがる。まずいまずいまずい、見たくねえ、俺は見たくねえんだ。左肩が痛え。雪の日は特に痛えんだ。あの日だって雪だったんだからな。あの日、あの日ってなんだったか。いや、見ねえ。俺は見ねえぞ。酒だ、酒さえあればなんとかなるんだ。雪が酒でできてりゃ良いのに、使えねえ雲だな。


 ああ、寒い。寒いんだよ。酒さえありゃあ、暖まれるんだ。暖まって、家に帰って、かっかあの作ったクソまずいチリビーンズを鼻垂れのガキと文句垂れながら食うんだ。嫌だ、嫌だ。俺をこんなところに一人にしないでくれ。


「エドガー、おい、エドガー。早くこっちに来い。ぶっ飛ばすぞ」


 いや、もうぶっ飛んだんだったか? あれは手投げ弾、いや砲弾だったか? そんなはずはねえ、ねえよな?


「エドガー、エドガー! パーシヴァルでも良い!」


 ああ、そうだ。あんにゃろうは勝負師に向いてねえんだよ。ここぞってときにばっかり運が悪くて。どうするんだよ。店はこれからが忙しいんだろうが。


「マーティン! くそ!」


 そうだ、あいつの国は結局血の繋がりを選んだった。もう何年も会ってないはずだな。何年、何年だ?ブリキの人形は5歳で、8歳、いや、1974から何年で。痛え、痛え、頭が痛え、左肩が痛え。いや、左腕全体が焼けるみてえだ。左腕、どこだ? 俺の左腕はどこだ?


 熱い、這いつくばった腹についた雪が熱い、うずくまった背中に降る粉雪が熱い、熱くて焼けちまう。何見てんだよ。見世物じゃねえぞ。どいつもこいつも遠巻きに見るもんだから、一気に静かになりやがった。悲鳴がずっと響いてんのになんでこんなに静かなんだ。クソ、酒はどこだ、酒は。


「探したよ、トーマ」


 ああ、誰かと思えば。


「先生、助けてくれ。酒がないんだ」


 先生、俺の主治医、なんの治療だっけか。


「だめだ、君はもう飲み過ぎだよ」


「だめなんだよ先生。燃えちまう。酒がないと燃えちまうんだ」


「もう燃えはしない。何も燃えないんだ、トーマ」


「燃えるんだ、燃えて帰れなくなる。酒さえあれば、酒さえあれば帰れるんだよ先生。なあ、一口で良いから酒をくれ。頼むよ」


「駄目だ」


 なんだ、俺を押さえつけるのは誰だ。離せ、離してくれ。猿轡なんか取ってくれ。かっかあがビンの中で笑ってるんだよう。ああ、ガラス瓶が灯りに照らされて燃えるみたいじゃねえか。俺が飲んでやらないと、俺が飲めばまた帰れるんだ。帰って、チリビーンズを …… 。


「さあ、帰ろうトーマ。大丈夫、朝には今日のことも思い出せなくなるさ」

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