新たな想いで塗り替えていけば。

こよい はるか @PLEC所属

人を信じられないこの世界に射した、一条の光。

 人と関わることが怖かった。

 また壊れてしまいそうで。


 指一本でも触れたら、崩れてしまいそうで。


 だから嫌だった。避けてきた。


 それでも、辛抱強くどこまでも追いかけてきたのは、ただ一人君だった。


 だから私は君を忘れない。


 忘れられない。


 ——君が逃げたって、果てしなくついて行く。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 チリリリリッ


 聴き慣れた目覚ましの音が鳴り、目を開けることさえ退屈になる。目覚ましを止めるためにだるい腕を伸ばす。

 重い瞼をこじ開けようとするも、力尽きて腕はまたベッドの上に。


 二度寝しちゃいけないんだけどなぁ……。ふわぁ……。


「こらっ! つむぎ、起きなさい!!」

「……んぇ……」

「今日からまた委員長会議でしょ⁉」


 お母さんの猛攻により、ひっぺがされた私の布団。

 無情にも周りの空気の冷たさが肌を突き刺す。今日も朝が来てしまった。


「んん……」

「いつまでも寝ぼけてないの! 朝ご飯出来てるわよ!」


 未だに鳴り続けていた目覚まし時計を乱暴に止め、やっと部屋を出て行くお母さん。

 あぁ、今日も最悪の始まりだ。


 うちの学校には、毎朝『委員長会議』というものがある。学級委員長が集められて、現在の自分のクラスがどのような状況なのかの報告をする。時々学校についても話させられる時がある。


 中学一年生になって新しい学校に入って、知り合いもいない遠い学校に通って、やりたくもない学級委員長をやらされない環境になると思ったら、なぜか今年も学級委員長になってしまった。


 もともと目立つのは嫌いだし、人をまとめたりするのは大嫌い。まず人と関わるのが苦手。


 他にもっと適任がいるはずなのに、なんで毎回私になっちゃうんだろう。


 もそもそとトーストをかじり、牛乳で流し込む。委員長会議まで、残り二十分。まだ間に合う。


 昔はポニーテールにしていた髪の毛を二つに分けて、三つ編み。いわゆるおさげにする。どこからどう見ても陰キャだ。よし、今日も私は、陰キャ。


「行って来ます」


 家にいる時より声のトーンを低くしてドアを開ける。お母さんの「はい」という短い返事が後頭部をつついた。


 冷たい風が頬に当たる。もう年も明けて冬休みも明けてしまい、いつもの日常が戻ってきた。


 冬休みになって会議という呪縛から解放されていた私だけれど、今日からまた縛られるのか。この時間に。

 時刻は六時四十五分。うちは私立中学校だから、登校時間自体が早い。っていうか、会議が七時から始まる時点で頭がおかしい気がするけれど。


 自然と歩くスピードが速くなる。委員長として、絶対に遅刻してはいけないというプレッシャーがあるのだ。


 私のクラスの一年A組の担任は学校でも厳しいと有名で、何か最適解自分が正しいと思う答えじゃないことをすると必ず怒る。遅刻なんてしたら何をされるか分からない。


 私にとって、学校ほど窮屈なところはなかった。


 家だって厳しくて良い成績を取らないと怒られるけれど、それは私のことを想っているからだってことは、お母さんの優しい目元を見て知っている。


 でも学校は、いつも担任が私を監視していて、私を良いように扱うクラスメートがいる。そんな私の様子を職員室の色々な先生が見ているけれど、その先生たち含め誰も私とは話したがらない。


 私にとってはちょうど良かった。私は人と関わるのが、小学六年生から苦手になった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ねーねー、紬っていい子ぶってると思わない?」

「わかるー。あいつドラマ好きでしょ。多分それに影響されたんだろうね、元気だけどたまにいいこと言うキャラ演じてるじゃん」

「なんか心の奥が冷えてるのが丸見えなんだよね。そりゃこっちも真剣に付き合うわけないっつーの」


 小学六年生、ある春の日。放課後の教室で話していたのは、私が当時最も仲良くしていた三人だった。

 ついさっき、「委員会の仕事があるから先帰ってて」と言うと、「紬と一緒に帰りたいし待ってるよ!」と言ってくれた。


 ——信じていたのに。


「なんか、紬と関わってると疲れるわ~」


 違った。


 みんなは……私のことなんか、友達って思ってくれなかったんだね。


 私は、君たちに騙されていたんだ。


 そう思った途端、心が冷えた。


 人と関わることが馬鹿馬鹿しくなった。

 どうせあの三人も、いつかバラバラになるんだろう。


 次第に心が離れて行く三人の様子を見ながら、私はポニーテールにしていた髪をおさげにして、コンタクトを取ってメガネをかけて、知り合いが誰もいない私立中に入るために猛勉強した。


 学校なんか行かなかった。


 合格もギリギリだった。受かった時はホッとしたけれど、何より三人と離れられることが嬉しかった。

 あんな心の汚い人たちとこれからも会えなんて言われたって、絶対に無理だ。


 だからもう、誰も信じないことにした。


 信じたら、また私がけがれていく気がして。


 分かっていた。じゃなくなっていたことは。


 こんなことを知る前の自分に戻りたいのも事実。


 それでももう、あんなのはうんざりだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 いつものように三十人程度に見られながら話す会議の報告。今まで約一年間やって来たはずなのに、まだ慣れなかった。


 人に見られるとドキドキする。私を騙そうとしているんじゃないか、陥れようとしているんじゃないかと思ってしまう。だから目を合わせることもできなかった。


 自意識過剰かもしれないけれど、仕方なかった。


 自分の報告が終わったら、どっと疲れが押し寄せる。一番後ろの席で他クラスの報告を聞いていたはずなのに、いつの間にか眠気にのまれていた。


 自分が寝ているのは分かっていた。起きなければいけないのも分かっていた。

 先生が見ている。何より、隣の席の人にバレてしまう。あとでチクられてしまうだろう。


 昨日は良い成績をとるために、夜四時まで勉強した。そのあと一週間のまとめの委員長会議のための資料を作って、結局寝たのは五時半。今日は三十分も寝れなかった。


 それでも眠りの世界は心地よくて、どんどんと引きずり込まれていく。このままじゃ本当に眠ってしまいそうで——。


 担任が見ているのに……。


 つんつん


 ほっぺに柔らかい感触。ぱっと目を開けた。


 隣の席の人の右手が、私の頬のすぐそこにある。きっとこの人が私の頬をつついたんだ。

 起こしてくれたんだろう。幸い周りの先生たちは気づいていなかったようで、お礼を言おうとする。


 それで、あれ、と思った。


 いつも隣の席に座っているのは、1年B組のメガネをかけた男の子のはず。でもそこで私を見つめてくるのは、黒縁メガネじゃなくて澄んだ青い瞳。


 制服をダルそうに少し着崩している。この人、絶対に学級委員長ではない。

 代理かなんかなのだろうか。


 数秒見つめ合って、男の子はすっと目を逸らした。そうだ、今は会議中。ずっと見ていたらそれこそ会議を聞いていないことがバレてしまう。


 私は前を向いた。いつの間にか、三年生の報告の時間になっている。私はそんなにうとうとしている時間が長かったのだろうか。

 眠りとは怖いものだ。


 でも、男の子には本当に感謝した。あのまま眠っていたら、どうなっていたことか。


 そんなことを考えていたら、会議が終わった。三年生の号令により、すぐに席を立つ男の子。


 本当なら、人と話したくはないけれど——男の子は、私が今まで培ってきた信用を失わないように助けてくれた。

 お礼くらいは言いたかった。


「あ、あの……」


 久しぶりに人に話しかける。昔より掠れていた。

 男の子が振り向いた。その青い瞳に、私の焦った表情が映る。


「なに?」


 睨まれるんじゃないか、と思った。でもその目は優しくて、少し笑みを浮かべていた。金色のピアスがきらりと光る。


「さっきは、起こしてくださりありがとうございました……」


 ぺこり、と頭を下げる。よくよく考えてみたら、私はこの男の子に寝顔を見られていたのだ。はぁ、情けない。


「いや、気にしないでいいって」

「でも、お礼がしたくてっ」


 四月から我慢して溜めてきた信用。崩れ去ろうとしたのをせき止めてくれたのは、男の子。

 人と話すのは苦手だし人を信じることもしないけれど、それでも男の子には感謝を伝えたかった。


「……そこまで言うなら。今日、放課後空いてる?」

「はい、空いてます!」

「じゃ、B組の教室来て」


 それだけ言って立ち去ろうとする男の子。


「っ、ちょっと待ってください!」


 会議室を出て行く足が止まった。

 男の子がまた振り向く。マッシュヘアの髪がふわりと冬の風に撫でられた。


「あの、お名前は?」


 そう聞いて、しまった、と思う。男の子はどんどん目を丸くして、見るからに驚いたような表情だった。


「えっと、今のはなんでもなくて——」

「楓。戸塚とつかかえで


 訂正しようとした私の声に被せる様に、部屋に響いた通る声。


「あ……戸塚さん、分かりました。放課後、B組に行きます」

「楓でいいよ。なんか、さん付けも嫌い。同い年だし敬語も無し」

「えっ、ごめんなさい……」

「ふふっ、いいよ。じゃ、楓って言ってみて」


 歩み寄って来て、私の顔を覗き込む。スタイルの良い脚を折って、ひたむきに見つめてくる。その目に、心臓がドクッと鳴った。


 なに? この気持ちは——。


「えっと……楓、さん?」

「だーめ」

「んー、楓、くん?」

「それもだめ」

「え、あと何があるの⁉」


 完全にこの人のペースに乗せられている気がする。でも、一年前の三人組のドロドロした雰囲気はどこにもなくて、担任と話すよりも自然体で話すことができた。


「まぁ、そこまで言うなら楓くんでいいや。俺は紬って呼ぶからね」

「うん。……あれ、なんで私の名前を?」


 完全に男の子……いや、楓くんとは初対面だ。なんで私の名前を知っているのかよく分からない。


「——秘密」


 さっき私の頬をつついたその人差し指を唇に当てて、そう言う楓くん。

 私があっけにとられている間に、会議室から出て行ってしまった。


「ひえぇぇぇぇ……」


 完全にその表情の矢が心臓に刺さってしまった私は、そんな生気のない声を出して地面にへたり込んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 授業中はずっと上の空だった。担任みたいな怖い先生の授業が無かったことに安堵する。今日はなんだかんだいっていい日だ。


 どうしよう、放課後が来てしまった。どんな顔で楓くんに会えばいいのだろう。


 少しずつ鼓動が速くなる。周りの生徒たちは、学校鞄を持って教室を出て行く。


 深呼吸、深呼吸だ。この気持ちは恋ではない。あんなに久しぶりに事務連絡以外で、しかも自分から人に話しかけたのに、このざまはなんだろう。


 鼻から息を吸って口から吐いていると、教室のドアがガラッと開いた。


 息が止まりそうだった。


 ——楓くんだった。


 彼は教室中に視線を巡らせる。周りの女子たちが「キャー、戸塚くんだ!」「今日もめっちゃかっこいい!」「うちのクラスに何の用だろう……?」と期待を抱いている。楓くんはやっぱりモテるんだ。イケメンだし、優しいし。


 その視線が、私に止まった。


「紬!」


 ……なんでそんな、嬉しそうな顔をするの。

 期待しちゃうじゃん。そんなこと、絶対にないのに。


「え……もしかして、戸塚くんって高橋さん目当て?」

「高橋さんと話しても何もないのにね!」


 すぐそこにいる女子たちが言う。高橋、というのは私の苗字だ。


「こっちのクラスが早めに終わったから待ってたんだ。行こうぜ」


 学生鞄を勝手に持っていく楓くん。周りの人たちから視線が集中する。目立つのは苦手なのに……。


 でも。


「……うん」


 返してしまった。


 楓くんとは、できる限り関わりたかったから。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 というていでやらされたのは、学校の宿題の整理だった。テストが近いこともあり、一気に全教科のノートと問題集が集められたらしい。


 二人きりの教室。最初は話すことに緊張していたけれど、少しずつ舌も回るようになった。久しぶりに雑談をするのに、上出来だ。


「そういえば楓くん、学級委員長じゃないのになんで会議にいたの?」


 数学のノートを出席番号で並べながら、私は聞いた。何かしながらでないと、楓くんの表情を見てしまう気がして。そうしたらどうしようもなくドキドキしてしまう気がして。


「B組の委員長がインフルで休みでさ。俺、あいつと幼馴染だから頼まれて」


 幼馴染、ってあのメガネの男の子だろうか。私のように人をそんなに信じなさそうだった。会議を頼まれるなんて、楓くんはよっぽど信頼できたのだろう。


「そっか、インフルだったんだ…」


 また一つ、ノートの山に6番のノートが積まれる。


「だから金曜日まで会議俺が出ることになったんだよ」

「そうなんだ……急に早起きって大変じゃない?」

「んー、まぁね。でも紬に会えるって分かったからやる気出た」

「え?」


 ノートを整理する手を止めて私を見つめてくる楓くん。必然のように、私の作業をする手も止まる。


 私を見る楓くんの顔はみるみるうちに赤くなって、すぐにそっぽを向いてしまった。窓から入ってくる夕日がさらに楓くんを赤く照らす。


 ——期待、させないでよ。


 ノートの山に、7番のノートが積まれた。

 何も言わずに作業が再開される。


 やだよ。このまま一緒にいたら、またあの時みたいに騙される。

 私は8番のノートを積まず、机に置いた。


「……ごめん、私用事あるの思い出したから帰るね」


 あの時出なかった涙が、今になって溢れそうになる。視界が滲む。学生鞄を引っ掴んで走り出した。


「えっ、ちょっと、紬っ!」


 9番のノートを私と同じように机に置き、追いかけてくる。私は追いつかれないように教室を飛び出す。


 こんなみっともない姿、見せたくない。無情に涙は零れ落ちる。


 走った。走って、走った。


 あの三人組の素性を知らなければ。


 ——私はもっとまともな恋ができたのだろうか。


『騙される』なんて疑わず、楓くんを好きでいられたのだろうか。仲良くできたのだろうか。


 あの前に戻れたら。あのタイミングで教室に戻っていなければ。もっと他のことに気を取られていれば。


 ——あの頃に帰れたら、どんなによかっただろう。


「紬!!」


 ついに、手首を捕まえられてしまった。これから私は何を言われるのだろう。


 楓くんは、悪口を言うような人だったっけ。


 もう分からないよ。何も分からない。分かりたくもない。


 楓くんがどんな人かなんて、考えたくもない。どうせまた私を陥れるんじゃないの?


「——田畑公園の松ぼっくりの木」


 私は顔を上げた。


「俺は、幼稚園生の頃のかえくんだよ」


 聞き慣れたそのあだ名。六年間呼ぶことのなかった、辞書の中に仕舞われた言葉。

 ゆっくりと、振り向く。


 その優しく微笑んだ表情は、昔のかえくんと重なった。


「……かえ、くん? 楓くんは、かえくんだったの……?」

「そう。紬、俺のこと忘れてた?」

「かえくんのことは忘れるわけないよっ。ただ、楓くんがまさかだとは思っていなくて……」


 そう。幼稚園卒園とともに引っ越してしまったかえくんは、もっとこんな見た目は気が強くなさそうで、結構泣き虫で守ってあげたい存在だった。


 見かけが変わりすぎていて気づかなかったけど、私を見るそのひたむきな青い瞳は変わっていなかった。


 かえくんがいじめられて泣いていた顔、

 手を差し伸べた私を見てくしゃっと笑った顔、

 遊んでいる時の無邪気な顔、


 ——別れ際の悲しそうな顔。


 今更になってそれが全部蘇って、目の前の楓くんと重なる。


「小学校であったことも大体わかる。紬を見てれば」


 私の手首を掴んでいた右手を外し、両手で私の手を包み込む。額と額がこつんと当たる。


「どんなに紬からみんなが離れたって、」


 額に柔らかい感触があった。

 そのあと、息もできないくらい強く強く抱きしめられる。


「俺だけは、絶対に紬から離れない……」


 ぎゅっと制服を掴むその仕草に、小さい頃かえくんが私の服の袖をくいっと引っ張った名残があって、思わずくすっと笑ってしまった。


 耳元できらりと光るピアスも、着崩した制服も、あの頃の自分を払拭して前を向くため、私から離れないためだったんだね。


 さっきとは違った意味の涙が出てきた。


 そうだよ。

 あの三人は裏切った。


 私と仲良くしてくれていたのに、離れていった。悪口を言われた。それは事実。


 でも今こうして、私のことをずっと見てきてくれた楓くんが私を抱きしめているのも、信じてくれているのも、彼を私が信じているのも事実なんだ。


「楓くん、ありがとう……」


 とめどなく涙が流れる。


 彼は身体を離して私のそんな情けない表情を見て、指先で涙を拭ってくれた。


 視界がクリアになる。目の前には、今にも泣きそうな楓くんの姿。


「こっちこそ。あの時紬が仲良くしてくれなかったら、今こうすることもできてない」


 楓くんが私の手に指を絡ませる。


「本当に、ありがとう……」


 青い瞳から、一筋の涙が流れた。


 感謝するのは、こっちだよ。


 楓くんが私を見つけてくれなければ、こうやって話すことさえもなかったんだから。

 また人と関わることもなかったんだから。


 君は感謝しなくていい。


 これから数えきれない感謝を、君に伝えていく。




 三人が私を騙していたと知る前に帰らなくて良かったんだ。


 あの出来事も確かに私の過去で、拭えきれない傷ができた。


 でも、それさえも癒してくれるような存在の君がいる。


 君の存在に。君の言葉に。


 ありがとう。


 真っ正面から向かい合って、もう一度唇を重ね合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新たな想いで塗り替えていけば。 こよい はるか @PLEC所属 @attihotti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ