第2話 明かされる正体

「――ねえ、おかしいと思わない? あの家にはもう誰も住んでいないのよ?」


 わたしはその足ですぐ太一に会いに行き、事の次第を説明した。

 太一の家は村で唯一の神社で、彼はいずれ家業を継ぐことが決まっていた。


「清志郎はわたしたちに嘘を吐いている。何でなんだろう?」


「さあなあ」


 神社の鳥居から続く石段に座った太一は、眠そうに欠伸をしながら首を傾げる。


「嘘を吐いてまでこの村に来る理由がきっと何かあるのよ。怪しいわ。それに、前から思っていたけど、清志郎って何だか――人じゃないみたい」


 太一が鳥居に背中を預けているわたしを見上げた。


「それ、どういう意味?」


「そのまんまの意味。ねえ、太一はどう思う? 清志郎のこと。神社の息子でしょう? 何か感じたりしないの?」


 そう言うと、太一は「あのなあ」と後頭部を乱雑に掻いた。


「お前、昔っからそう言うけど、俺にはオヤジのような力はないんだって。お祓いだって、正しい作法で執り行えば誰でもできるんだしさ」


「――じゃあ、お祓いしてよ」


「はあ?」


 わたしは太一の隣に腰をおろすと、怪訝そうな顔をする太一に言った。


「あの転校生を祓ってよ。できるんでしょ? 正しいやり方なら、太一でも」


「待て待て、お前、冗談言うなよ。清志郎は人なんだぞ?」


「もうそんなことはどっちでもいい。だって清志郎は、わたしを――」


 わたしをこの村から追い出そうとしている――流石に太一にそう告げる勇気はなかった。


「――とにかく、清志郎はこの村にとってよくない存在なの。余所者なんていつもそう。人のよさそうな顔して、村人たちを騙していくんだから。さっさと追い出した方がいいに決まってる」


「なあ、咲良」


 改まった様子で太一に名前を呼ばれ、わたしは一瞬ドキリとした。


「……なに?」


「お前はさ、この村のことどう思ってるんだ?」


 どうして太一まで同じことを訊くのだろう――わたしは無性に苛立った。


「わたしはこの村が好きよ。ここで、両親や兄弟たちや太一と一緒に、ずっと幸せに暮らしたい。永遠にこの生活が続いて欲しい。だから、それを脅かす存在からこの村を守りたいの」


 春になれば桜が咲いて、夏になれば鮮やかな緑の山々が連なり、秋になればたわわに稲が実り、冬になれば深い雪の底で眠る。

 季節とともに巡る生活のなかで、永遠に続く幸せを感じていたい。それがわたしの願いだ。


「――そっか」


 太一は納得したように一つ頷いた。


「咲良の願いはよく分かった。でも、永遠は難しいかもな。生きとし生けるものにはすべて、終わりが来るんだって、オヤジも言ってたから」


「でも……」


「それに、今年はついに、村外れの桜が咲かなかったからなあ」


 高台にある神社からは、村が一望できる。点々と小さな屋根が並ぶ村の中心部から視線を少し動かすと、村外れの桜が視界に映った。


「――永遠なんて、ないんだよな」


 遠目からでも分かる、もはやいつ命尽きてもおかしくないほど衰えた大木を眺めながら、太一が独り言のように呟く。

 その言葉にふと、幼い頃の記憶が蘇った。

 太一が飼っていた犬が死んだ時のことだ。太一は冷たくなったその背中を撫でながら、同じようなことを言った。

 その犬が生きていた頃は、わたしもよく遊んでやったものだった。

 記憶の中の感覚を、わたしは懐かしく思い返した。あの、柔らかい毛、温かい体温、それから――人とは違う獣の匂い。

 ハッとして、わたしは顔を上げた。

 そうだ。清志郎からほんのり漂うあの匂いは――


「――咲良?」


 名前を呼ばれて振り向く。鼓動が早まる。


「ねえ、太一――」


 昔飼っていた犬のこと、覚えてる?

 あの犬と同じ匂いが清志郎からしたのよ。だから清志郎は絶対――


 そう言いたかったのに、言えなかった。

 どうしてずっと気付かなかったのだろう。

 わたしの記憶の中の太一は、四角い顔をして濃い眉毛が印象的な坊主頭の男子のはずなのに。


「どうした? 咲良」


 そう優しく尋ねる目の前の太一は、赤い髪をした儚げな顔立ちで――


「あ――嗚呼――」


 言葉にならない呻きが口から零れ落ちた。

 嗚呼、終わりが始まってしまう――

 わたしは叫び声をあげながら、転がるように神社の階段を駆けおりた。




 おさげを振り乱して辿り着いた先、わたしは清志郎の住処の戸を激しく叩いた。


「おや、咲良さん。僕に何の用かな?」


 中からは、相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべた清志郎が現われた。

 わたしは清志郎を桜の大木の下に連れ出して、問い質した。


「貴方、一体何者なの?」


「――と言うと?」


「貴方がここに来てから何だか色々おかしいの」


「色々、ね。それは何を指しているのかな。例えば、意思疎通の叶わない君のご両親のこと? 記憶と顔が違う幼馴染のこと? ――それとも、この桜が今年は咲かなかったことかな?」


 清志郎の綺麗な瞳は、何もかもを見透かすような色をしていた。

 やはり、すべての元凶はこの余所者だったのだ。

 村を守るためには、清志郎を排除しなければならない――その考えに至ったのも、そのための行動も、すべては無意識のうちの確信だった。

 わたしは右手を掲げた。


「お願いだから――私の前から消えて」


 祈るようにその手を振り下ろす。と同時に、背後の桜の大木が、急に覚醒したかのように大きな音を立てて枝を伸ばした。

 意志を持って清志郎に向かって行くその枝は、幾重にも絡みもつれ合う。

 ついには大人の手首ほどの太さになったその枝が清志郎を貫こうとした瞬間、視界に赤い髪が過った。

 あ。と思った時にはもう遅かった。桜の枝が、清志郎の前に躍り出た人物を貫いた。


「何で……!」


 左胸を貫通した枝が、傷口を抉るように回転しながらその身体から引き抜かれる。赤い髪の男は口から大量の血を吐き出し、その場に膝を折った。

 驚いているのは、清志郎も同じだった。


「お、おいっ! どうして庇った――」


 動揺する清志郎に向かって、その人は血に染まった口元を歪ませた。


「……大丈夫、死にはしないさ。ここは、だから」


「幻の、世界――」


 反応したわたしに、その人は頬を引き攣らせてみせる。微笑んだつもりなのだろう。


「残念だけど……色々と限界だから、そろそろ終わりにしないと」


「終わり――」


「なあ、咲良。もう気付いているだろ? ここは現実じゃない。この村は――。本物のお前は今もその――桜の木の下で眠っている」


 思わずわたしは自分の足元を見下ろした。この土の下に、わたしが眠っているのだという。


「何を、言っているの……?」


「お前はもう随分と昔に死んだんだ――あれは、お前が十五になる年だった。死因は、流行り病だった。同じ病に罹った太一は死の淵から生還したが、元々身体が弱かったお前は助からなかった」


 ふと目に浮かんだ、記憶の中の太一。

 そうだ、わたしが病に臥せっている時、太一はいつも見舞いにやって来たのだ。あくる日も、あくる日も。学校が終わるとすぐわたしの元にやって来ては、その日あった出来事を面白可笑しく話してくれた。

 それがある日を境に一日来なくなり、二日空き、とうとう太一の姿を見ないまま――


「お前の亡骸は、この桜の木の下に埋められた。当時村に滞在していた旅の者が、村の繁栄のためにそうすると良いと両親に助言したんだ。けれどそれは、正式な埋葬方法ではなかった。お前の魂は浄土に行くこともできないまま彷徨い、やがて桜の木と同化した」


「――どうして貴方は、そんなことを知っているの……?」


「どうしても何も、全部お前自身が教えてくれたことだろ? 咲良」


「わたしが……?」


 首を捻りかけて、ふと光景が脳裏に浮かんだ。


 ――そうか、お前は咲良というのか。良い名だな。


 赤い髪の男がそう言ってわたしに――桜の木の根に優しく触れた。


 ――分かっているだろうが、この村が廃村になって既に何十年と経っている。この先この地を訪れる者――つまり、お前にとっての養分が現われる機会もないだろう。お前の命は風前の灯火だ。最期に言い残したことはあるか?


 そう尋ねられて、わたしは言ったのだ。


 ――もう一度だけ、幸せだったあの頃に戻りたい。


 思い出した。

 これは全部わたしの願った幻。

 最期に見たかった夢なのだ。


「――これで終わり、なのね」


「悪いなあ、咲良。俺の力では、お前の望むすべてを再現することはできなかった」


 赤い髪の男は、わたしにそう謝罪した。清志郎に肩を支えられ、息も絶え絶えになりながら、それでもその人はわたしが後悔しないかを一番に気に掛けていた。太一ではなかったけれど、太一と同じぐらい優しい人だと思った。


「大丈夫」


 多分わたしは初めから、心の何処かでは分かっていたのだ。

 物言わぬ同級生、人形の如き両親、誰ひとりすれ違うことのない村、建ち並ぶ廃屋。

 ここが作り物の世界ということを、初めから。

 それでもついぞ叶わなかった学校生活を体験できて、幼馴染の太一と一緒に過ごすことができて、わたしは――


「――わたしは、充分幸せだった。だからもう、


 そう口にするまでに、幾年月がかかったのだろう。両親も、太一も、兄弟たちも、随分と待ちくたびれているに違いない。

 わたしの気持ちに共鳴するように、桜の枝が揺れる。


「そうだ、最期に教えてくれる? 貴方たちの名前を」


 誰も立ち寄らなくなって久しい廃村で、ひとり寂しく命を散らすはずだったわたし。その最期をともに過ごし、見届けてくれた人たちの名を、せめて忘れずに眠りたい。


「――俺の名は、螢蛾けいが。通りすがりの旅人さ」


 赤い髪の男がそう名乗った。わたしは頷いて、転校生に目を向ける。


「貴方は? 清志郎――ではないのよね?」


「私はむつ。螢蛾に隷従する者だ」


 そのつっけんどんな言い方に、思わず笑みが零れた。

 螢蛾と睦。最期に出会えたのがこの二人で良かったと、心の底からそう思った。


「わたしは咲良。どうか、忘れないで。わたしがここにいたことを」


 どうか。


 どうか――


 ガラスが割れるような音がして、空間に亀裂が入った。

 幻の世界を構築していた欠片が降り注ぐ。

 同時に、枯れ果てていた桜の大木が最期の力を振り絞るように一気に芽吹き、花をつけた。


 あっという間に満開になった桜は、次の瞬間、吹雪のように舞い散り、遥か彼方まで風に乗って去っていった。



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