隣の席の西村が今日も僕を帰してくれない

トレケーズキ【書き溜め中】

西村響は帰さない

 僕の隣の席の西村響にしむらひびきは、何かと僕に絡んでくる。


「ねーねー羽多野はたの、エリザベス女王って馬券外したら不機嫌になる程の競馬好きらしいよ」

「………………」


 しかも何故か下らない話ばかり。

 どっから仕入れてきたんだって位に様々な方面の話をしてくる。


「そう言えばドナルド・トランプも競馬好きで、来日した時も日本ダービーと大相撲夏場所のどっちに連れて行くかって話になったって見た事がある」

「そすか」


 帰りの挨拶を待つ教室の中で、背後から視線を感じる。

 西村はクラスの中でもかなりビジュアルの良い方で、成績優秀な帰国子女である事に加えて、人並みに運動神経も良い。当然、クラスの男子にも人気がある。そんな彼女に塩対応しているもんだから、冷ややかな目を向けられるのも無理はないのかもしれない。

 それでも僕は眉間に小さくしわを作り、顔を近づけてくる彼女に対して、そっぽを向く。


「ねーねー羽多野、ラウンドワンの社長って実は馬主らしいよ」

「………………」


 西村の話題は反応に困るのだ。別に僕競馬見てる訳でもないし、西村自身だって興味あるなんて話は聞いた事ない。こんな感じで、色々な分野の話をしてくるが、僕だけじゃなく本人だって明るくない物について話されても、大した反応も出来ず話も広がらずでおしまいになる。

 こちらに対して、「話が繋げていこう」という気持ちがあるとは思えないのだ。


「そう言えばロッテの吉井監督も馬主だって聞いた」

「それは知ってる。同じ監督で言うならハマの番長も馬持ってるというか、娘が競馬関係の仕事してるらしいし、選手だとギータも最近馬主になったらしくて……」

「………………」

「……悪い」


 西村に塩対応をするのは、別の理由がある。

 僕は会話をすると、どこかで下手をうって、相手にイマイチな印象を与えがちだ。今みたいに興味ある事についてワーッと話したり。

 折角繋がれた他人との関係も、それが影響して発展しなかったり、向こうから離れて行ってしまう。

 一度仲良くなれそうだと思った人と、無関係の他人同士に戻るのは、苦しい。

 だから僕は話す機会を選ぼうとしている。西村にだって、雑な対応こそしているものの、話し掛けてくれているのはとても嬉しい。だから彼女が離れてしまうのが怖い。


「へへっ、やっとこっち見て話してくれた」


 だけど彼女は、僕を否定しない。

 西陽を浴びて僅かに茶色に染まる髪をくしゃっと指に絡めながら、目を細めて頬杖をつく西村の表情は、他の女子が誰にも僕に向けてくれないものだった。


「へへ〜、野球好きだもんね〜。野球の話するとウグイ並みに釣れるんだから」


 そう言いながら、細めていた彼女の目に邪悪な色が生まれた。

 揶揄からかうようにこちらを指でツンツンしてくる。距離が近い。

 僕は思わず目を逸らす。


「ほら、もう先生来たから」


 その言葉を素直に聞き入れ、西村が居住まいを正した後も、僕の心臓は人知れず強く脈打っていた。

 今のも彼女にとっては、ただの隣の席の人へのコミュニケーションに過ぎないのだろう。

 そうだとしても、何でそんなに距離が近いんだよ。勘違いしてしまいそうだ。

 そんな言葉など言える筈もなかった。



 帰りの挨拶が終わり、掃除を終えても、西村の絡みは続く。

 こっそり玄関へ向かおうとしても首根っこを掴まれるし、席が隣なので掃除当番も同じなため、彼女が掃除をしているうちに退散……なんて事は出来なかった。

 でも、本気で逃げようと思えば逃げ切れるだろう。それをしないのは、話し掛けてくれる事自体に対して、きっと僕は悪い気がしていなかったから。


「ねーねー羽多野、生クリームをホイップする時の砂糖のベストな量って、生クリームに対して8%なんだよ。知ってた?」


 さっきと同じように席に座り、彼女の話を受け流す。

 僕の事を壁打ちの壁としか思っていないとしても、その壁に選ばれているのは嬉しかった。だから、それを変えてしまわないように、塩対応を貫く。


「……ねぇ、羽多野ってさ」


 だけど彼女は、そんな僕の心持ちでさえ逃してくれなかった。


「響の話、鬱陶うっとうしいと思ってたりする?」

「いや、そんな事は……」

「ならどうしてそんなに生返事や適当な対応するの?」

「……僕、ふとした発言で誰かを困惑させたり、ドン引きさせたりしてきた事があるから……だから余計な事は喋らないように気をつけてるってだけで……」


 西村が僕の事を否定した事はない。

 でも、怖かった。

 もしかしたら、今話しているこの言葉でさえ、彼女が僕から離れていく一因になっているかもしれない。そんな恐ろしさが付きまとう。



「何それ。ただ適当に相槌あいづちを打たれる方が気分良くないんだけど」



 え………………という声が思わず出た。

 その時の西村は、いつもの下らない話題を投げ掛けてくる時の抑揚のない表情でも、僕に向かって白い歯を見せていた時の眩しい笑顔でもなかった。

 声色も、いつものダラっとした締まりのない様子はなく、どことなくピリッとしたものを感じる。

 そのように思えるのは、先の言葉や今の表情が、僕に向けられたものであるからなのだろうか。

 ほんの少し、背筋が冷たくなるような感覚が通り過ぎる。


「でも僕は、西村にドン引かれたくない」

「知らないよそんなの。響にとっては、気遣いでスルーされるより、雑でも言葉を返してくれる方が嬉しいから」


 彼女の膝上の拳はギュッと握られ、体勢も少し前屈みになってきている。

 真っ直ぐな視線は、こちらが折り曲げようとしてもびくともしない位に固い。


「響は、羽多野の声が聞きたいの」


 やめてくれよ。

 鼻先、目元、声、指先。彼女を構成するパーツが近くにあるのを感じる。頭突きしようと思えば簡単に出来る距離感で、僕は息が止まる。


「羽多野と話したいの」


 やめてくれよ。

 表情筋を抑え込み、内なる衝動にカーテンをかける。


「困る……かな」


 やめてくれよ。

 勘違いしてしまうだろ。


「いや、困りはしない……けど…………どうして僕なんだ……?どうして僕にそんなに構うんだ…………?」

「うーん……やっぱ隣の座席だからってのは大きいよね」


 そう、だよな。

 後は………………と言いながら口元に指を当てる西村から、思わず視線が落ちる。指先に力が入り、ズボンに10個の皺が生まれる。

 僕と彼女は、ただのクラスメイトで、偶然隣同士になったにすぎないのだ。それ以上でもなく、何かを期待するのは、やはり勘違いなんだろう。


「Creo que teneis buena apariencia.」

「…………へ?」


 突然、西村は流暢な発音で何か呟いた。

 だが意味など全く分からない。


「Eres persona muy atractiva.」


 困惑のままに思わず顔を上げたが、彼女は萌え袖で机に頬杖をついたまま、何でもないようにこちらを向いていた。



「Te amo.」

「てあ…………?」



 戸惑いのままに、言葉はそれ以上出てこない。

 何を考えているのだろう。萌え袖で口元が隠れているため、あまり表情が読めない。


「スペイン語は全く分からないんだが」

「良いの、独り言だから」


 彼女はぷいっと横を向いた。

 独り言にしては随分とこっちに語り掛けているように見えたのだが。

 今の内容が、僕に構う理由についての答えであったとしても、それはブラックボックスだ。僕には分からない。

 その事は向こうも分かっているだろうに、何の意図があって、わざわざスペイン語で突然話し始めたのか。帰国子女というのは、皆そういうものなのだろうか。

 まったく、反応に困る話題を持ち掛けてくる事といい、西村の事は読めない。


「それよりさ、話の続きをしようよ。ドラッグストアの売上1位ってツルハじゃなくてウエルシアなの、知ってた?」


 話の流れは再び、彼女の毒にも薬にもならない雑学知識にUターン。

 結局、さっきの事を掘り返すのは難しそうだ。僕にもそんな勇気はない。

 鼻から息がこぼれ落ちて、僕は天井を見た。


 西村は今日も僕の事を帰してくれなさそうだ。

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