不器用な見習い天使は決して仲間を裏切らない

いとうみこと

リリルの憤慨

 薄暗い作業場でメルティは途方に暮れていた。破れた網は船の下まで垂れ下がり、あちこちに光り玉が飛び散っていて、とてもひとりで修復できるとは思えなかった。しかし、誰かに頼むには事情を明かさなければならない。できればそれは避けたかった。


 事の発端は今朝に遡る。メルティたちは今、女神の乗る船を作成していた。というのも、十三の月に女神は大神のもとへ里帰りする習慣があり、その際の乗り物を毎年新調することになっていて、その出発式が三日後に控えているのだ。

 そもそも大神には娘が十二人おり、メルティが仕える女神は末娘にあたる。その十二人の女神たちが一斉に大神のところへ集まるということで、必然的にその乗り物が比べられることになる。つまりは、どの女神が最も美しい乗り物で参じるか、自然と競い合いになってしまっているのだ。それすなわち、メルティたちの腕の見せどころである。


 途中まで作業は順調だった。今回は三日月のような形の細長い船にするという案が採用され、そこに洗練された精緻な装飾を施すという設計だった。しかし、最終段階になって、これでは遠目から見るとあまりにも貧弱だと言う者が現れた。その考えは瞬く間に天使たちの半分程の賛同を得て作業場を二分してしまい、そして今朝とうとう作業が完全に止まってしまった。

「これではただの三日月だ。他の女神様方の笑いものになってしまう」

「いいや、上品で清らかな我らの女神様にはぴったりだ。なにより、この細かい細工はよその職人たちにはできないだろう」

 作業場のあちこちでこのような議論が湧き上がり、下の者たちはどうしていいかわからず困り果てていた。


「皆の者、一体どうしたというのだ」

 作業場に朗々たる声が響き渡り、一同が跪く。誰が呼んだのか大天使カミエルが現れた。カミエルは暫し双方の言い分をを聞くとこう言った。

「思うような結果が得られないときどうすれば良いか。本来なら最初に戻ってやり直すのが最善だろう。しかし今回その時間はない。まずは皆の意見を聞こう。誰か意見はないか」

 ベテランの天使が進み出た。

「恐れながら、そもそも最初の設計で皆は納得したはずです。今更それを変更して工期が間に合わなくなる方が問題です」

 別の天使も進み出る。

「設計段階ではわからなかった見た目の貧弱さが明らかになった以上、そのまま進めることはできません。我らが女神様の威信にも関わることです」

 「そうだ、そうだ」の声が上がり、それを機にあちこちで再び言い争いが始まった。

「静まれ!」

 カミエルの声が響き渡り、皆が首をすくめ押し黙った。

「もっと具体的な意見はないか」


 しんとなる中、ひとりの少女が取り巻きを引き連れて進み出た。リリルだ。

「恐れながら申し上げます。いくら精密な細工を施したところで遠目では目立ちません。女神様の美しさを象徴する大振りな花細工を船のあちこちに足してみるのはいかがでしょう」

 天使たちの中から感心する声が上がる。リリルは鼻高々だ。

「なかなか良いのではないか。他に意見はないか」

(そんなにたくさんの花細工を今から作るだけの時間があるのかしら。私たちのような見習いはあまり役にたてないし。でも、これなら……)

 メルティは思い切って進み出た。

「光り玉を飾るのはいかがでしょう。網に散りばめて船を覆うようにすれば遠目からもきらきらと輝いて美しいと思います。花細工と違って雲を丸めて磨くだけの光り玉なら私たち見習いでも簡単に作ることができるので工期の短縮にもなると思います」

 リリルの時より大きなどよめきが起こった。「名案だ」「それはいい」という声があちこちから聞こえる。カミエルは満足そうに頷くとメルティに向かって

「良い考えだ、メルティ。あとは任せるよ」

と言い残して立ち去った。


 それからの作業は非常にスムーズだった。メルティたちのような未熟な天使は光り玉を黙々と作り、熟練の者が網を作り、中間の者たちが光り玉を網に散りばめた。そうして夕方までにはあらかた作業が終わったのだった。

 満足そうに宿舎へ帰る天使たちの波にメルティも加わった。部屋に戻り、雲のベッドの上で寛いでいる時に、ふとリリルの悔しそうな顔が目に浮かんだ。メルティは何だか嫌な予感がして宿舎を抜け出し、作業場へと戻った。


「リリル」

 薄暗い作業場の船のそばにリリルは立っていた。気のせいでなければ泣いていたように見える。メルティに気づくと船の高さまで舞い上がって声を荒げた。

「なによ、笑いに来たの? ついこないだまで落ちこぼれの劣等生だったくせに、ちょっと褒められたからっていい気にならないでよ。あんたの考えることくらいあたしだって思いつくんだからね」

 珍しくカチンときたメルティは、リリルの高さまで飛ぶと負けじと言い返した。

「リリルはどうしていつもそんな意地悪を言うの? 思いつくんだったら先に言えばいいじゃない。ほんとは考えもしなかったから悔しいくせに」

「何ですって!」

 リリルがメルティに掴みかかった。メルティがすんでのところでよけると、リリルは勢い余って船に掛けられた網にぶつかり、光り玉がいくつか飛び散った。

「やめてよ、船が壊れたらどうするの」

「何よ偉そうに! こんなものっ」

 リリルはメルティが止める間もなく舞い上がり力任せに網を引きちぎった。

「だめっ!」

 メルティの声にハッと我に返ったリリルは、呆然と船を見つめると

「あんたのせいだからねっ!」

と捨て台詞を残して飛び去った。ひとり取り残されたメルティは力なく床に座り込んだ。


 どれくらいそうしていたのか、静かにメルティに近づく影があった。

「喧嘩したの?」

 驚いて振り向くと、そこにいたのはまたしてもホルンだった。メルティが困っているといつも現れるホルンは、船を見上げるとどこか楽しそうに言った。

「派手にやっちゃったねえ。どうするの?」

 メルティは改めて船を見た。ひとりではどうすることもできない状態だ。でも、ホルンに手伝ってもらえば……

「それはできないよ。それより、リリルはトラブルメーカーだし、いっそのこと彼女に責任を押し付けるのはどうだい」

「やめて、リリルは口は悪いけどいつも一生懸命な頑張り屋さんなんだよ。それに今回のことはわたしにも責任があるの。リリルのせいだけじゃない」

「冗談だよ」

 メルティがムキになったので、ホルンは大袈裟に両手を広げてみせた。

「メルティはこのことを隠しておきたいんだよね? でも、それって本当にリリルのためになるのかな」

 メルティは何も言えなかった。ホルンの言うとおりだ。今ならまだ現場責任者に話ができる。どうにかリリルを説得してふたりで謝りに行こう。そうでなければリリルもわたしもこの先この仕事を続けていくことはできない。メルティは静かな決意をホルンに伝えた。

「それがいい。明日は僕も修復を手伝うよ」

「ありがとう、ホルン。じゃあ行ってくるね」

「だってさ、リリル。そこにいるんだろ?」

 いつからそこにいたのか、物陰からリリルが現れた。メルティが駆け寄ってリリルの手を取った。

「リリル、さっきは言い過ぎた、ごめんなさい。ふたりで謝りに行こう」

 リリルはメルティに握られた手を振りほどこうともせず黙っていたが、やがてぽつりと言った。

「こっちこそ、ごめん」

 メルティはリリルをぎゅっと抱きしめた。そして手を繋いだまま宿舎に向かって歩き出した。

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不器用な見習い天使は決して仲間を裏切らない いとうみこと @Ito-Mikoto

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