帰る場所

平 遊

ただいま

 目が覚めると、そこは自宅だった。

 残念ながら寝室のベッドの上ではないので、妻は目を三角にして怒っているし、


「もうっ! またそんなところで寝て! 風邪ひいても知らないからねっ!」


 おまけに自分でも嫌になるほど酒臭い。


 俺は酒飲みだ。

 それも、ただの酒飲みではない。大酒飲みだ。ザルだのウワバミだのとよく言われる。

 しかもタチの悪いことに、飲んでいる間はいつもより少し口数が多く陽気になるくらいで、他は全く酔ったようには見えないらしいのだ。――当の本人は翌日にはすっかり記憶を無くしているのだが。

 そんな訳だから、若い頃にはよく酒でやらかしたものだ。あぁ、やらかし、と言っても、セクハラ・パワハラ等の所謂ハラスメント系ではない。電車で眠りこけてしまって、気づけば自宅から遥か離れた見知らぬ駅にいた、とか。道端の茂みに頭を突っ込んで寝ていた、とか。そんな類だ。

 それがどういうことだろうか。

 結婚したとたんにピタリとおさまり、今ではどんなに酔って記憶を無くした所で、必ず自宅に辿り着いている。


「ほら、早くシャワー浴びないと。今日も仕事でしょ? 私先に朝ご飯食べちゃったから、シャワー浴びたらあなも適当に食べてね。それから後片付けよろしく!」


 バタバタと慌ただしく支度をしながら、妻が俺にバスタオルを放ってよこす。我が家は共働きだ。妻もフルタイムで働いているし、稼ぎもほとんど変わらない。だから、家事も分担。

 と言いつつ、酔って帰ることが多い俺に変わり、妻の方がより多く家事を担ってくれている。文句は一度も聞いたことがない。


 週末は、妻をデートに誘おう。思い切り美味しいランチをご馳走しよう。


 そう心に決めて、俺はバスタオルを手にバスルームへと向かった。



「ただいま」


 珍しく飲まずに早く帰宅したある日。

 先に帰っていた妻が、リビングでスマホに夢中になっていた。なにか面白い動画でもみつけたのだろう。

 なんの動画だろうか?

 妻はたまに、動画で見たレシピを参考に料理を作ることがある。もしかして、美味しそうな料理のレシピでも見つけたのだろうか?

 静かに妻の背後に近づき、


「ただいま」


 もう一度声を掛けながら、妻のスマホをチラリと確認する――


「わっ! びっくりした! おかえり」


 少し飛び上がりつつ振り向いた妻のスマホには、スピリチュアル系の動画が流れていた。


「先お風呂入ってきなよ。その間に晩飯作るから」

「うん、ありがと」


 晩飯の支度をしながら、俺は思い出していた。そう言えば妻はスピリチュアル系や超能力的なものも好きだったな、と。



 月日は流れ、俺も妻も無事定年を迎えた。

 お互いに週に何日かはパートの仕事をしているが、基本的にはのんびりとした日々を過ごしている。

 ただ、ひとつだけ困ったことがあった。それは――


「もうっ! どうしていつもいつも帰って来ちゃうのよっ! 今日は泊まりじゃなかったのっ?!」


 妻を家に残し、友人と泊まりの旅行にでかけても、朝目を覚ますと必ず俺だけ自宅に帰ってしまっていることだ。さらに酷いことには、妻が妻の友人と旅行に出かけた時などは、朝目を覚ますと俺は妻の宿泊先にいる始末。

 お陰で、俺は友人との旅行を楽しむことができず、妻もまた、俺抜きの友人との旅行を楽しむことができずにいる。


「仕方ないだろ。そんな事言うなら、早く俺に掛けた催眠術を解いてくれよ!」


 そう。

 実は妻は結婚後すぐ、俺に催眠術をかけていたというのだ。

 たとえどんなことがあっても、朝までには俺が自分の元に帰るように、と。

 そして、その催眠術の解き方を、妻はすっかり忘れてしまっている。


「解き方忘れちゃったもの、無理よ」

「じゃあ、いちいち文句言うなよ」


 そんな訳なので、お互いに離れての宿泊旅行はできないが、実は俺も妻も言うほど困ってはいなかったりする。

 何故って?

 俺たちは今でも愛し合っているし、それに。


 帰る場所があるって、それだけで幸せなこと、だからな。


 だから俺は今日も、妻の元へと帰る。


「ただいま」

「おかえり」


 ああ、幸せなことだ。


 でも、待てよ。

 もし妻が先立ってしまったら、俺は一体どこに帰ることになるのだろうか……


【終】

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帰る場所 平 遊 @taira_yuu

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