祓い屋カラスのアルバイト〜祖父腕と目を移植された高校生〜

いぬがみとうま

File.1 時給300円のアルバイト

 2024年10月。東京都の最低賃金は1163円に引き上げられた。

 『東京都最低賃金を1,163円に引上げます』

 厚労省東京労働局のホームページに書いてある。


 高校の帰りにアルバイト先である〝祓い屋カラス〟の事務所の戸を開けると、俺はタイムカードを打刻する。

 

「玄次! 今日はお前1人で行って来い。お得意さんの戸有とある不動産だ」

 一息くらいつかせてくれよ。魅華みはなねぇさん本当に人使いが荒い。


 事務所が所有しているボロい原チャリに跨がり、セルモーターを回す。

 キュルルル――。キュルルル――

 なかなかエンジンがかからない。

 ブォン。タッタッタタッタタタ――


 立河駅周辺は交通量が多く、俺が乗る原チャリはすいすいと布を縫う針のように目的地へと進んでいく。


「1丁目15番地……戸有とあるマンション……ここか」

 マンションの入口に立っている不動産屋の矢左暮ヤサグレさん。魅華ねぇさんの助手として何度か顔を合わせている。


「こんにちは。お世話になります祓い屋さん。今日は1人なんですね」

「ええ。俺も1人前になったって事っすかね」

「加茂さんが言ってましたよ。優秀なルーキーさんだって。では早速……」

 優秀なルーキー。魅華ねぇさん。いつもはキツイけど俺のこと認めてくれてるんスね。嬉しいっす

 矢左暮さんと向かう404号室が今回の現場だ。

 

「この部屋です。事故物件ってわけじゃないんですけどね……前に住んでた人が……」

「前に住んでた人が? どうしたんすか?」

「入居者が立て続けに事件を起こして逮捕されてしまうんです……毎回ストーカーで」

 

 ストーカーか。怪異の影響かもしれないな。

 魅華ねぇさんに聞いたところ、怪異によって精神的に影響を受けることがあるらしいからな。


 ギィィ――

 心霊現象が起きているマンションでこのドアの建て付けの悪さは怖い。

 俺は小さい頃から霊が見えていたわけじゃない。怖いものは〝お化け〟なんだ。

 ひょんなことから除霊ができるようになっただけで、正直いまだに怪異の類が怖い。


 1DKの間取りのマンション。

 ダイニングキッチンを抜けて洋室に入ると案の定、黒い人型のもやがに立っていた。


「うげぇ!」咄嗟に変な声を上げてしまうと矢左暮さんが震えた声で話しかける。


「やっぱり居るんですね」

「ええ。どっしりと居るっすね」

「では、よろしくお願いします」


 今日から1人で怪異祓いだが俺の右目は性能が良い。

 怪異の強さがはっきりとわかる。魅華ねぇさんもお墨付きの右目で視たところ、強い怪異ではなさそうだ。


 黒い靄に向かって黒いアームカバーをしている右手を伸ばす。

 右手で黒い靄を掴み、力いっぱい地縛している怪異を引き剥がした瞬間――


 この感覚だ。怪異の意識が流れ込んでくる。


  ꧁◇◇◇◇◆◇◇◇◇꧂


「お前、いつも同じ服着てるな! 臭ぇんだよ」

「「「キモい! キモい! キモい!」」」


 ――ここは……小学校の教室か。キモいコールはエグいな。

 

「みんなやめようよ! 人のことをキモいなんて言っちゃだめよ!」

 ――おお。優しいクラスメイトの女の子登場か。


「アスカちゃん、あ……ありがとう」

「うん。泣かないでコウジくん。またいじめられたら私が助けてあげるから」

 ――いい子じゃないか。


 コウジがアスカと下校している。


 帰宅したコウジがリビングへ行くと、母親がテーブルに肘をつきうなだれていた。


「お母さん……この服、洗濯していい?」

「仕事を増やさないでよ! ただでさえ忙しいのに。他の服着なさい」

「他のはもう小さくなっちゃって……」

「じゃぁ何? 新しいのを買えっていうの? あんたにお金なんて使いたいくないの」

「わかった……ごめんなさい」


(つらいよ……アスカちゃん……こんな家に生まれたくなかったよ)

 ――毒親か。自分の子供にこんな事言う親もいるんだな。



 場面が切り替わる。高校生になったコウジは相変わらずいじめられている。

 休み時間にクラスメイトに蹴る殴るをされる毎日だ。

 ――弱いな……筋トレでもしろよ。コウジ。


 ボタンが取れ、足跡の汚れがついた制服で下校するコウジは自宅近くでアスカに遭遇する。


「コウジくん! どうしたの?」

「あ、アスカちゃん」

「制服……汚れてるね。まだ……いじめられてるの?」

「う、うん」

「何かあったら相談してね。私が力になれることなら」


(アスカちゃんだけが僕の味方だ。他のやつは皆死ねばいい)


 場面が切り替わる。

 ――これは……コウジの部屋か。やばいな盗撮か?

 ――部屋中にアスカって子の写真が貼ってある。

 

「ふひひひ。アスカちゃんアスカちゃんアスカちゃんアスカちゃん」


 コンコン――ドアをノックする音が聞こえる。


「コウジ。ご、朝ごはん、ドアの前に置いておくわよ」

 ――これは、母親の声か。


「うるせぇ! 黙っておいて去れ! 糞豚ババア!」

 ――随分と、やばい感じに育っちまったな。

 

 クチャクチャと朝ご飯を貪るコウジは、パソコンに映る大学の講義の時間割を確認している。

 ボサボサで脂ぎった髪の毛。

 ポテトチップスで汚れた手をいつも拭いているであろう、前側が汚ないパーカー。


 コウジが大学の入口を雑居ビルの影から覗いている。

 ――大学へは行かないのか? ストーカーみたいな行動だな。

 ――っ! そうだ、こいつストーカーか。


 昼が過ぎた時間にアスカが同じ大学であろう男子学生と腕を組みながら出てきた。

 その光景をみたコウジが拳を握りしめて怒りに震えている。


「アスカちゃん! アスカちゃんには僕がいるのに誰だよ! その男」

 コウジは2人に駆け寄り叫ぶ。


「え? 誰? アスカの知り合い?」

「コウジくん? 何を言ってるの?」

「しらを切る気か? 僕が居るのに……このアバズレがぁぁ」


 ――あーあ。完全にやばい妄想に取り憑かれちゃってる感じだ。


「訳わからない事言わないでよ。キモいって」

「なん……だと? キモいだと? 人にキモいって言っちゃいけないんじゃねぇのかよ!」

「どっかいってよ! 本当にキモいッ」


「うわ゙あ゙ア゙ア゙ア゙ア゙」


 取り乱し、その場から走り去るコウジが交通量の多い道路へと飛び出す。

 瞬間――

 キィィィィ――ドンッ


 車に跳ね飛ばされ冷たい道路の感覚が頬に伝わる。

 頭から流れる熱い血が、冷たさと混じるのを感じると意識が遠のいた。

 ――コウジの感覚まで伝わってくる……。怒りと、悲しみと、虚しさと、虚無感。


(ずっとアスカちゃんだけを見てきたのに……)

(アスカちゃんは僕の味方なのに……)

(これからもずっとずっとアスカちゃんを見続けなきゃならないのに……)


 視界がプツンと黒色に染まる――


   ꧁◇◇◇◇◆◇◇◇◇꧂


「……屋さん。祓い屋さん」

 矢左暮さんの声で我に返る。404号室だ。


「すいません、ボーッとしちゃって。どのくらい時間経ちました?」

「えっと、30秒くらいですけど」

 随分長い映画を観続けたように感じるのに、それしか経ってないのか……。


「あ、除霊終わりました」

「早っ! ほんと除霊ってあっという間に終わるんですね。これ謝礼です」

「あ、ありがとうございます」


 バッグから魅華ねぇさんに渡された受領書を取り出す。

 怪異祓い料22万円。

 えっ!? 22万円だって! 高ぇ……。


「祓い屋さん、いつもみたいにまた霊がでたら返金なんですよね?」

「あ、ええ。そう聞いてるっス」

「じゃ、ありがとうございました。私はこれで失礼します」

「はい。毎度っス。また霊が出たら祓い屋〝カラス〟へ」



 腑に落ちない。解せない。度し難い。

 あれだけで22万円。俺の時給は300円だぞ!

 21万9700円の利益じゃないか。あの守銭奴め……。


「おう玄次。ちゃんと祓ったか?」

「うん。祓ったよ。祓ったけどさ、22万円はボッタクリでしょぉ!」

「家に地縛してる怪異祓いの相場が家賃の1〜2ヶ月分ね」

「じゃ、おれの時給上げてくれよ! 最低賃金って知ってるっスか? 労働法違反だ!」

「普通の仕事ならな。怪異祓いなんて職業あるかよ。法律もへったくれもないわよ」

 

 辞めてやる。こんなところ今すぐ辞めてやる。


「おい、今、辞めてやるって思ったわね。別にいいけど、辞めたらアンタ死ぬわよ?」

「だっはぁぁ! そうだったぁぁ」


 俺には魅華ねぇさんの下で祓い屋として働かなければいけないがあるのだ。

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