一話 天啓

祈りを捧げてから、一切れのパンに手を伸ばす。

黒くて硬いそのパンが、今日のわたしの朝ごはんだと知っているので、わたしはなるべく小さくなるべく何度も湿気た分厚いビスケットかというくらい硬いパンを噛んだ。そうすると、唾液で多少は柔らかくなり甘くなってお腹が膨らむことを知っているからだ。


「バチルダ、あとで私の部屋に来てください」

「はい、シスター」


土と石の白い壁で囲まれたここがわたしの住まいであり、みんなの住まい。教会の運営する孤児院だ。

田舎の村はずれにある教会の孤児院なので、お金なんてない。シスターや神父様の慈善事業だ。たまに貴族の金持ちからの寄付があるが、それでも生活には困窮している。仕方ない。シスターも、神父様も、人が好いのだ。大した労働力にもならない子供達を抱えて自分たちの食い扶持にも困っているのに、村に炊き出しをしたりしているのだから。


「バチルダ、シスターとのおはなしがおわったら、えほんよんでよ」

「いいけど、わたしが部屋に行く前に寝てたら知らないよ」

「え〜!」

「じゃあおれが読んでやるよ」

「リアムはまだちょっとしか文字読めないじゃん」

「バチルダが読んでるの何回も聞いたから覚えた!」


何回も擦り切れるほどに読まれた絵本は子供達のお気に入りだ。文字を読めることは将来役に立つので、金がない中シスターはこの本を何度も直してくれている。

そんな風に絵本の約束をしてから、わたしはシスターの部屋に入った。


「バチルダ、その……あなたを養子に迎えたいというひとが来たの」


言いにくそうに目を伏せてシスターが言った。ああ、とうとうこの日が来たかと、わたしは最悪の気持ちになった。




はじまりは、いつだったのかなんてわからない。

覚えているのはある日突然全てを思い出したことだ。おおよそ三ヶ月ほど前の地の式ことである。

地の式で水晶の光を浴びたわたしは、自分が全く違う世界から生まれ変わったことを思い出した。その時は倒れるわ高熱を出すわでシスターや神父様を心配させたし、泣きじゃくってしまった。なぜなら、わたしはこの世界の物語の悪役だからだ。

悪役。正確には、かつてヒロインだった存在とも言えるだろう。かつて追い詰め処刑された悪役令嬢の敵、ヒロイン。それがわたしだ。


──黒薔薇公爵令嬢は爪弾く。


この物語は、物語の主人公であるウルカが目を覚ますところから始まる。ウルカ・フォン・シューベルト。

かつて皇族であった少年が靴作り職人になると商いに勤しみ富を築いた。そのシューベルト公爵の血筋の、高貴な少女がウルカだ。

黒くも赤い輝きの見える美しい艶やかな髪に、その葉のような瑞々しくも深い緑の瞳をした美しい少女がウルカだった。吊り目がちで丸い瞳をしていたから、まるで猫のようで、けれども気品のある姿は一本の凜とした花を思わせるような少女だった。国唯一の公爵令嬢である彼女は蝶よ花よと育てられ、当たり前のようにすでに遠縁となってしまった血筋の第一王子との婚約者となった。

そんな彼女に悲劇が起きたのは、彼女が十六歳の時。

同い年の妹が、彼女にできたのだ。それが、バチルダだった。

伯爵家の養子となった子供が、シューベルト公爵の弟の忘れ形見であることが判明したのだ。そうして、バチルダはウルカの全てを奪った。婚約者の地位も、愛情も、国唯一の公爵令嬢という立場も何もかも奪って、この世界のヒロインとして彼女は幸せになった。妹となったその日からバチルダをいじめたウルカを処刑して。

そうして処刑されたウルカは六歳の頃に逆行して目を覚ます。

その日、ウルカは自分が死んだことと同時に、かつての自分が前世で読んでいたロマンス小説のヒロインの敵役だったことを思い出し、そして、バチルダに復讐を誓うのだ。なぜって、ウルカを断罪した罪は全て、バチルダが捏造したものだったからだ。ウルカは、全てをバチルダに押し付けられて、殺された。もう一度やり直す機会が与えられたならば、そんなの、復讐するしかない。ウルカは、バチルダに何もかも、尊厳も自由も、命も、言論も奪われたのだから。そう、この物語は、ウルカという公爵令嬢の復讐だ。そして、わたしはその復讐の相手──というわけだった。

つまり、所謂悪役令嬢転生復讐モノの敵役が、わたしというわけ。最悪である。だって、すでにわたしは彼女に憎まれている可能性が高いのだ。わたしにとって都合がいいのはバチルダがまだウルカになにもしていない物語であることだ。そっちならいいな、と思う。なーんもしていないのに、わたしはバチルダであるというだけで憎まれるんだから。わたしは生まれ変わって違う人間なんです〜なんて言えばいいかっていうと、きっと、絶対そんなの聞いてくれない。わたしだったら聞かない。憎む相手がそこにいるのに、本人じゃないから知りませんなんて言われてはいそうですかとは言わない。言うわけがない。それに、ウルカはわたしが思い出すより少し前に目覚め、動き出しているはず。だから、わたしの知らない物語であればいいと思う。けれども、わたしは知っているから、ウルカの物語であることを前提に動く必要があった。なんでって、ウルカの物語であれば復讐から逃げ回る必要がある。

そして、その分岐点がまさしく今、わたしに襲いかかってこようとしていた。


「お相手は貴族様よ。きっとここにいるよりも、貴方はいい生活ができると思うわ。けれど……」


シスターは言い淀む。わかっている。貴族の中に入っていくということは、今よりは生活はよくなるかもしれないが、だれも守ってくれる大人がいないということだ。ここにいれば、生活は苦しくても、シスターや神父様が守ってくれる。でも、貴族はそうじゃない。そもそも貴族が養子をとるのは、孤児の子供に利用価値がある時だ。


たとえばそう、魔法が使える、とか。


この世界には魔法がある。魔法を利用するためには魔力が必要で、魔力を持つのはもっぱら貴族であった。血統と魔力は比例する。けれども時折、平民や孤児にも強い魔力を持つ子供が生まれることがあるので、貴族はその子供を養子に取ることがあった。

養子にとって、教育を施し魔法学校に入学させ、魔法使いとして育て上げる。家名を上げる貴族の道楽だ。けれど、うまく育たなければ?そうなれば貴族は見る目がないと揶揄されるし、養子となった子供だってまともな将来は望めない。つまり、失敗は許されない。養子となる以上、偉大なる魔法使いになる義務があるのだ。

けれども、そのかわり養子が大成すればそれなりにいい生活が約束されるし、食べるものにも困らない。シスターや神父様はそんなことを求めていないだろうけど、わたしが上手くやればこの教会に多額の寄付金もくれるだろう。それに、わたしは地の式で白い輝く光を出した。将来を見込んできたに決まっているので、寄付金はかなりのもののはず。それがあればこのボロい教会だって建て直せるし、みんながやわらかなパンにあたたかい具がたっぷり入ったスープだって飲めるはずだ。みんなの未来を思えば、わたしは養子に行くべきだと、思う。でも、その声が掛かったのはあの地の式から三ヶ月してから。きっと、シスターと神父様が倒れたわたしを気遣ってくれて、話を先延ばしにしてくれたんだろう。わたしが養子になった方が二人にだっていいことのはずなのに、二人はわたしを気遣ってくれたのだ。

多分、養子にいけばウルカに一歩近づく。行きたいか行きたくないかで言えば行きたくない。だって、わたしはまだ死にたくない。ウルカは十六歳で処刑された。物語のウルカは、同じ十六歳でバチルダを処刑し殺した。あと、九年。九年でわたしはどれくらい足掻けるだろう。頭脳は間違いなく天才であったウルカには勝てない。ウルカは現代知識も活用してこれから鉱脈を当てその資金で化粧品を作成し富を築いた。わたしは、ただのOLで、そんな知識は一つもない。死ぬかも知れない。


「バチルダ、断ってもいいのよ。貴女の人生だもの。貴女の生きたいように生きるべきだわ」


いつのまにか服の裾を強く握りしめていたらしい指先をシスターのあたたかな両手が包んでくれていた。恐怖でか、冷えた指先が温もる。あたたかい。


「シスターは、生きたいように生きているの?」

「もちろん!汝隣人を愛せよ。この言葉のとおりに生きるって決めたのよ」


死にたくない。生きていたい。シスターの笑顔が、わたしには眩しくてシスターの首に腕を回してわたしはシスターに抱きついた。


「シスター、わたし、養子に行く」


こんなやさしいひとたちにすこしでもいい食事を渡せるなら、わたしが地獄への切符を握ることくらいわけないんじゃないだろうか。それに、ウルカはきっと、わたしがこの教会にいても殺しにくる。ウルカは、逆行してまだ悪事を働いていない頃のバチルダを見ても殺すことを躊躇してなかった。あそこで殺すのは勿体無いと思って、殺すのは処刑台と決めていたから殺さなかっただけで、ウルカはわたしが今からウルカになにもしなくても殺すはずだ。

どっちにしても殺される可能性があるなら、きっと、これで間違いないはずだ。


「ねえシスター、シスターは、憎むこととかないの?」

「それでも隣人を愛するのよ」

「?」

「一念天に通ず。憎しみより愛が強ければ、愛が勝つわ。たとえばそうね、包丁で刺されても包丁より身体が固ければ刺されないでしょう?」

「そ、それだ〜!!」


流石シスター、神のしもべ。

その日、わたしに天啓が降りた。

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聖なる乙女の生存戦略 イガラシサイキ @iga_sai

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