第3話 再生の始まり

第2章:再生の始まり


 庭に立つと、枯れた茎や草が絡まり合い、一面に広がっていた。どこから手をつければいいのか途方に暮れる。だが、何もしないままでいるわけにはいかなかった。


祖母のノートには、「手をかければ植物は必ず応えてくれる」と書いてあった。その言葉を信じて、私はまず目の前の雑草を取り除くことにした。


 剪定ばさみを握り、枯れた茂みを一つずつ切り取っていく。手袋越しに茎の硬さや蔓のしぶとさが伝わり、思っていたよりも作業は骨が折れた。


1時間も経たないうちに汗がにじみ、手の疲れがじんわりと広がってくる。それでも、祖母の庭を少しでもかつての姿に戻したいという気持ちが、私を動かし続けた。


ふと足元に目をやると、小さな緑の芽が顔を出しているのに気づいた。雑草だと思って抜こうとした手が止まる。どこか見覚えのある葉だった。


「これ……ラベンダー?」


土の中から、かつて私と祖母が植えたラベンダーの芽が新たに育っていたのだ。その小さな命に気づいた瞬間、心の奥がじんと温かくなった。


「まだ、ここにいたんだね」


ひとりごとのように呟くと、まるでその芽が答えてくれるかのように風がそっと揺れた。


 数日後、庭の掃除をしていると、道を挟んだ向かいの家から声をかけられた。


「あら、久しぶりねえ」


振り向くと、祖母の家に隣接する老夫婦の姿があった。彼らは私が幼いころから祖母と親しくしており、庭の植物についてよく話をしていたのを覚えている。


「丹野さんのところの娘さんだったかしら。こっちに戻ってきたの?」


「いえ、しばらく放置していたこの庭を手入れしようと思って……」


私の言葉を聞くと、奥さんは驚いたように目を見開き、次ににっこりと笑った。


「おばあちゃんも喜ぶでしょうね。手伝いが必要なら、いつでも声をかけてちょうだいね」


その言葉に救われたような気持ちになった。


 老夫婦は祖母が育てていた花や木についても覚えており、私にいくつかアドバイスをしてくれた。


「ここのバラは品種改良されたやつで、少し丈夫だから、剪定すればまた咲くはずよ」

「それと、この梅の木は丹野さんが植えた大事なものだから、絶対に残したいって言ってたわね」


祖母が庭にどれほどの想いを込めていたのか、その話を聞きながら改めて気づかされた。庭は単なる植物が生える場所ではなく、祖母にとっては生活そのものだったのだ。


 ある日、庭で枯れ木を切っていると、若い男性が声をかけてきた。


「あの、手伝いましょうか?」


見上げると、20代後半くらいの背の高い男が立っていた。隣町に住む大輔は、以前から祖母の庭を見て感銘を受けており、「よく手入れされた素敵な庭でしたよね」と語った。


「こんなに荒れてしまって残念ですけど、手を入れればまた元に戻りますよ。僕、少しは庭仕事が得意なんで、お手伝いできるかもしれません」


その言葉に甘え、大輔とともに庭の作業を進めることにした。彼の助けを借りるうちに、庭は少しずつ生気を取り戻し始めた。荒れ果てていた場所には新しい花が植えられ、枯れ木や雑草が取り除かれたことで、陽光がしっかりと差し込むようになった。


「ここにカモミールを植えるのはどうですか?」


大輔さんが指さしたのは庭の一角だった。祖母のノートにも、そこにはカモミールが咲いていたと書かれている。


「いいですね、祖母もきっと喜ぶと思います」


庭の再生を進めながら、私は自然と祖母のことを大輔さんに話すようになった。祖母の庭への想い、植物を育てる楽しさ、そして彼女がくれた数え切れないほどの思い出――話を聞く大輔さんは、時折うなずきながら静かに耳を傾けていた。


「丹野さんのおばあさん、すごい方だったんですね」


その言葉に、胸が少し温かくなった。


 庭での作業が少しずつ進む中、近所の人々も様子を見に来るようになった。祖母の庭を覚えている人々が立ち寄り、励ましの言葉や、時には差し入れを持ってきてくれる。


「この庭、昔から丹野さんの自慢だったものね。みんな楽しみにしてたのよ」


「手伝えることがあれば声をかけてね」


庭を囲む人々の言葉に、私は驚きとともに喜びを感じた。祖母の庭は、ただのプライベートな空間ではなく、地域の人々とも繋がる場所だったのだ。


大輔さんも含めたその輪の中で、私は少しずつ自分の心がほどけていくのを感じた。孤独や後悔が癒されるように。


 庭の手入れをしている間、訪れる人々との会話が自然と増えていった。祖母のことを知る近所の人々は、彼女が生前どれほど庭を愛していたかを語ってくれる。


「丹野さん、毎朝この庭を眺めてから散歩に出かけるのが日課だったのよ」

「春になると、庭の花を摘んでよく私たちに分けてくれたわね」


話を聞くたびに、祖母が周囲に与えていた温かさに触れるような気がした。そして、そんな彼女を思い出しながら庭を整える時間は、私にとっても癒しになっていた。


ある日、大輔さんが「この庭の名前を考えてみませんか?」と言い出した。


「名前ですか?」


「はい。この庭、丹野さんのおばあさんだけじゃなくて、ここに関わるみんなの想いが詰まってる気がするんです。それを表す名前があれば、もっと特別な場所になると思うんです」


その提案に、私はしばらく考え込んだ。庭にどんな名前がふさわしいのか――祖母が残した想いと、今私たちが再生しようとしている未来。それを繋ぐ言葉が必要だった。


 庭の手入れを始めてから数週間が経った頃、大きな雨が降った翌朝だった。晴れ間が広がる空の下、庭に足を運ぶと、ラベンダーの苗が青々とした葉を伸ばし、再び命を宿しているのを目にした。


「……すごい」


祖母と一緒に植えた小さな苗が、あの時の力強さを取り戻していた。空気は澄み、雨粒が葉の上でキラリと光る。遠くには小さな虹がかかっているのが見えた。


その時、ふと思い浮かんだ言葉があった。


「『霧の庭』……」


思わず口に出したその言葉は、私が祖母と過ごした記憶、そして曇っていた心が晴れていく感覚を表しているように思えた。


大輔さんにその名前を提案すると、彼は満面の笑みで頷いてくれた。


「いい名前ですね。霧が晴れた庭――それ、まさに今のこの場所じゃないですか」


 「霧の庭」と名付けられたその場所は、少しずつ元の美しさを取り戻し始めた。庭に集まる人々は笑顔を見せ、花たちもそれに応えるように咲き誇っていく。


祖母のノートに書かれた手書きのメモを頼りに、大輔さんや近所の人々とともに庭を完成へと近づける中、私は自分の心にも変化が生まれているのを感じた。


これまで背負ってきた後悔や孤独は、庭とともに新しい命を得るように、癒されていく。それは、祖母が遺した庭の力だけでなく、庭を通して繋がった人々の温かさがあったからだ。


「ありがとう、おばあちゃん」


庭の中心に立ち、静かに呟く。その言葉は、祖母への感謝と、自分自身への新たなスタートの誓いだった。

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霧の庭 紫乃 煙 @shinokemuri

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