第2話 祖母との思い出

第1章:祖母との思い出


 荒れ果てた庭に足を踏み入れると、枯れた草が足元で音を立てた。幼いころ、この庭は私にとっての小さな世界だった。どこへ行くにも祖母の手を引いてもらいながら歩き回った記憶が、今でも鮮明に蘇る。


「ほら、こっちに来てごらん」


祖母の声がする方を振り返ると、彼女は腰をかがめて、土に埋もれた小さな花を手でそっと掘り起こしていた。

「この花、去年の春に咲いたやつの種が落ちて、今年また芽を出したのよ。すごいと思わない?」


私は目を輝かせながら祖母の手元を覗き込んだ。小さな芽が土から顔を出しているだけなのに、祖母の目はその一つにさえ喜びを見つけていた。


「これ、どんな花になるの?」

「きっとね、黄色い花が咲くわ。まだ咲いてない花を想像するのも楽しいものよ」


祖母の庭には、毎年春になるとたくさんの花が咲き誇った。ラベンダーの紫、バラの赤、キンセンカの黄色――その色彩の中で遊ぶのが私は好きだった。祖母は花の名前を一つ一つ丁寧に教えてくれたけれど、私はその名前を覚えるよりも、花の匂いや触り心地に夢中だった。


「あんたは植物が好きそうだねぇ」と祖母はいつも笑っていたが、私が覚えているのは、祖母が嬉しそうに微笑む顔ばかりだった。


 小学校の高学年になると、学校で居心地が悪くなる日が増えた。些細な理由でクラスの子たちから距離を取られ、孤独を感じることが多くなった私は、学校帰りに祖母の家に寄るようになった。


「どうしたの、そんな顔して」

玄関先で私を迎えた祖母は、私の顔色を一目見るなり、柔らかい声で問いかけてきた。


「何でもないよ」と首を横に振る私に、祖母は無理に追及することはなかった。ただ、「おやつを食べたら庭を見に行こうか」とだけ言った。


庭に出ると、祖母は私に手袋を渡してきた。

「今日は土を掘ってみない? 少しだけ大きな穴を掘って、この苗を植えるのよ」


渡されたのは、小さなラベンダーの苗だった。その香りをかぐと、ほんの少し心が軽くなった気がした。私は祖母に手伝ってもらいながら穴を掘り、そっと苗を植えた。


「ラベンダーはね、強い花なのよ。土が固くても、水が少なくてもちゃんと根を張って咲くんだから」

祖母はそう言いながら、苗に水をかけていた。その言葉が、どこか私に向けられたもののように聞こえた。


その日、庭で過ごした時間のおかげで、学校での孤独な気持ちが少しだけ和らいだ。祖母の庭は、私にとって逃げ場であり、癒しの場所だった。


 中学生になり、塾や部活動が忙しくなると、祖母の家を訪れる機会は次第に減っていった。庭に顔を出すこともなくなり、祖母と会話を交わす時間も短くなっていった。


ある日、久しぶりに祖母の家に行ったとき、庭にはいくつもの雑草が生い茂っていた。ラベンダーやバラはまだ健在だったが、その間を縫うように伸びる雑草に、庭の輝きは少しずつ失われていた。


「忙しいんだろうけど、また手伝っておくれよ」と祖母は言ったが、私は「今度ね」と軽く流してしまった。その「今度」が訪れることはなかった。


 高校生になると、祖母の家を訪れる理由がなくなり、庭のことを思い出すことも少なくなった。大学進学とともに遠くの街へ引っ越した私は、たまに両親から聞く祖母の話も他人事のように感じるようになっていた。


そして、祖母が亡くなったときも、私は大学の試験が近いという理由で葬儀に参加しなかった。それが自分の中で小さな棘となり、心に引っかかり続けるようになるのは、それから数年後のことだった。


 再び霧に包まれた庭に視線を戻す。荒れ果てた風景を前に、祖母が「手伝っておくれよ」と言った言葉が胸に響くようだった。


「……遅すぎるかな」


私はそう呟きながら、祖母の遺した植物ノートを開いた。中には手書きの文字で、花や木の育て方がびっしりと書かれている。ラベンダーのページを見つけると、「乾燥にも強いが、日当たりが必要。肥料は控えめに」と記されていた。その文字はどこか温かく、祖母の声が聞こえてくるようだった。


庭の再生をしよう――そう思った瞬間、胸の中にほんの少しだけ光が差し込んだ気がした。


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