祝福の日に捧ぐ

@Kasasagi7777

君に息吹を


柔らかな夕日が差し込む教室でふわりと広がるスカートを何となく呆然と眺めていた。くるくると回りながら楽しそうにどこかで聞いたことあるメロディを彼女は口ずさんでいる。開いた窓から入った冷たい風はカーテンを揺らしながら俺の頬を撫でる。思わず細めてしまった目を再び開き、どこまでも楽しそうな彼女に目を向けた。


「菜々子、一緒に帰るか?」

「ううん。今日は菜々子、須春くんと帰るよ。一緒にタラバの新作ドリンク飲むの!」

「そうか·····楽しんでこいよ。じゃあ、また後でな」

「うん!優くんも気を付けて帰ってね。あと、今日のご飯はハンバーグがいいなぁ·····あ、ふわふわのやつならもっといい!!」

「はいはい、分かったよ·····」


またふわりとスカートが揺れる。だんだん遠のいていくその背中を俺は最後まで見つめることが出来なかった。カーテンが舞い上がる。えも言われぬ寂寥を孕んだ冷ややかな風は俺の肺を満たしていた。ごほごほと咳が出る。教室に伸びる人影はたったのひとつだった。


俺と菜々子は世間から見れば歪な関係なのかもしれない。付き合ってもいないましてや片方は彼氏持ち、そんな男女二人が同じ屋根の下、一緒に暮らしているだなんて。幼馴染であることを差し引いても常識的にはおかしいことは十分に分かっている。分かってはいるのだ。でも·····。思わずハンバーグをこねる手に力がはいる。いけない、これではハンバーグが固くなってしまう。ふわふわのやつにすると菜々子は花のように顔を綻ばせるのだ。俺は、そんな菜々子が好きなのだ。もっと幸せにしてやりたいのだ。だが、俺には不可能なのだろう。きっと菜々子の彼氏である須春にはできるのだろうが。成形したハンバーグに指が食い込む。ああ、なんか嫌な気分だ。


ガチャリと鍵の開く音がした。菜々子が帰ってきたのだろう。ケチャップとウスターソースで作ったソースの香りが鼻腔をくすぐった。昔、菜々子の家で食べたハンバーグも同じ匂いがしていたような気がする。


「おかえり、菜々子」


ただいま、と言葉を返した菜々子はその手に巨大な紙袋を持ちながら満面の笑みでこちらを見つめた。しかしながら、目線は段々と俺から俺の持っているフライパン及びハンバーグへ移って行く。


「ハンバーグ、いい匂いがするねぇ。菜々子、お腹すいちゃった·····」

「そうかよ。じゃあ、さっさと手を洗ってこい。その間に皿に盛り付けとくからさ」

「わぁ、優くんやさしー!!」


ハンバーグを皿に盛り付け、机の上に並べる。我ながら上手く作れたと思う。じゃあじゃあと水が流れている。なんだか懐かしい気分になり、思わず笑みが零れた。明日も明後日もこんな日が続くのだろうか。そんなことに思いを馳せ、俺は菜々子の持っていた巨大な紙袋に手を伸ばした。可愛いものが大好きな彼女のことだ、また人形でも買ったのだろう。せっかく買った可愛い人形が汚れたら菜々子も悲しむに違いない。でも、もしかしたら自分への·····そんな戯言は思考の片隅に放り投げる。汚れない違う所に置いておいた方が良い、そう判断したうえでの行動だったため、慌てた菜々子の声にはひどく驚いてしまった。


「わー!!ゆ、ゆうくん!!それはまだ見ちゃだめなやつなの!」

「え、あ、そ、そうか·····それはなんかごめんな?」

「ええーと、ええーと·····」


目を泳がせ、しどろもどろになりながらも彼女は必死に言葉を紡ごうとする。しかし、適切な言葉が見つからなかったのか口をこれでもかとすぼめ、顔を俯かせた。


「·····」


どうしたのだろうか。もしかしたらその巨大な紙袋の中には須春から貰ったプレゼントが入っていたのかもしれない。最初にそれを開けるのは自分がよくて止めてしまったというのも十分に有り得る。空を切った手を強く握る。自身の心に蠢く何かを無理矢理抑えたせいなのか眉間には深く皺が刻まれた。沈黙が苦しい。


「ハンバーグ、食べるか·····」


やっとの思いで言葉を紡いだ。椅子に座り、手を合わせる。菜々子は明日が何の日であるのか覚えているのだろうか。ああ嫌だ。こんな女々しいことを考えるだなんて。ハンバーグを箸で切り分け、ご飯とともに口に入れる。そのハンバーグには口にこびりつくような気持ち悪さがあった。


しばらくして、菜々子は俯かせていた顔をおずおずとこちらに向けた。 ええっと·····と躊躇うような言葉をいくつか零して、ゆっくりとこっちに向かってくる彼女の手は俺の手を包んだ。


「ゆ、優くん·····さっきは怒鳴っちゃってごめんね·····」

「別に·····気にしてないからいい·····」

「あのね!菜々子、忘れた訳じゃないよ!」

「何をだよ·····」

「明日!楽しみにしといてね·····」


思わず瞠目する。明日·····。やっぱり菜々子にはかなわない。俺の事はなんでもお見通しなのだ。そんなところが愛しい。俺は菜々子の手を握り返す。その手の冷たさは全く感じなかった。


「ありがとう·····」

「ふふ·····優くん、まだ早いよ·····」

「そうだな·····」


あぁ、明日が楽しみで仕方がない!


夕食を食べ終わり、もう何も残っていない皿を流し台へと持っていく。蛇口を捻り、水を出す。そういえば、まだ風呂を沸かしていない。別に俺は湯船に浸からなくても特段問題は無いのだが、菜々子はたまに風呂をちゃんと沸かしてほしいと駄々をこねるときがある。可愛らしい我儘だとは思うがそのまま拗ねてしまったときは少々面倒くさい。彼女の意思を問うのが安牌だろう。


「菜々子、今日は風呂沸かすか?」

「優くんがお風呂に入りたいなら沸かせばいいんじゃないかな?菜々子はもう須春くんの家で入ったし。」

「え、あぁ·····分かったよ。」

「菜々子、眠いからもう寝るね·····」

「せめて、歯磨きして寝ろよな。」

「うん·····わかった·····」


おやすみと言葉を残し、横を通り過ぎる菜々子からは俺では無い別の男の香りがする。俺は彼女の首筋に散っていた幾つもの鬱血痕には見て見ぬふりをし、汚れた皿へと手を伸ばす。蛇口から溢れる水の異様な冷たさに心まで熱をを奪われてしまいそうだった。


シャワーを浴び終わり、体を拭く。どうせ今日もスマホを見て寝落ちしているであろう彼女のため、部屋の明かりを消しに行かねばなるまい。俺はそんなたわいのないことを考え、それを行動に移すため、タオルを洗濯カゴの中に投げ入れた。


開けると木製のドアは軋み、無様な音を鳴らす。案の定部屋は明るく、菜々子は寝落ちしていたようで彼女のスマホは枕元に放り投げられていた。そんなことなど意識の外に放り投げ、俺はみっともなく彼女の淫靡な寝姿をその目に映した。艶やかな薄紅の唇、シーツに広がるぬばたまの髪。そして、白い肌に咲く紅い花。その全部が全部蠱惑的で、嫌になってしまうくらいに俺をひどく弱らせた。絹のような黒髪を一房掬う。一本、また一本と指の間を抜け、髪は重力に従い落ちてゆく。また、俺の腕も段々と高度を失っていった。完全にシーツに着いたとき、ひやりとした感覚が手を走った。あぁ、なんて愛おしいのだろうか。俺の手に無意識的に頬を当て、笑みを零す彼女に胸が高鳴る。一種の背徳感と共にとくとくと全身に血が巡るのを感じた。菜々子がもし起きているのならきっと真っ赤に染まっているであろう俺の耳を笑うだろう。


「ふふ·····あったかいねぇ·····」


その言葉に思わず瞠目し、強ばる手から体温が無くなる。呼吸も心なしか浅くなっている。上手く回らない頭を必死に動かす。よく見れば、彼女の眼は依然として閉じられたままであった。その安堵からか、ようやく息が吸えたように思えた。


「すばる·····くん·····」


あぁ、寝言なのだ。今、彼女が俺の手の体温を通して見ているものは俺では無い。彼女を笑顔にしたのも俺では無い。本当に嫌になってしまう。何もかも。真綿で首を絞められているような痛みに意識が遠のいていくのを感じる。もう寝てしまおうか·····こんな悪夢から早く覚めてしまいたい。部屋から出ると、スマホは机の上で何度かその身体を震わせていた。


カーテンの隙間から溢れる柔らかな日差しは朝の訪れを知らせる。祝福のようにも思えるそれは己の両目を焼くようでもあった。背をのばし、机に置いていたスマホに手を伸ばす。確認すると案の定誕生日を祝うメールが沢山届いていた。他言語で書かれていたり、よく分からない写真に添えられている祝福の言葉に思わず目尻を下げる。すると、突然ドアがものすごい音を立てて開いた。あまりの驚きに肩が上がり、ぎこちない動きになる。振り返るとそこには、肩で息をする菜々子がいた。


「た、たんじょーび!!!おめでとう!!!」

「お、おう·····ありがとう·····な?」

「なんで疑問形なのぉ·····」

「まぁ、いいだろ。それよりなんだよ、そんなに急いで」

「菜々子、一番に優くんを祝いたくて·····でも、起きたらこんな時間で·····」


一番、にね·····。どうせ俺は彼女の一番にはなれないのに、俺の一番は自分がいいだなんて都合がいいにも程がある。ああだめだ。昨日のことが脳裏にちらつき、どうしてもセンチメンタルな気持ちになる。別に俺はこんな悪態を菜々子につきたい訳では無い。俺は·····。慌ただしい様子の菜々子の頭を撫でる。ふわふわではなかったがそれもまた好いものだと思った。


「ゆ、優くん·····」

「ん?」

「髪崩さないでよ·····」

「え、あ、ごめん·····」



気がつけば終わりを知らせるチャイムが鳴っていた。朝からクラスメイトに囲まれ、祝われ、なんだかむず痒い一日ではあったが、それが幸せで堪らなかった。柔らかな夕日が誰もいない教室を差し込む。窓は閉まっていて冷たい風は入ってこないのにも関わらず、隣にいる友人は寒そうであった。くしゅんと随分可愛げのある音が教室に響く。そのくしゃみが恥ずかしかったのかそいつは照れくさそうに頭を掻いた。


「えへへへ·····くしゃみをしても二人、なんちゃって·····」

「それを言うなら咳をしてもひとり、だろ·····」

「それはそう。そういえばさ、お前菜々子ちゃんとはどうなんだよ?」

「どうって、なんもないが?」

「え、付き合ってんだろ?お前ら一緒に住んでるんだし。それでなんも無いのかよ!?」

「いや·····付き合ってすらないぞ·····」

「えええ!?」


友人は目を大きく開き、明らかな困惑を表情に浮かべる。しばらくすると我に返ったのか、気まずそうに目を逸らした。そう、俺と菜々子は付き合ってもないのだ。その事実に胸が押しつぶされそうになり、少しばかり俯いてしまう。突然肩に掴まれたような衝撃が走った。掴まれたというか、普通に掴まれていた。


「じゃあ、なんで一緒に住んでんだよ!?」

「菜々子の温情的な·····」

「は、はぁ·····」

「まぁ、いつかは離れて暮らさないといけないって思ってはいるけど·····」

「そうなのか·····よし!その時がきたらオレん家に住まわせてやるよ!」

「お、おう·····ありがとうな·····住んでんの、俺ん家なんだけどな·····」

「売ればいいさ!売れば!」


なんだか心から熱いものが込み上げ、眦がじりじりと熱を持つのを感じる。たとえ軽い口約束だろうとそれは己の胸に秘めていた決心を揺るがないものにするには十分であった。夕日で照らされた教室は柔らかな雰囲気で包まれている。そろそろ帰らなければならないだろう。時計に目をやれば、友人は何かに気づいたようで俺の肩をつつく。


「あ、菜々子ちゃんお迎えタイムかぁ?」

「なんだよ、その言い方·····そうだけどさぁ·····」

「なんでもいいだろ!優、頑張れよ·····!」

「あはは·····ほんと、ありがとな·····」


階段を下り、彼女の教室へと向かうと、その教室の扉は閉まっていた。その中には誰かが​───いや、菜々子と須春だろう。弱気になってはならない。友人の言葉に背中を押され、頼りない足を前に出す。しかし、聞こえてくる明瞭かつ甘さを孕む声で交わされる親しげな会話に思わず足が止まる。疚しさはないはずだ。ないはずなのだ。


「菜々子、まだ優と暮らしてんのか?」


須春の声が響く。心臓が止まる。瞳孔が大きく開く。喉につっかえるわだかまりを必死に飲み込もうとする。須春が俺と菜々子が一緒に暮らしていることに多少なりとは不満があるのは知っていた。それはそうだ。自分の彼女と一人の男が同じ屋根の下暮らしているのだ。気が気でないだろう。聞きたくない。聞きたくないのに。頭がどんなに拒否しようとも耳は紡がれる声を拾い上げてしまった。


「そうだよ·····?」

「そろそろ、やめたらどうだ·····」

「なんで·····?」

「それは·····。そもそも、どうしてお前らは一緒に住んでんだよ。」

「二度と優くんが寂しい思いをしないようにするためだよ。」


慈愛に満ちた声で菜々子は言う。知ってる?と少し困ったようにはにかむ彼女は口を開いたかと思うとすぐに閉じてしまった。確かにデリケートな話だ。彼女が逡巡するのもよく分かる。


「俺に·····言えないことなのか·····?」

「分かんないや。こればかりは勝手に言っていい話じゃないと思うし·····」

「寂しい思いって、あいつもそういうこと言う歳でもねぇだろ·····」

「·····」

「なぁ、菜々子·····俺と一緒に住まないか?」


それが、彼女の幸せに繋がるのは間違いない。普段の二人の仲睦まじい様子を見ればわかる。自分から別れを伝えられないのは癪ではあったが、同時にひどい安堵感にも襲われた。せめて目に焼き付けなければならない。首を縦に振り、肯定の言葉を告げるであろう菜々子を。そして、認めよう。それが俺が最後に菜々子にしてやれることなのだ​────


「じゃあ、別れよっか」


今、彼女はなんと告げたのか。 息を飲む音が聞こえる。どうしてそこまでするのだろう。彼女はなんでもないように振舞ってはいるが相当無理をしている。それが分かるのも長年の付き合いがあるからこそで、須春からしたらそうは見えないだろう。


「優くんは家族なの·····すっごく寂しがり屋でね、私がどっか行くとすぐにえんえん泣いちゃう子だったんだよ。それなのにもっと悲しいことが起きちゃって、独りになっちゃって·····菜々子ね、どうしても優くんのこと独りにしたくなかったの·····菜々子は家族を悲しい気持ちにさせたまま、菜々子だけ幸せになるのは嫌なの·····菜々子は優くんのことを幸せには出来ないけど、幸せを見つけるまではせめて一緒にいてあげたい·····わがままでごめんね·····嫌だよね·····だから、別れよ。」


唇を噛み、少しばかり下を向く彼女は最後まで気丈に振る舞うことは出来ていなかった。ひしひしと伝わる場の空気に俺はいてもたっても居られなくなり、メッセージアプリに一言残して教室に背を向ける。教室の中の喧騒はどこか遠くのことのように思えた。俺は、言い知れぬ寂寥感で吐いてしまいそうだった。


『先に帰る』


明かりの付いていない部屋で先程の己の痴態を思い出す。もう菜々子がいなくとも独りでないことを気づかせてもらったばかりであるのに、卑屈な心は菜々子ばかりを求めてしまう。寂寥感なんて感じてはならないのだ。否、感じるはずがないのだ。喉元を爪で引き裂かれたかのような不快感が走る。止まらない嗚咽にいつまで経っても鳴らない鍵の音。その全てが全て俺を惨めで矮小なものへと変えていく。こんな顔を菜々子に見せる訳にはいかない、彼女の不安の種をこれ以上増やしてはならないのだ。手に込めた力はシーツに皺を作っていた。


俺はいつの間にか泣き疲れて寝ていたようだった。ふと、スプリングが軋み、隣に温もりを感じた。体を揺さぶられ、おきておきてと何度も声がかけられる。ぼやぼやとした頭で目の前の少女を眺める。頬をふくらませた彼女は大きな紙袋を手に持っていた。


「優くん、菜々子言ったよね?明日楽しみにしててって·····!寝ちゃうなんてひどいよ·····」

「う、あ·····ああ、なんかごめんな·····?疲れてたからつい·····」

「ふーん·····」


目の腫れに気づかないのか、そもそも興味が無いのか指摘は入らない。菜々子は少しばかりつり上げた目でこちらを見つめ、紙袋を手渡す。この紙袋は·····。開けると中には俺の身長の半分もある大きなクマのぬいぐるみが入っていた。菜々子は頓狂な顔になった俺を少しばかり笑い、あちらを向くクマの鼻をつつく。


「くまさん可愛いでしょ?優くん最近元気ないから労わってあげたかったの!名前でも付けて可愛がってあげてね!」

「じゃあ、熊原一平で」

「ふふ·····相変わらずセンスなぁい·····」


そんな談笑を楽しむ。しかし、心は薄暗いままで。あぁ、伝えなければ。伝えなければ。先走る気持ちを抑え、言葉を紡ぐ。なぁ、菜々子。


「ひとつ、昔話をしていいか?」

「いいけど·····突然だね·····」

「ははは、それは分かってるよ。あのさ、俺の父さんや母さんが事故で亡くなった日さ、食べたよな、ハンバーグ。あの時、もう意味がわからないぐらい悲しくて苦しかったけど、菜々子が必死に口にハンバーグを入れてくれて少し元気が出たんだ。」

「·····」

「あの日から悪夢ばっかり見てひとりじゃ眠れなくなった俺を安心させるように抱きしめてくれたよな。体温すっげぇ低いくせに温めようとしたり、ほんの少しのことでも褒めてくれたり·····親を失った俺に人の温かみを俺に分けようとしてくれて·····それで、お前が冷たくなってどうするんだよ·····そうやって無茶して、自分を蔑ろにして·····」


一度溢れた言葉は止まることなど知らず、遂には閉じ込めていた思いまで零れてしまった。ああ、駄目だ。みっともない。一生伝えるつもりはなかったのに。ごめん、こうやってまたお前を不幸にしていくんだ·····


「菜々子、好きだ·····」

「·····知ってる。でも、ごめんね·····」

「俺も、知ってた·····菜々子が須春をどうしようもないほど好きなのは·····」

「·····」

「なぁ、須春と暮らせよ·····本当は別れたくないんだろ·····」

「·····優くん、聞いてたの?」

「聞いてたよ。菜々子が辛そうな顔してたのも見た。俺は菜々子に幸せになって欲しいんだ·····俺なんかに気を使わせたくない。それに、もう寂しくないんだ·····ひとりじゃないってわかったし·····」

「さっきも泣いてたくせに·····」


シーツは濃く、色を変える。揺れる視界に伸びる手が映る。涙を掬われたかと思うと次の瞬間、頬が引っ張られた。痛みは伴っていなかったが、目は大きく開いてしまった。目に集まる光が眩しい。


「優くん、ちゃんとこっち見て。ほんとに寂しくないの·····?嘘ついてない·····?無理してない·····?​───────幸せに、なれるの·····?」

「それは、分からない。」

「ならっ​───」

「だけど、これだけは分かる。このままじゃ、俺もお前も幸せになれない·····」

「そう、だね·····」

「それに、お前から貰ったくま·····熊原がいるしな。ほんとにもう寂しくないよ。」

「ふふ·····ほんとに優くんセンスないね·····」


視界には満開に咲いた花しか映らない。なんて美しいのだろうか。咲かずその身を閉じたままの蕾は白露をひとつ零した。そして、一番最後を飾るのにふさわしいその蕾は花開く。


「優くん、誕生日おめでとう」

「菜々子、ありがとう」



鳥のさえずる声が聞こえる。太陽は燦々と照り輝き、温かな光を花にそそぐ。その無垢なる眼は焼かれることなく開かれた。隣の温もりは無くなれど、与えられた温もりが消えることは無い。体をのばし、あくびを一つ。ひどく頓狂な彼に人形は優しく微笑む。部屋には幾つもの影が伸びていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祝福の日に捧ぐ @Kasasagi7777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画