第10話 エピローグ――そして、もう一度
王城の廊下は、いつもより静かだった。
濃密な闇は消え、ダグラスの狂気じみた企みも潰えた今、人々の喧騒は落ち着きを取り戻しつつある。
その一方で、崩れた天井や砕けた壁の修復があちこちで進み、城内には作業の音だけが響いていた。
レイナは淡い陽の光が射す回廊の窓辺に立ち、ぼんやりと外の景色を見下ろす。
制服の第一ボタンは相変わらず開けっぱなしで、黒髪のロングヘアは少し乱れている。
けれど、そこに漂う空気は前とは違っていた。
「まさか本当に世界を救っちゃうとはね」
口の中で呟いてみるものの、実感は薄い。
手のひらを広げてみても、神殿の試練で見せたあのとんでもない力は、今は微塵も感じられない。
ただ、王城の人々が彼女を遠巻きに眺める視線には、以前とは違う敬意や畏怖の色が混じっていた。
「レイナ、ここにいたのね」
騎士団長セレナが、壁の向こうから声をかけながら歩み寄る。
白銀色の長髪をきっちり結い上げた姿は相変わらず凛としているが、今は鎧を外していて、どこか柔らかい雰囲気だ。
「そろそろ大広間に顔を出せない?
みんな、あなたと話したがってるわ」
レイナは肩をすくめた。
「話って言われても、私、やることやったでしょ。
もう面倒なのはゴメンなんだけど」
セレナは微笑み、彼女の視線の先を追うように窓の外を見やる。
「あなたがあの力を解放してくれたおかげで、ダグラスの闇も、門も閉じた。
世界が崩壊するところだったのが、今はこうして落ち着きを取り戻してる。
王国の人たちは、それを改めて伝えたいみたい。
それに……」
言いかけて、セレナは言葉を切る。
レイナが「それに?」と問い返すと、彼女は小さく息をつく。
「あなたがこの世界に残るのか、それとも元の世界に帰るのか、みんな気にしてるの。
国王も、あなたを引き留めたいらしくて」
「帰る……か」
レイナは自分の手の甲を見つめたまま、頭の中を巡る不思議な感覚を確かめるように瞼を閉じた。
ダグラスを倒したとき、神々が彼女にひざまずくように頭を垂れた光景が、まだ頭に残っている。
あの瞬間、神々の力すらも凌駕してしまったこの“神の血”なら、もしかすると元の世界に戻る方法を開くこともできるかもしれない。
「自由に動ける力があっても、真面目に練習とかする気はないんだけどね。
あーあ、どうしよっかな」
ボソリと口にすると、セレナが苦笑交じりに応える。
「私としては、あなたがここにいてくれたら心強いんだけど。
でも、それはあなた自身が決めることよ」
そこへメガネを光らせながら王宮魔導師クラウスが姿を見せる。
やけに分厚い書物を抱えていて、いかにも研究熱心な雰囲気だが、その顔にはどこか晴れやかな表情が浮かんでいる。
「レイナ、ちょうどよかった。
先ほど、神殿の残留結界を調べたんだ。
もしかすると、古代の転移術式――異世界との繋がりを示すものが見つかるかもしれないと思ってね」
レイナはクラウスの言葉に、ほんの少しだけ目を見開く。
「つまり……帰る手段があるかもしれないわけ?」
クラウスは「あくまで仮説にすぎないが」と念を押しつつも、ページを捲りながら嬉しそうに続ける。
「古代の文献には、“神の血を引く者が天界と地上を繋ぎ、さらなる世界へ門を開ける”という記述が散見されるんだ。
あなたの力が安定すれば、もう一度座標を探って元の世界へ転移する、というのも不可能ではないかもしれない」
レイナは「へえー」と気のない返事をしながらも、内心では少しだけ胸がざわついていた。
元の世界への未練がないわけじゃない。
SNSや動画配信を楽しみたいし、お菓子だって好き勝手に買いに行きたい。
けれど、こちらの世界で仲良くなった人たちを置いていくのも、わずかながら心にひっかかる部分がある。
セレナはそんな彼女の横顔をちらりと見ながら、小さく笑みをこぼす。
「悩むよね。
私もあなたが残ってくれたら心強いけど、自分の家に戻る選択も当然あると思う」
すると、遠くからフィロの甲高い声が聞こえてきた。
「レイナ、こっちこっち!
早くみんなの前に出てよ。
なんだか褒め称えたいらしいよー」
フィロは風に乗るようにホールを滑ってきて、相変わらず子供っぽい笑顔で手を振る。
レイナは呆れたように息をつきながら、セレナとクラウスを振り返る。
「みんなで大騒ぎされるの苦手なんだけど、フィロが呼ぶなら仕方ないか」
そう言うと、彼女は仕方なく大広間に向かう足を進めた。
そこでは、国王と貴族、諸国の代表が一同に揃って待ち構えていた。
ダグラスとの決戦を生き延びた騎士や兵士たちも、誇らしげに胸を張っている。
王が壇上で声を張り上げる。
「このたびの危機を救ったのは、朔間レイナ殿である。
その力は神々をも凌駕し、闇を打ち払った。
わがアルカディア王国は、その偉業に最大の敬意を表したい」
レイナはこういうフォーマルな場が苦手で、壇上に上がる気などさらさらないが、セレナに押し出されるように一歩前へ出る。
「えーっと……どうも。
私、別にすごいことしたって自覚はないんですけど」
そう言いかけると、王が厳かに頭を下げ、周囲の人々も一斉に礼を示した。
ちょっと重たい空気に、レイナは思わず目を泳がせるしかない。
フィロはその光景を見てケタケタ笑いながら、「レイナ、人気者になっちゃったね」と囁く。
クラウスは書物を抱えたまま、うれしそうに頷き、「やはり前例のない存在だ。
研究させてもらえるなら助かるんだが」と小声で付け加える。
セレナはそんな様子を見守りつつ、騎士の姿勢で会場の秩序を保っている。
レイナはなんとも言えない気持ちで、その場に立ち尽くす。
“帰るか、残るか”――それはまだ決めていない。
クラウスの研究が進めば、あるいは異世界との座標を探り当てるかもしれないし、フィロの精霊術が思わぬ道を開くかもしれない。
そのどちらにせよ、レイナの“神の血”という力が必要になりそうだ。
「ま、いつか戻れるなら、それはそれでいい。
でも、私は私で、当分ダラダラとこっちで過ごしてもいい気がするんだよね。
なんとかなる、でしょ」
内心でそう結論づけると、彼女の表情にはわずかな笑みが浮かんだ。
周囲の喝采に、レイナは苦笑しながら手を振ってみせる。
統一された礼服に袖を通すわけでもなく、いつも通りの制服姿のままで、それでも“世界を救った者”としてみんなに見つめられている。
もしこの先、古代の術式が解明されて本当に帰れる日が来るなら、そのときはどうするだろう。
彼女はまだ答えを出さないし、焦って決めるつもりもない。
「とりあえず、お腹すいた。
その辺のテーブルに並んでるご馳走、食べに行こうっと」
そうつぶやき、誤魔化すように足を運ぶと、フィロが「待って待って、一緒に行く」と後ろから追いかけてくる。
セレナやクラウスも、「まったく」「やれやれ」という顔を浮かべながら笑っていた。
神々が頭を垂れ、堕天神ダグラスが消え失せ、世界はどうにか崩壊を免れた。
この先、どんな新しいトラブルが待ち受けていようとも、レイナはきっと「なんとかなるでしょ」と言って軽く笑う。
その姿には、周囲の人たちを救った圧倒的な力とは裏腹の、飄々とした“現代JK”らしいマイペースさが滲んでいる。
そして今、彼女は城の大広間で、次の一口に手を伸ばしていた。
この世界をあとにするか、あるいは変わらずここで自由に生きていくか。
選択を迫られる日は、いつかやって来るのかもしれない。
それでもレイナは、小さく肩をすくめて果物をひとつかじるだけだ。
遠くから届く祝福の声に耳を傾けながら、もう少しだけ好き勝手に過ごしていたい。
努力値ゼロの現代JKが召喚されたら、神々が跪く存在だった 三坂鳴 @strapyoung
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