第9話 世界の命運と神々が跪く時

城下町に深い闇が迫り、空は嫌なほどに黒雲に覆われていた。

アルカディア王国の王城の上空には稲光が走り、まるで天が悲鳴を上げているかのような不穏な気配が漂っている。

レイナは薄暗い大広間の中央に立ち、息をのむような静寂を感じながら、視線をまっすぐ扉のほうへ向けていた。


「とうとう、ここまで来ちゃったんだよね」

彼女は制服のネクタイをゆるめながら、少し自嘲気味に笑う。

すぐ隣には騎士団長セレナが立っており、白銀の長髪をきりりと結い上げた姿で、腰の魔剣に手をかけている。

神官ダグラスが各地の“門”をこじ開け、光と闇の混ざり合う混沌を世界へ広げる――その企みを阻止すべく、もう戦わずに済ませる道は残されていなかった。


王宮魔導師クラウスはメガネの奥で厳粛な光を宿しながら、結界の紙片を何枚も広げている。

「レイナ、状況は最悪の部類だ。

ダグラスが王宮の結界をこじ開け、神殿に安置されていた古代の遺物をすべて奪ったらしい。

おそらく“門”を開く儀式に使うつもりだろう」

レイナはげんなりと肩を落とす。

「最悪とか言われても……私、そんなにやる気出ないんだけどな。

でも、やるしかないのかな」


セレナが彼女の肩にそっと手を置き、まっすぐな瞳で見つめる。

「あなたがいなければ、この世界はただ闇に飲まれるだけ。

私も一緒に戦うから……お願い。

力を貸して」

レイナは目を伏せて、深く息を吐く。

「わかったよ。

もう放っておけないのは重々承知。

面倒でも、私が動くしかないんだね」


そのとき、大広間の扉が轟音とともに吹き飛んだ。

黒髪短髪のダグラスが神官服を翻しながら、まるで練り歩くように入ってくる。

背中の刻印は黒い光を放ち、その翼の痕跡が闇と光を継ぎ合わせた不気味なオーラを漂わせていた。

「やあ、レイナ。

君たちがここで待ちかまえているなんて、感心だね」

嘲るような薄い笑みとともに、彼は銀色の小瓶を取り出す。


クラウスが目を見開き、小瓶を指さす。

「それは……闇と光の結晶を混合した液体か。

まさか、その力で“門”を開こうというのか」

ダグラスは微妙に肩をすくめながら、まるで友人に語るかのように柔らかな声を出す。

「神々に管理されるだけの世界は、もう終わりにしようと思ってね。

闇でも光でもない、真なる“混沌”が新たな可能性をもたらすだろう」


すると、広間の天井が崩れるように響いた。

天井を突き破って侵入してきたのは、半透明の闇の化身のような魔物。

セレナはすかさず魔剣を抜き、金属のきしむ音を響かせる。

「魔剣の力を解放するわ。

クラウス、援護を頼む」

クラウスは結界魔術を展開しながら、「いつでも行ける」と力強くうなずく。


レイナはその様子を横目に見つつ、ゆっくりと息を整える。

「私も……やればいいんだよね」

そう呟き、制服の袖を軽く捲る。

神々がすら恐れるという“神の血”を、彼女はまだ完全には制御できていない。

だが、放っておけばすべてが崩壊する――その事実が、嫌でも彼女を奮い立たせる。


「行くよ」

そう言うと、レイナはほとんど無意識のうちに神力を解放する。

すると、大広間全体が震え、石造りの柱から埃が舞い落ちた。

彼女の周囲が眩い光で包まれ、まるで神話の一端を再現したかのように複数の魔物が光の奔流にのみ込まれていく。

ダグラスが目を細め、「やはり君の力は規格外だね」と舌打ちを混ぜてつぶやく。


「さあ、門を開くまで、あとわずかだ。

君の力がどこまで届くか、見届けさせてもらおう」

そう言い放ち、彼は黒いオーラを纏いながら石床を蹴って飛び上がる。

天井の崩れた空間から夜空が見え、そこに浮かび上がる形でダグラスは両手を広げた。

雷が光を走らせた瞬間、空中に歪むようなゲートが生まれるのが見える。


「門を開くなんて、勝手にやらせるわけにはいかない!」

セレナが鋭い声を上げ、騎士の足取りで一気に跳躍し、魔剣を突き出す。

だがダグラスはわずかに身をねじって攻撃をかわし、闇のオーラで返り討ちを狙おうとする。

そこへクラウスの結界魔術が加わり、セレナの身体を防護するように光のバリアが展開された。


レイナは下から見上げながら、門の裂け目が広がっていくのを感じる。

「このままじゃまずい。

どうにかしなきゃ」

そう思いつつ、彼女はごく軽い気持ちで右手を突き出す。

すると驚くほど簡単に膨大な神力が噴き出し、空中の闇の渦を貫くように閃光が放たれた。


雷鳴に似た衝撃音が響き、ダグラスのオーラが一瞬だけ揺らぐ。

「くっ……!」

彼の背中の刻印から血のような闇が滴り落ち、それが空中へ黒い線を引きながら散っていく。

門の扉が一部壊れかけているが、ダグラスは必死に結界の紋章を再構築しようと試みる。


すると、突如として大広間の床が割れた。

そこから現れたのは精霊王フィロ。

風や花びらを伴って軽やかに浮かび上がり、金色の瞳をダグラスへと向ける。

「やめたほうがいいと思うけど。

闇と光を混ぜて世界を作り直すなんて、僕には退屈にしか感じないよ」

子どもっぽい台詞にも聞こえるが、その言葉には強大な自然の力が宿っている。


ダグラスは唇を歪め、「退屈かどうかなど、知ったことではない。

神々の傲慢こそが、世界に歪みを生んでいるんだ」と言い放つ。

だが、その声には若干の焦りが混じっていた。

レイナの神力とフィロの精霊術の両方を前にして、万全ではいられないのだろう。


「あなたがどんな理屈をこねても、この世界をむちゃくちゃにするのは許せない」

セレナが再び剣を構え、クラウスも後方で魔術の詠唱を始める。

その光景を下から見上げていたレイナは、「もういいか」とばかりに肩の力を抜く。


「全然努力してないけど、本気で行くよ」

そう言葉をこぼすと同時に、レイナの身体から信じられないほど清浄な光が噴き出した。

まるで世界そのものを塗り替えるかのように、光の奔流が大広間を埋め尽くす。

ダグラスは必死に翼の刻印を光らせて闇の渦を形成するが、その闇すら溶かされてしまうかのように吸い込まれていく。


「そんな、馬鹿な……!」

ダグラスの声が震え、視線は完全にレイナへと釘付けになる。

レイナの瞳からは不思議な輝きが揺らめき、まるで神々の意志すら凌駕するかのようだ。

頭上の門は半壊し、闇と光が入り乱れる空間がきしむように歪んでいる。


そして、その光の中心に立つレイナを、セレナもクラウスもフィロも息をのむように見つめていた。

異世界から呼ばれた少女が、神の血による桁外れの力をここで完全に解放してしまった――そんな衝撃が場を支配する。

クラウスはかすれ声で「まさか、ここまでの……」と目を見開く。

セレナは剣を握る手が震え、「神々すら……」と口の中で言葉を飲み込む。


まるで天上から光の階段が降りるように、レイナの背後に純白のきらめきが立ち上る。

そこへダグラスが最後の力を振り絞って飛び込んでくるが、その試みはレイナの放つ一閃でかき消された。

「もう……終わりにしてよ。

こんな面倒、まっぴらだから」

レイナが舌打ちまじりに呟くと、神殿の闇を抱えた堕天神ダグラスは苦悶の声を上げ、闇の刻印が崩れていく。


その瞬間、大広間の床と壁が眩い光で満ちた。

まるで時が止まったような静寂の中で、ぼろぼろの神官服を引きずるダグラスが膝を突き、悔しそうに顔をゆがめる。

レイナを仰ぎ見る彼の瞳には、畏怖にも似た感情が宿っていた。


「こんな、理不尽な力……神々の下僕として生まれたはずの私が、なぜ……」

呆然とつぶやくダグラスの背中からは、闇の羽根がゆっくりと消え失せていく。

すると、どこからともなく他の神々の気配が漂い、淡い光の人影が姿を示しかける。

クラウスはうっすら汗を浮かべ、「神々が顕現している……?」と動揺を押し隠せない。


「私たち、呼んだつもりはないけど」

レイナは目を細めながら、その人影たちを見つめる。

だが、その神々しさを放つ高位の存在たちは、レイナへ無言のまま一瞬だけ姿を向け、そして静かに頭を垂れた。

まるで“この力には逆らえない”とでも言わんばかりに。


神々が跪くように身を低くすると、レイナは思わず目を丸くする。

「え……ちょっと待ってよ。

私、別にこんなの望んでないんだけど」

セレナやクラウスも言葉を失っている。

フィロだけが子どものように面白がるような表情で、「やっぱり、レイナはすごいね」と感心していた。


ダグラスは悔しげに拳を握り、崩れかけた闇のオーラを必死に集めようとする。

だが、その闇はレイナを中心とした光の渦にかき消され、もはやどうにもならない。

「認められない。

こんな娘が、神々の頂点に立つなど……!」

それでも膝をつく姿勢から立ち上がれず、彼は唇を噛みしめた。


レイナは大きく息をつき、崩れかけた大広間を見渡す。

「ここまで来ちゃうと、私もどうしたらいいか分かんないよ。

ただ、あんたがやろうとしてた“世界の破壊と再構築”は遠慮したい。

ってわけで……負けを認めてよ」

神々と同じように、膝を折っているダグラスにそう告げると、彼は痛ましげな視線をレイナに向けた。

「……神の血を引く者か。

いずれ、その力も自らを滅ぼす呪いとなるだろう」

彼の言葉には微かに弱々しい闇が混じり、周囲を取り巻く空気がまた沈黙に包まれる。


セレナは剣を鞘に収め、足を踏み出す。

「ダグラス。

あなたの企みは潰えた。

これ以上は世界を巻き込む罪を犯さないで」

クラウスも結界を解きながら、レイナの背を見つめている。

「本当に……ここまでの力を見せつけられると、神々が膝をつくのも道理かもしれないね」


レイナは大きく伸びをしながら、「疲れたー」とだるそうに口を開く。

「もう面倒なことはたくさん。

私、こんなすごい力とか本当はいらなかったんだけど……」

そう言いつつも、彼女の周囲にはまだ薄い光が立ち上っている。

神々がなおも畏敬の念を向ける中、その光を自覚しているのかしていないのか、レイナは無邪気に唇をとがらせた。


ダグラスの闇は完全に消え、開こうとしていた門も崩壊し、夜空の裂け目が閉じていく。

城の天井には改修が必要な大穴が開いているものの、世界そのものの崩壊は阻止されたようだった。

フィロがひらりと宙を舞い、レイナの肩に軽く手を置く。

「おつかれ。

レイナの力、本当に面白いね。

またどこかで気が向いたら遊ぼうよ」

そう告げると、風や花びらとともにふわりと姿を消す。


セレナは傷だらけの床を踏みしめながら、静かにレイナの肩に触れる。

「よくやってくれた。

あなたのおかげで世界は救われたと言っても過言じゃない」

クラウスもうなずき、「神々にすら屈しない力……本当に存在したんだな」と感嘆を漏らす。


レイナはため息交じりに一歩踏み出す。

「もう自由にさせてくれないかなー。

世界救っちゃったなら、私のやることって終わりだよね。

スマホもないし、暇つぶしが少ないんだよ……」

彼女の言葉に、セレナとクラウスは思わず吹き出しそうになりながらも、安堵をにじませる。


周囲に集まっていた神々の気配は、先ほどまでの威厳を失い、レイナに礼を示すようにかすかに震える。

高位の存在と呼ばれながら、彼らは今この瞬間だけはレイナの前に完全に頭を垂れていた。

そして、やがて消えゆく光とともにそれぞれの領域へと戻っていく。


レイナは取り残されたように、その場にぽつんと立ち尽くしたまま、焦点の定まらない瞳で天井の穴を見上げている。

「あーあ……戻れないなら、せめて暇を潰す方法考えなきゃ。

私、戦いより平和なダラダラ生活が向いてるんだけどな」

そう不満をこぼしながらも、その横顔にはわずかな達成感が漂っている。


神々が跪き、ダグラスの闇が消え失せた大広間で、彼女の“神の血”は今も静かな輝きを放ち続けていた。

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