第8話 決戦への序曲

アルカディア王国の王城では、灰色の曇天を背にして大広間が特別な装飾で満たされていた。

各国からの使者を迎え入れるため、長いテーブルに彩り豊かな食事がずらりと並んでいる。

しかし、その豪華さとは裏腹に、人々の表情はどこか沈んでいた。


「なんだか、みんなピリピリしてるよね」

レイナが大広間の隅に寄りかかり、ぽつりとつぶやく。

彼女はいつも通り制服の第一ボタンを外し、黒髪をだるそうに結んだままでいる。

周囲では貴族や要人たちが、不安げにそれぞれの席についたり、別室での協議に向かったりしていた。


王宮魔導師クラウスがメガネを押し上げながら、書簡をバサリと手元でまとめる。

「ダグラスが引き起こそうとしている“闇と光の混ざり合う力”について、各国は危機感を強めているんだ。

ノルダーレ公国やミストリバー連邦も、表向きは兵器や技術協力を口実にしてきたけれど、実際は闇の侵食の情報を求めて集まってる」

「ふうん。でも、こんな会議して、うまくいくのかな」

レイナは退屈そうにあくびをこらえる。


すると、騎士団長セレナが静かな足取りで近づき、小さく肩をすくめた。

「いま大広間に集まっているのは、王や貴族、それに各国の代表たち。

いざというときは互いに協力しましょう、と条約めいた話し合いになるはずだけれど……本音では皆、自国の利益を優先するわ。

闇の力に対抗できるのは“神の血”を持つレイナくらい、というのも気に入らないのかもしれない」


レイナは複雑そうに眉を寄せる。

「まったく、私ってそんなに信用されてない感じなのに、頼られても困るんだけどね。

あーあ、もうスマホでもいじってサボりたい」


セレナは思わず小さく笑う。

「でも、あなたは嫌々ながらも助けようとしてくれるでしょ。

すでに各地で闇の侵食が報告されているし、ダグラスが本気で世界を混沌に陥れようとしてるなら……やっぱり、ほうっておけないもの」


レイナは曖昧にうなずき、壁際に備えられた椅子に腰を下ろす。

心底「面倒くさい」と思いつつも、放置すれば国どころか大陸全土が危機に陥るかもしれない。

そんな予感を拭い去れない自分に、わずかな焦りを感じていた。


やがて大広間では、王と各国の要人たちによる協議が始まる。

壇上で王が「我がアルカディア王国は、ダグラス神官長の動向を重く見ている。

各国での闇と光の混在現象に対処するため、力を合わせなくてはならない」と宣言する。

ノルダーレ公国やミストリバー連邦の代表も、口々に同意を示すが、それぞれが慎重な表情を浮かべていた。


クラウスはその光景を眺めながら、小さく嘆息する。

「本気で結束するには、まだ信頼が足りない。

けれど時間がないのも事実だ。

ダグラスがいずれ“門”を開こうとしているかもしれない――そういう話も出てきた」

「門?」

レイナは眉をひそめる。


セレナが魔剣の柄を指でなぞりながら口を開く。

「ノルダーレ公国の古文書に、“神々の領域へ続く門”が記されているらしい。

ダグラスは堕天神として、その門を利用し、闇と光を混在させて世界を再構築しようとしている可能性があるわ。

私たちは何とかそれを阻止しなきゃいけない」


レイナは頭を抱えるように両手を組み、気の抜けた声を漏らす。

「やっぱり大ごとになってる……。

私、そろそろ逃げられなくなってない?」


クラウスが苦笑して「気持ちはわかる」と返しながらも、メガネの奥で鋭い眼差しを光らせる。

「でも、あなたが逃げたら、本当に誰もダグラスに対抗できない。

神々も、ダグラスのような堕天神には直接干渉しづらい仕組みがあるはずだから」


すると、そのとき大広間の入り口付近でひらひらと花びらが舞い落ちた。

まるで風が吹いていないのに、その花びらは水色に変わり、少年のような姿へと変化していく。

「フィロ……」

レイナがその名を呼ぶと、すべての視線が一斉に集まった。

精霊王フィロが相変わらずの無邪気な仕草で、大広間の中を見回しながら歩み寄る。


「何だか人がいっぱい集まってて面白そうだね。

それで、ダグラスとかいう闇っぽい神官が悪さしてるって話?」

フィロは金色の瞳をきょろきょろさせ、少しだけうれしそうな笑みを浮かべる。

セレナやクラウスが警戒して近づくが、フィロはそれを気にする様子もない。


「闇と光の混ざり合う力は、精霊界にも悪影響を及ぼすからね。

僕も手を貸そうかなって思って来たんだ」

フィロはさらりと言うと、集まっていた各国の代表たちが一斉にざわめく。

「精霊王……あの伝承の……」

「まさか本当に人前に姿を見せるとは……」


レイナはその騒ぎを遠目に眺め、少しだけ気が楽になる。

ダグラスと違って、フィロには底の知れない力があるにしても、敵意は感じられないからだ。

「じゃあフィロも私たちに協力してくれるの?」

彼女が確認すると、フィロはくるりと身体をひねってレイナの方を見やる。

「僕は好きなことしかしないけど、面白そうなときは手を貸すよ。

それに、レイナは神の血を持ってるし、気に入っちゃったからね」


セレナは苦笑しながらも、その無邪気すぎる態度にかすかな安心を覚える。

「ありがとう。

あなたが本気で力を振るえば、ダグラスの企みに大きな歯止めになるはずだわ」

「気まぐれだけど、よろしくね」

レイナが小さく頭を下げると、フィロは子どもっぽい笑みをこぼす。


そんな二人のやりとりを見て、クラウスがこほんと咳払いする。

「じゃあ、これで対抗手段は少し整ってきたわけだ。

レイナ、セレナ、フィロ、そして僕……この四人で連携しよう。

国や他の代表たちも、王城内で協力体制を取ることになるけれど、最終的にダグラスと対峙するのは、恐らく私たちになるだろうね」


レイナは少しだけ不服そうに口を尖らせる。

「やっぱり面倒なのは私たちに回ってくるのか……。

でも、放置してダグラスが世界をぐちゃぐちゃにしたら、それこそもっと面倒だしね。

わかったよ。

できる限り頑張る、って感じで」


セレナはレイナの肩に手を置き、静かに微笑む。

「危険かもしれないけれど、あなたならきっと大丈夫。

それに、私もクラウスもフィロも、全力で支えるわ」


フィロがひらりと回転するようにステップを踏み、大広間の中央へと進む。

「みんな、まだぐだぐだしてるみたいだけど、そろそろ決めないの?

ダグラスが門を開いてしまったら、もう手遅れだよ」

その飄々とした口調は、状況の深刻さとは対照的だったが、その指摘は間違いなく本質を突いていた。


テーブルの向こう側では、各国の代表がせめぎ合うように何かを話し合っている。

一時的な同盟を結ぶ方向で動いているらしいが、互いへの警戒心は拭えないままだ。

クラウスはその様子を見て、小さく息を吐き出す。

「結束は難しそうだね。

けど、それでも“共通の敵”がいる以上、最初の一歩は踏み出せるはずだ」


レイナは椅子から立ち上がり、軽く伸びをして廊下へ向かおうとする。

「じゃあ、私、少し休憩してくる。

なんかここ、気疲れするんだよね」

「わかった。

会議の結論が出るまで時間があるし、無理に付き合わなくてもいい。

君が本番で疲れを残してしまうほうが問題だからね」

クラウスがそう言って笑いかけると、レイナもほんの少しだけ肩の力を抜いて笑みを返した。


廊下へ出ると、王城の壁を飾るステンドグラスから薄曇りの光が淡く差し込んでいる。

レイナは窓辺に立ち、城下町の景色をぼんやり眺めた。

人々はいつも通り行き交っているように見えるが、その暮らしが脅かされるかもしれない――そう思うと、胸の奥がわずかに重い。


「やるしかない、か……」

ぼそりとこぼれた声には、まだ“面倒くさい”というニュアンスが混ざっていたが、どこか拭いきれない決心も含まれている。

ダグラスが本格的に動き出す前に、各国が協力し、フィロやセレナ、クラウスとともに対抗策を固める必要がある。

そして、神々ですら恐れるほどの“最強の力”を持つらしい自分が、どうそれを扱えばいいのか――まだはっきり答えは出ない。


ただ、背を向けて逃げるわけにはいかない以上、少しずつでも前へ進むしかない。

レイナは窓辺から足を離し、小走りで廊下を抜けていく。

遠く大広間のほうでは、フィロが「あれ?レイナは?」と首を傾げている声が聞こえたが、彼女は今は休憩が最優先だと心の中で言い訳をする。


外へ通じる扉を押し開けると、乾いた風が髪を揺らした。

雲間から一瞬だけ陽光が射し、あたたかな気配を帯びた空気が鼻をくすぐる。

「ま、なんとかなるでしょ」

レイナはいつもの口癖を小さく口にして、晴れ間の光へ歩み出した。

その背後には、近づく決戦の足音が確かに迫りつつある。

だが彼女はまだ自由気ままな足取りを守りながら、“最強の力”と呼ばれる自分自身の在り方をぼんやり考えていた。

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