第7話 ダグラスの正体と計画
アルカディア王国の王城で行われた“神々の試練”が、あまりにもあっけない形で幕を閉じて数日。
城内は表面上こそ落ち着きを取り戻したものの、神官や王国上層部の戸惑いは残ったままだった。
なにしろレイナが桁外れの力を示しながらも、あまりに淡々と試練を終わらせたせいで、かえって人々の不安を煽る結果になっている。
「いちいち騒ぐ必要ないのにね」
レイナは城の廊下を歩きながら、雑用係の侍女から渡された果物をもぐもぐと頬張る。
王城の居住区は広く、朝晩の移動すら面倒くさいのが正直なところだったが、お菓子や食事が豊富なのだけは彼女にとってメリットらしい。
一方、王宮魔導師クラウスは、彼女の隣でいくつかの書簡を手にして忙しなく目を走らせていた。
「実は、各国から新たに書簡が届いてね。
神々の試練をあんな形で突破した君に興味があるらしい。
なかでも、ノルダーレ公国とミストリバー連邦、それから……」
「また勧誘とかでしょ。面倒くさくて聞きたくないよ」
レイナはぐったりした口調で肩を落とす。
だがクラウスはメガネの奥で少しだけ表情を強張らせた。
「いや、今回の文面はいつもの交渉ごととは違うんだ。
“闇の侵食”について、各地で異変が起き始めているという報告が入っている。
世界各地で、光と闇が混在する妙な力が跡を残しているとか」
「闇の侵食?どういうこと?」
レイナは口を止め、真顔でクラウスを見る。
騎士団長セレナがそこへやってきて、穏やかな声で補足をする。
「クラウスから話は聞いたわ。
最近、王国内の辺境でも植物が急に枯れたり、地下水が濁ったりする現象が報告されているの。
闇と光が混ざり合ったような力を感知したって話もある」
「わざとやってるの?」
レイナは首を傾げる。
すると、セレナは神妙な面持ちで後ろを振り返る。
「詳しいことはわからないけれど、ダグラス神官長が中心となって調査を進めているらしいわ。
だけどなぜか、調査内容は王や騎士団に明かされていない。
神官の間でも意見が割れているとか」
レイナは「ダグラスねえ……」と小さく呟き、思わず頭をかく。
彼が神官としてはかなりの実力者であり、同時に王国内で急速に権限を拡大していることは周知の事実。
しかし試練の儀式やその後の態度を見ても、どうにも不気味さが拭えない。
「私、あの人好きじゃないんだよね。
言葉づかいはやさしそうだけど、なんか裏がありそうっていうか」
レイナがぼそっと言うと、クラウスは困ったような笑いをこぼす。
「実際、ダグラスの言動には不可解な点が多い。
神殿の神官たちにも、彼に不信感を抱く者は少なくないみたいだよ。
ただ、今のところ公式には何の違反もしていないから、誰も強くは言えない」
それから数時間ほどして、王城の中庭にダグラスが現れたとの報せが入る。
レイナはあまり会いたくなかったが、彼のほうから“話がある”と呼び出されたというのだ。
仕方なく、彼女はクラウスと一緒に中庭へ向かう。
そこには黒髪を短く整えたダグラスが神官服を揺らしながら立っていた。
背筋をぴんと伸ばし、どこか冷たい笑みを浮かべている。
レイナをひと目見ると、一礼だけをして口を開いた。
「朔間レイナ殿、調子はいかがかな。
試練を見事に突破されたと聞いている。
さすがは神の血を受け継ぐだけのことはありますな」
言葉自体は丁寧だが、その目は決して笑っていない。
レイナは何とも言えない居心地の悪さを抱きながら、曖昧にうなずく。
「別にたいしたことはしてないですよ。
ところで、私になんの用?」
「そう焦らなくてもいい。
ただ、一つだけ確認したいことがあるんだ。
あなたの力は、秩序を守るために使われるべきか、それとも――」
ダグラスの言葉が途中で止まる。
その先を彼がどう言おうとしたのか、レイナにはわからない。
だが、どことなく挑発めいた響きが含まれているようだった。
クラウスが一歩前に出て、やや低い声で口をはさむ。
「ダグラス神官長、何か企みがあるなら、はっきりお話しいただけないだろうか。
あなたの調査で“闇と光が混ざる怪現象”が起きているという報告を耳にしたが、詳しい状況を王や騎士団が知らされていないのはどうしてか」
するとダグラスは唇をうっすら吊り上げ、軽く首を振る。
「私にとっても調査の過程だよ。
騎士団や王へ情報を出すには、まだ早い段階というだけさ。
焦って公表すれば余計に混乱を招くだけだろう?」
レイナはその言葉に違和感を抱き、つい率直に問いかける。
「それならみんなに相談すればいいのに。
隠したままだと、変な疑いをかけられても仕方ないんじゃない?」
ダグラスは一瞬だけ目を伏せ、それからじっとレイナを見上げる。
「なるほど。
あなたは自由を好むようだが、世界の混沌を前に、何も行動しないという選択は危険だと思いませんか?
闇と光が混ざり合う力が拡大すれば、この国のみならず、大陸全土が飲み込まれかねません」
レイナは返答に詰まり、セレナとクラウスが思わず彼女を振り返る。
確かに闇の侵食が進めば多くの人々が苦しむはず。
だが彼女は、努力してまでこの世界を救うつもりなどなかったし、できれば余計な事件に巻き込まれたくない。
「……私だって、危ないことは嫌だけど……」
そう呟くレイナの言葉を遮るように、ダグラスは神官服の袖から銀色の小瓶を取り出した。
「これは、闇と光の混在を示す結晶を溶かした液体だ。
かすかに感じるだろうか、この不気味な気配を」
クラウスが反射的にメガネを押し上げ、小瓶を注視する。
セレナも警戒の色を強め、腰の魔剣に手をかける。
レイナは「嫌な感じ」とだけつぶやき、手のひらに軽い痺れのようなものを感じていた。
するとダグラスの目が怪しく光り、彼の背中にある刻印がわずかに黒いオーラを放つ。
そのオーラはまるで羽根の痕跡を形づくるように揺らめき、一瞬だけ人ならざる闇を表出させた。
クラウスが思わず声を上げる。
「ダグラス……まさか、あなたは“堕天神”!」
堕天神 - かつて光の神に仕えていた高位の天使的存在が、天界の不条理や神々のエゴに絶望して堕ちた者。
闇を取り込むことで天上を離れ、神々を超える新たな秩序を作ろうとする存在。
セレナが歯がみして彼を睨む。
「光と闇を混ぜ合わせ、その力で世界を変えようとするなんて、あまりにも危険だわ」
ダグラスは小瓶の液体を揺らしながら、まるで優雅に舞うように微笑む。
「光でも闇でもない、混沌の力。
天界の枠組みを変え、新たな世界を創るには、こうした破壊と再構築が必要なのさ」
レイナは思わず後ずさり、「なにそれ、世界を壊そうとしてるとか?本気で言ってるの?」と問いかける。
ダグラスはまるで子どもを諭すような口調で、「世界の調和は神々の都合で保たれている。
君のように神の血を受け継ぐ存在すら、彼らの勝手で地上に落とされたり、利用されたりする。
違うか?」と続ける。
確かにレイナは“利用されたくない”と常々思ってきた。
だが、この男はその発想をさらに極端な形で進めようとしている。
「私を味方にしたいわけ?」
レイナは真っ向から尋ねる。
ダグラスは意味深な笑みを浮かべ、「君が一歩踏み出せば、世界は変わる。善も悪もなく、ただ新たな秩序が生まれるだろう」と言うだけだった。
セレナが不安そうにダグラスを睨み、剣の柄を握り直す。
クラウスも結界魔術の構えを取り、いつでも防御できるように準備している。
だがダグラスは彼らの警戒を意に介さない。
「いずれにしても、あなたが無関心でいられる猶予はもうあまりありません。
混沌はすでに動き出しております」
その言葉を残し、ダグラスは小瓶を再び袖にしまい、踵を返して立ち去る。
一瞬、彼を引き止めようとクラウスが動きかけるが、ダグラスの纏う黒いオーラの威圧感に足をすくまれ、セレナも剣を握りしめたまま動けない。
レイナも思わず「うわ……」と息を呑むが、地面に貼りつくような圧力が周囲を支配し、誰もその場でダグラスに近づけない。
彼の足音だけが石畳に響き、やがて中庭の闇に紛れるように消えていった。
レイナは結局、何も言い返せず、ただ呆然と見送った。
闇と光が混ざる力を用いて世界を揺るがそうとするダグラスの計画。
それがどこまで具体的で、どこへ向かおうとしているのかはまだわからない。
しかし、彼が堕天神だという事実は、クラウスとセレナから語られたとおり、疑いようもなかった。
「私、何にもしたくないんだけど……あの人、本気で変なことやりそうだよね」
レイナは嫌そうに唇を尖らせる。
セレナが彼女の肩に手を置き、しっかりとした眼差しで言う。
「ダグラスが本性を現してきた以上、放っておけば確実に厄介なことになるわ。
あなた自身がどうしたいかは大事だけれど、彼が引き起こす混沌に巻き込まれたら、誰も無傷ではいられないはず」
クラウスもメガネ越しにレイナを見やり、「君の意思を尊重したいが、堕天神たるダグラスの動き次第では、王国だけの問題じゃないかもしれない。
異世界から呼ばれた君が、この事態にどう関わるか……それを考えてほしいんだ」と言葉を重ねる。
レイナは心底めんどくさそうに溜息をつき、「やっぱり私が何とかしなきゃいけない流れ?」と力なく笑う。
だが、それでも眼差しにわずかな決意が宿っている。
「勝手に召喚されたけど、だからって世界がめちゃくちゃになるのは嫌だよ。
だけど、面倒くさいことに巻き込まれるのも嫌……。
……うわ、どうしよう」
セレナはそんなレイナの姿を見て、少しだけ表情を柔らかくする。
本来なら彼女のように努力が嫌いで、気まぐれな存在が、世界の行く末に大きく関わるなんて誰も想定していなかった。
しかし、桁外れの神力を持つ“神の血を受け継ぐ者”であることに変わりはない。
「もしダグラスが本格的に動き出したら、私たちだけじゃ対処しきれないかもしれない。
どうか力を貸してほしい」
そう静かに頼むセレナに、レイナは視線を外しながら小さく頷く。
「すっごく憂鬱だけど、あの変な闇の力で国中がやられるのはもっと嫌だし……。
……うん、まあ、やるしかないのかな」
クラウスはそんな彼女の反応に安心したように微笑む。
「ありがとう。
まずはダグラスの企みを探ることが先決だね。
それから、この“闇と光の混在”が具体的にどこを蝕んでいるのか、情報を集めよう」
レイナは気乗りしないまま、「はあ……」と顔をしかめる。
この世界の争いに巻き込まれる気などさらさらなかったはず。
にもかかわらず、堕天神ダグラスが姿を見せ、闇と光の入り混じった怪現象が広まりつつある今、彼女はどうしても無関係ではいられない状況へと追い込まれていた。
「結局、めんどくさいことになるのかー。
わたしの平和、どこいったんだろ」
そう文句を言いながらも、レイナの心には複雑な使命感が芽生え始めている。
努力は嫌い、面倒な戦いも嫌い。
それでも、世界が破壊されるなら――やはり放っておけないと思う自分がいる。
クラウスとセレナがそんな彼女を頼もしそうに見守るなか、ダグラスの暗躍は確実に進んでいくだろう。
光と闇の混ざり合う危険な力が、すでに大地を侵し始めているのだから。
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