異様なまでに愛らしい

 紅茶とシュークリームを持ってリビングに戻ってくると、沙月は寂しそうな顔をしていた。しかし俺の姿を確認するや否や、花が咲くように瞳を輝かせ抱きついてきた。

「紘、待ってたよ! やっぱり、どこかに行っちゃ嫌!」

「え、え!? 危ないから紅茶は置かせて!」

 今日の沙月は寂しがりやで、考えないようにしても大変可愛らしかった。これがゾンビ化した状態じゃなければ手放しで慰めることができたというのに。この状況が憎たらしかった。


 落ち着いてから、沙月は大変美味しそうにシュークリームを食べ始めた。ゾンビ化しているというのに、好きな食べ物は変わっていないようだった。何なら、いつもより美味しそうに食べている気がする。


 さて、これからどうしようか。未だ血色を失った緑色の肌をしている沙月を眺め、シュークリームを貪る。

 とりあえず、医者には連れて行くべきだろう。いや、沙月のことだから大事にしたくないと言って拒まれるか。じゃあスマホで似たような症状が起きた人が居ないか調べて、大まかなことが分かったら詳しくて正確な情報を調べに図書館に行こう。何としても、この問題は解決しなければならない。


 考え事をしながらシュークリームを食べていると、沙月が俺の顔を見て笑った。

「ふふ。紘、顔にクリームついてるよ。取ってあげる」

「あ、マジ? 助か——」

 頬に、生暖かい感触。少し水分を含んだ柔らかな唇が、俺の頬をはんだ。

 沙月は俺の目前で、唇をペロリと舐めて舌なめずりをする。

 やっぱり、今日の沙月はどう考えてもおかしい。肌の色だけじゃなくて行動も。


 ——ゾンビ、だもんな。食べるために、近づくよな。

 頭ではそう分かっていても、沙月の思わぬ行動に俺は驚きのあまり動くことができなかった。


 沙月は俺に抱きつき、ソファの上に押し倒す。俺は抵抗することができない。

「ひーろ。今日、家に入れてくれてありがとね。……本当は、紘とこうして二人で会いたくなっちゃったんだ。それで来たの」

 彼女は変色している肌でも分かるくらいに頬を染めて俺を見下げる。沙月がこんな行動を取っているのはゾンビ化しているからだろうが、もう最期にこんなことをしてもらいながら死ねるなら本望な気がしてきた。

「もちろん、弟が心配で家に帰れなかったのもあるよ。嘘じゃないから。あの子、本当に良い子なの。昨日だって、夜更かししてた私に紅茶を淹れて持ってきてくれたし。迷惑は絶対にかけたくないわ」

 ——ごめんなさい。あなたとの時間なのに、他の人の話をしてしまったわ。彼女はそう言い、申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 そして、彼女の唇が俺の顔へと近づいた。



『昨日だって、夜更かししてた私に紅茶を淹れて持ってきてくれたし』


「……!」

 俺は迫りくる沙月の肩を止める。彼女は既に閉じていた目を不思議そうに開き、「どうしたの」と聞いてきた。

 先ほどの空との電話を思い出す。彼は確か、『今日の姉さんさ、紘兄から見て結構可愛かったりしない?』と聞いてきた。そもそも、彼は沙月が俺のそばに居るとどうして推察できたのか。

 空の研究は薬の開発だ。そして、彼は天才だ。まるでゾンビになる薬の開発をして紅茶に盛るのも、造作のないことではないのか?

 正直、そのぐらいしか彼女の異変の理由は思い浮かばなかった。


「ごめん、沙月。今日の君を利用して良い思いをしようとしたけど、これは絶対に良くないね。帰ろう、君の家へ。空と話さなきゃならないことがある」

 沙月は未だ不思議そうな顔をしていたが、俺の言葉には頷いてくれたのだった。


***


「何やってんのよアンタぁ!」

 頬を叩く渇いた音。沙月が、空の頬をぶったのだ。彼女の異変は空の打った血清によって五分も経たぬ内に元通りになり、いつも通りの元気で突き抜けて明るい真っ直ぐな彼女に戻っていた。


 結局、この異変の原因は空だった。

 家に襲撃して彼を問いただせば、空はすぐに紅茶に薬を盛ったことを認めた。しかし本来の効果に肌が緑色になるなんてものは無かったようで、「自分で治験した時は何ともなかったんだけどな」と言い訳をしながら血清を用意していた。


「でも、俺沙月に食べられそうになったんだけど。やっぱりその薬って肌が変色しなくてもヤバいやつなんじゃないの?」

 俺の質問に答えたのは、空ではなく沙月だった。

「あ、いや、その。食べる気は全く無かったというか、その……」

 沙月はしどろもどろで、一番大事なところを濁しているようだった。

 そんな会話を切り裂くように空が口を開く。

「姉さんに飲ませたのは、感情がめっちゃ表に出やすくなる薬だよ。姉さんいつも感情を表に出してるから、肌の色は置いておいて行動でも学校じゃ異変起きなかったでしょ。だって、姉さんが隠してる感情なんてせいぜい紘兄が……いや、これを僕が言うのは野暮だな。後は二人で話してよ」

 邪魔者は退散しますので。空はそう言って、部屋から出ていった。


 沙月と俺、二人っきりの空間。気まずい静寂が流れる。

「あ、あのー。その、俺の家に居た時の感情って……」

「好き」

 彼女の顔は耳まで真っ赤になっていた。

「……紘、本当にごめんなさい。気持ち悪いわよね、家族みたいに育ってきた幼馴染なのに……」

「そんなことない。俺も、沙月のことが好きだよ」

 恥ずかしさをこらえて俺の口から出た言葉は、沙月を驚かせるのに十分だったようだ。


「……え? いや、気使わなくて良いよ。迷惑だって言って良いから——」

「舐めてる。俺のこと、バカにしてるね。こちとら10年お前のことが好きなんだよ。絶対、お前より好きだから」

「……!?」

 彼女は驚きと困惑が混じったような顔で俺を見上げている。そんな彼女の顎に緊張で震える手を伸ばした。

「さっきのやり直し、しよっか」

「あ、いや、えっと……」

「お前がしたいことだったんだろ? 薬の効果通りなら」

 沙月は本当に恥ずかしそうに目を逸らす。

 そんな彼女の顔を真っ直ぐ見ながら、俺は唇を彼女の唇へと近づけたのだった。




 部屋の外で作戦成功と空が満足そうに頷いていたことは、本人以外誰も知らない。けれど、二人のカップルの誕生は初々しくもラブラブな様子ですぐに知れ渡ったのだった。

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幼馴染がゾンビ化して「家に帰れない」と泣きついてきた話 霧切酢 隼人 @kirigirith_sp_2

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