戦場のピエロ
ホロロギ
「戦場のピエロ」
無理だよ。
社会人一年生になっても、友達百人作れだなんて。
今までまったく友達ができなかったわけではないよ。
だけど、それを維持し続けるのは至難の業だ。
義務教育中はそうでもなかった。つるんでくれる友達がいた。二人か三人ではあったものの、仲良くしてくれる同級生たちがいた。
高校生や大学生になったら、少ないとはいえ、一人くらいはいた。
だけど、それぞれ進級進学したら、あっという間に疎遠になるものだ。
こんなにも、仲良くしたい気持ちに溢れているのに。
むしろ、みんなと積極的に交流したいのに。
サービス精神だってある。
柄にもない冗談だって言えるし、普段は使わない流行の言葉だって、平気で使える。
みんながバカにしているやつがいれば、そいつの陰口を言う輪に加わることだって、訳はない。
ただ、そんなふうにやり過ごすことができたのは、学生の間だけだった。
社会に出てしまうと勝手が違う。
社会人一年生、友達なんてものは皆無。
同期も、大学時代の友達も、それ以前の友達さえも、何故だかみんな、周囲からいなくなった。
僕はつまんないやつか?
ひょっとして知らない間に、全身から悪臭でも立ち上っているのではないかと、心配で心配で、気が気でない。いつも脇の下のにおいを確認している。
うん、大丈夫だ。今日も普通だ。
せめて、会社の同僚とは仲良くしたい。職場は、一日のうち、大半の時間を他人と過ごす。挨拶を欠かさず、和やかに仕事できるように、日頃から声をかける。そうするように努めてはいる。
ところがだ。
こちらがそんな気持ちでいても、相手がそれを拒むのだから、うまくはいかない。
相手に最大限喜んでもらおうと振る舞っているのに、何故だか相手の顔が曇る。
今日も係長に嫌な顔をされた。
教育係の先輩は、とっくの昔から素っ気ない。
女性社員たちは、話しかけると、必ずと言っていいほど苦笑する。
何もおかしなことを言っていないのに、苦笑される。
やがて、そそくさと退散する。急を要するわけでもない雑用に、忙しそうに取り掛かる。
SNSのコミュニティーの連中ときたら、さらに態度が悪辣になってくる。実際、こき下ろすような言葉以外、かけられたことがない。
ここまでくると、いっそ僕は、ピエロになるしかないと思った。
バカを演じ、仕事をゆっくりやる。締め切りを過ぎて、顧客からクレームがついても、とぼけたふりをしたり、平謝りしたりと、日によって態度を変える。作為的だと思われないために。
こうすると案外、みんなに喜んでもらえる。
僕の行いに目くじらを立て、時には声を出して、溜飲を下げる。
給湯室で陰口を叩く。
僕がオフィスにいない時などは、大っぴらに名指しして、捌け口にしてくれる。
今日なんて上出来だった。
指導係の先輩が、みんなの前で僕を槍玉に挙げたのだ。
声が裏返るほど、小一時間なじり続けた。しまいには、ちょっと酸欠になっていた。
きっとあの先輩は出世することだろう。僕を踏み台にして。
こんな日は、自分へのご褒美を用意しよう。
ショッピングモールの上の階にある、リクルートスーツの店へ行く。
ピンクとイエローのドットが入り乱れた、派手なワイシャツでも買うことにしよう。みんなに笑顔になってもらえそうなネクタイも追加だ。
エスカレーターを上っていくと、突き当たりの雑貨屋が目についた。
アニソンの主題歌のカバーした抑揚のない歌が、がんがんと通路に響いている。
店の出入り口の周りには、ゆるキャラのぬいぐるみや、趣味の悪い抱き枕などが、ずらりとぶら下げられている。
小さなモニターには、蛍光色のアニメーションが、ぐるぐると螺旋を描いて映し出されていた。
気がつくと、僕は出入り口に吸い込まれるように、足を踏み入れていた。
職場で完全勝利したため、浮かれていたのかもしれない。
猥雑な商品で埋め尽くされたトンネルをくぐる。セクシー女優の写真集、ゲームのキャラのマグカップ、安価なリュックサック。どこを見ても、ありとあらゆるサブカルチャーの満艦飾だった。
商品棚には、筆ペンで書きつけられた、ポップが添えられていた。
――勝ったとしても、目的を果たせなきゃ、失敗やんね。
どうやら社会派の漫画を売るためのポップらしい。
いったいどういう意味だ? 勝つことが目的ではない、ということだろうか。
他に目的があるのなら、確かに、その勝負に勝ったとしても、本末転倒だろう。
さらに通路を進む。
――相手より、自分を知らなきゃ、負け必至
今度のポップは、川柳のような体裁だ。
先ほどと同様、勝ち負けについての内容だった。
相手に勝つには、自分のことをあらかじめ知っていないとダメ、ということだろうか。勝負に勝つための必須条件なのだろう。
次の棚にもポップがある。
――普通はチャンス、ピンチはもっとチャンス!
ピンチって、チャンスに変わるものなのか?
ピンチがチャンスを連れてきたことなんて、一度もないよ。
さらにポップは続く。
――タメて~、タメて~、まだタメて~、今だ!
だんだんと、うっとうしくなってきた。
さっきから戦い方ばかり指南されている。
それなのに、どうしてだろう。
ちょっとだけ、鼓舞されるような気分になる。
くだらない自己啓発本に載っている言葉よりも、ずっと実用的な気がする。
なんというか、僕自身の間違いが、きちんと正されるような手応えがあるのだ。
ゆっくりと店内を一巡した。
出入り口のそばに、レジカウンターがあった。
その奥に立っている、ピンク髪にピアスだらけの青年が、ふと顔を上げた。
バッチリ目が合った。
僕は何か言わなければと思い、すぐそこにあったポップを指さした。
「これ、なんか変わってますね。何かの格言みたいな」
「ああ、それ、孫氏ですよ」
その回答に、僕は目をまるくした。
「中国の将軍だった人です。戦争に勝つための作戦の本を、俺が面白おかしく訳してみました。たまにはこういう趣向もいいかと思って。お客さんの中には、日々戦ってる人もいるだろうから」
「戦うって、何と?」
「もちろん敵ですよ。親とか、彼女とか、友達とか」
「それ全部、味方じゃないの?」
僕の問いに、青年は唾を飛ばした。
「何言ってるんですか、そんなわけないでしょ! 友好的な人間ばっかりなら、警察いらないよ。親だって、平気で子供を痛めつけてくるんだから、そんなやつに媚びへつらう必要ないよ!」
「そ、そうだね」
「敵だよ。みーんな、敵。七人どころじゃない。ネットもリアルも敵だらけ。この世は戦場だと感じてる人にとっては、友達なんていないし、いらないから」
一方的に吐き捨てて、レジの陰にある事務用品を、イライラした様子で片付け始める。
僕はそれ以上何も言えず、店を後にした。
敵かぁ。
家族も、友達も、同僚も。
みんな、敵だったのかぁ。
そうだよな。
みんなと仲良くなれるはずだと信じていたけど。
五歳の冬、じいちゃんに「友達百人できるといいな」と言われたことを、ずっと大事に抱えて生きてきたけど。
だからこそ、いじめられても、けなされても、からかわれても、生きてこられた。
友達になりたくて、泣かず、怒らず、めげずに耐えてきた。
だけど、友達と思っていた人たちは、みんな敵だった。
だとしても、喜んでほしかった。
だって、喜んでくれる人が、他にいなかったから。
この世は戦場だ。間違いない。
そして、戦場には、友達などいない。いないし、いらない。
エスカレーターに乗っていると、やがて、お目当てのリクルートスーツの店が見えてきた。
今日は、ワイシャツを新調するのは、やめよう。
服を畳んでいる店員に対して会釈し、尋ねた。
「防弾チョッキ、あります?」
戦場のピエロ ホロロギ @horologium
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