『農業でスローライフ』を実現させたお話
藍条森也
曇り空とマスカルポーネ
「うん、おいしい」
あたしは目の前に置かれた真っ白でなめらかなマスカルポーネチーズを一口食べると、とびっきりの笑顔で言った。
取材用スマイルだけどまんざら演技ばかりでもない。ごく自然に浮かんできた心からの笑顔だった。
それぐらい、出されたマスカルポーネはおいしかった。
「これが、この地の名物であるマスカルポーネチーズなんですね。わざわざ、遠くからもこれを買いに来るお客さまがいるという。さすがに、おいしいです」
あたしは重ねて言った。もちろん、飛びっきりの取材用スマイルつきで。
それなのに、目の前の人物たるや、このあたしの笑顔連発にもかかわらず感銘を受けたふうでもない。こっちを見ているのか、いないのか、よくわからない眠そうな目でボンヤリした表情を浮かべている。
「うん、まあ、名物なんてそんな大層なものじゃないけどね」
ちょっと笑いながらそう言ったところを見ると居眠りしていたわけではなくて、ちゃんとあたしの話を聞いているらしい。あたしは少しだけホッとした。
「ただまあ、うちのマスカルポーネはウシからしてちがうからね。日本の乳牛の九九パーセント以上はホルスタインなんだけど、うちのウシはブラウン・スイスだからね。ブラウン・スイスは乳脂率、つまり、乳に含まれる脂肪の割合が四パーセントとホルスタインより高いんだ。その分、チーズ作りに向いているんだよ」
「ああ、なるほど! そういうことですか」
と、あたしは両手を打ちあわせて、いかにも『感銘を受けました!』アピールする。もちろん、お日さまのような笑顔も忘れない。
すべては、取材のため。取材相手を心地良くさせて言葉を引き出すための大袈裟なリアクション。これぞ、駆け引きマジック! それなのに――。
このあたしがここまでやって見せているっていうのに、この相手ときたらいったいなんなの⁉ ちっとも様子がかわらないじゃない。相変わらず眠そうな薄ボンヤリした表情。
こんな若くてかわいい女性ライターが感銘を受けてやっているんだからもっと得意になって、鼻を高くして、ペラペラ喋りまくるのが礼儀ってもんでしょうが!
ああ、腹が立つ!
「たしかに、このマスカルポーネは一般の品に比べてコクがありますもんね」
あたしは、内心の怒りを押しかくして愛想よく言ってのける。
いくら怒っていてもそんなことはおくびにも出さず、取材用スマイル一〇〇連発! それでこそ『プロ』ってもんでしょうが。自他共に認める超一流のプロとして、『感情に流される』なんて素人丸出しのことはしてられない。
「マスカルポーネはクセがなくて食べやすいけどその分、味わいが薄く感じられて物足りないと思っていたんです。でも、このマスカルポーネはあっさりしている上にコクと旨味もあって大満足です!」
と、あたしはまたも笑ってみせる。
「それに、こちらのウシは畜舎にも入れずに年中、放牧なんですよね。それで、一年中、自然の草を食べているとか。だから、自然の味がするんですね。すばらしいです。では、最初からおいしいチーズを作るためにウシの品種を選んだんですね」
「いやいや、そういうわけじゃないんだけど……」
と、取材相手はちょっとばかり照れくさそうに笑って見せた。
「若い頃からとにかく働くのがきらいでさあ。どうにかして一日中、寝て過ごせないかと考えていたわけ。それでまあ、手間のかからないウシがほしかったんだよ。畜舎を建てたりしたら維持管理だけでも面倒だし、掃除の手間もかかる。飼料だっていちいち購入しなくちゃならない。そんな面倒なことはやってられないし、したくない。だから、年中放牧しておけて、勝手にそこらの草を食べて乳を出してくれるウシがほしかったんだ」
「そ、それはまた……なんというか、個性的な希望ですね」
「ああ。ウシの買い付けを頼んだ相手もあきれていたよ。でも、それが理想の人生なんだから、こればかりはゆずれないからね。念にはねんを押して言ったものさ。そうしたら、そんな要望にピッタリだって進めてくれたのがブラウン・スイスでね。
もともとは、スイスの山岳地帯で飼われていた役牛だから雑な扱いでも大丈夫だって言われたんだよ。その乳がチーズ作りに向いているなんて、あとになって人から聞いて知ったんだよ」
と、かの
「は、はあ、そうなんですか……」
あたしは表情の選択に困ってしまった。
――まさか、百戦錬磨のフリーライターであるあたしにこんな表情をさせるとは……。
この取材相手、侮りがたし!
あたしは心にそう思い、密かに闘志の炎をメラメラと燃やしたのだった。
岐阜県の山間。世界遺産で有名な白川郷のほど近く。戦国大名の内ヶ島家の居城である
しかも、その城には鉱山開発で為した莫大な財宝まで眠っているというなかなかにロマンチックな伝説までついている。
『
その土地であたしはいま『
目の前にいる人物は想像していたのとはかなりちがった。
理想に燃えた活動家ではない。
人里はなれた土地で静かに暮らす仙人染みた人物でもない。
むしろ、相当に俗っぽい、大学にも行かずに、昼間っからひたすら寝て過ごしているダメ大学生がそのまま歳だけ重ねたような印象の初老の人物だった。
……まあ、本人が堂々と『寝て過ごしたい』って言っているわけだから、初志貫徹してるとは言えるんだけどね。
「で、でも、この地は世界ではじめてハーヴェストハウスが建てられた場所なんですよね?」
あたしは体勢を立てなおそうと笑顔を浮かべて言った。
「田畑を庭園としてもち、水と食糧を自給する完全自立型のアパート。住民自らが日々、自分たちの食べる食材である庭園の作物の世話をし、収穫し、調理する。そうすることで『食』と『環境』に対する意識を高める。
また、庭園の動物たちの世話をすることで子どもたちの心を豊かに育む。実際、ハーヴェストハウスで育った子どもたちはそうでない子どもたちに比べて素行が良いとのデータもあります。
農家の側にとっても『家賃』という形で収入があるため農作物を直接、販売するより高くて安定した収入が得られるという利点がある。家賃収入なら、作物の出来不出来に関わらず同じ収入を得られますからね。
住人側にとっても毎月、決まった家賃を支払うだけだから作物の高騰があっても同じ金額ですむ。双方にとっていことずくめの画期的な発想。それが、ハーヴェストハウス。
いまでこそ農家の生活を安定させ、食糧の安定供給に寄与し、人々の食と環境に対する意識を高める持続可能な取り組みとして注目されていますけど、あなたがはじめたときはまだ誰もそんなことは考えてもいなかったんですよね。どうして、ハーヴェストハウスをはじめようと思われたんですか?」
「いやあ、別にそんな大層な思いがあったわけじゃないんだけどねえ。ほら、とにかく、働くのがきらいでさ。一生、寝て過ごしたいって思ってたから。ちょうど『農業でのんびりスローライフ』なんていうラノベがはやっていたから、それを真に受けちゃったんだよね。
『山奥に行って農業やっていれば、ゴロゴロしながら暮らせる!』って。
それでまあ、全財産はたいて土地を買って、家も建てて、ついでに、ウシ一頭とニワトリ五〇羽も買って、農業をはじめたんだけどさ」
かの
若さ故の過ちを自ら笑うおとなの態度だった。
「地獄だったよ。ほんと、誰だろうね。農業でのんびり……なんて言ったのは。そんな暇なかったよ。雨が降ろうが、雪が降ろうが、一日だって仕事を欠かすわけにはいかない。ウシとニワトリに餌をやって、体洗って、作物の世話して……それこそ、朝から晩まで働き通し。のんびりする暇なんてありゃしない。
とくに大変だったのが収穫だよ。収穫時期っていうのは決まってるからその間に全部、収穫しないと無駄になっちゃうじゃない。だから、必死になって収穫するわけ。朝から晩まで畑を這いずりまわって、汗みどろになってさ。
でも、収穫した分をすべて出荷できるわけじゃない。スーパーに買いとってもらうには、すべての品の形と大きさがそろっていなくちゃいけない。傷もついていちゃいけない。もちろん、虫食いなんてもっての外。雑草一本、混じっていただけでも突っ返される。たとえ、それが、食べられる雑草でもだよ。
だからもう、そのための判別が大変でさあ。一つひとつ手作業でより分けるわけ。形は大丈夫か、大きさは基準内に収まってるか、傷跡はないか……って、一つひとつ手にとって、目で見て、確認するんだよ。それがほんと、大変でさあ。
『なんで、AIが人間負かす時代にこんな手作業してなくちゃならないんだ!』って、本当もう腹が立って、腹が立って。
しかも、それだけ苦労してもろくな稼ぎになりゃしない。なんでもかんでも値上がり、値上がりの時代だったからさ。スーパーの方も少しでも安く仕入れようと必死だったんだよ。だから、散々に買いたたかれたもんさ。おかげで、利益なんて雀の涙。それでも、利益が出るならマシなほう。シーズンによっては、赤字になることだってあったし」
「そ、そうなんですか……」
あたしはその言葉に思わず引いてしまった。
見た目はいかにも呑気な怠けものっていう感じで、人生の苦労なんてなにひとつ知らずに歳だけとった……みたいに見える人だけど意外と苦労してたんだ。
――見た目と先入観だけで判断しちゃいけないな。反省。
と、あたしは『デキる女』らしく素直に反省した。
「それでまあ、そんなことを何年かつづけているうちに思ったんだよ。『こんなのは自分のしたかった暮らしじゃない! 自分はもっともっとゴロゴロして過ごしたいんだ!』ってね」
……それ、人前で堂々と言っちゃう?
いや、そんな自堕落な願望を堂々と主張できるって、それはそれですごいことかも。うん。
「それで、必死に考えたんだよ。どうにかしてゴロゴロして過ごす方法はないもんかってね」
別のことを考えた方が有意義な気がするけど。
「それで、やっと思いついたんだ。農業で一番、手間のかかるのは収穫だ。その収穫をすべて客自身ににしてもらえばいい。そうすれば、時間の浮いた分、寝て過ごせるってね。
それで、アパートを建てることにしたんだよ。アパートがあって、そこに人がいれば、その人たちに勝手に食べる分をもっていってもらえばいいじゃない。そうすれば、こっちはなにもしなくていい。形や大きさを気にする必要もなければ、傷のチェックも必要ない。おまけに、野菜を売るよりアパート経営の方が金になる。赤字のシーズンなんて絶対にないしね。いいことずくめじゃないか。これなら毎日ゴロゴロして過ごせるぞ! ってね」
「は、はあ……」
と、あたしはちょっとばかり相手の勢いに押されてしまった。
なにしろ、あんなにやる気なさそうで眠そうにしていたくせに、急に目をキラキラさせて語りはじめたんだから。それも『ゴロゴロして過ごす方法』について口にしたとたん。
――この人、本当に『ゴロゴロして過ごす』のが理想なのね。
あたしは率直にそう思った。
ゴロゴロして過ごすという目的に向かってこうまで真摯に向きあっていられるなら……それはそれで、やっぱりすごいことかも知れない。
「でも、それならどうして、マスカルポーネチーズを名物にしようと思ったんです? 必要ない気がしますけど」
「いやあ、それだって別に名物にする気なんてなくてさ。ただやっぱり、こんな山奥じゃない。わざわざこんなところにアパートを借りに来る人がいるかどうか不安だなあって、そう思ったんだよ。
でっ、やっぱり、特別な魅力は必要だよなあって、そう思ったんだよ。それで、人を惹きつけるっていったらやっぱり、食べ物じゃない。それで、マスカルポーネを作ることにしたんだよ。
ちょうど、ウシがいたからさ。その乳から『鮮度が命!』のマスカルポーネを作れば『ここでしか食べられない』味が作れる。そうすれば、人が来る。そう思ったわけ。そこで、いっそのこと、マスカルポーネをメインにした朝食を提供することにしたんだよ。朝はみんないそがしいから『朝食つきのアパート』ならこんな田舎でも借りに来る人がいるかなって。だから、石窯作って、パン焼きの練習してさ」
「石窯作った⁉ そこまでしたんですか?」
ゴロゴロして過ごすのが理想なのに?
あたしは思わずびっくりして目を見開いてしまった。すると、かの
「うん、まあ、そこだけはがんばったんだよね。なにしろ『ゴロゴロして過ごす』っていう理想がかかっているんだから」
「な、なるほど……」
あたしは思わず納得しまった。
感銘を受けた。
そう言っていいかも知れない。
「それでまあ、パンとチーズの朝食を毎日、出すことにしたわけ。付け合わせのサラダは自分たちで勝手に畑からとってきてもらうことにしてさ。それが評判になって、人が集まってきてね。どうにかこうにかアパート経営できるようになったってわけ」
「どんな人たちだったんです?」
「いまと同じ。売れないクリエイターたちだよ。金にはならないけど大好きなモノ作りをして暮らしていきたい。そんな人間たちが生活費の安さに惹かれてやってきたんだ。
『いまはネット通販で世界中を相手に商売できるから、どこに住んでも同じ』って言ってね。
そんな人たちがひとり、ふたりと集まるうちに、いつの間にやらクリエイターたちのコミュニティみたいになっちゃってね。それが、いまもつづいてるってわけ」
「なるほど。そういうことでしたか」
「うん、そう。とにかくゴロゴロして過ごしたかっただけで、それ以外のことなんて考えちゃいなかったんだよ。マスカルポーネが名物なんて言われて、遠くからわざわざ買いに来る人が来るようになったのも、もとはと言えばマスカルポーネとパンの朝食が好評でさ。求められてスイーツも作るようになったのがきっかけなんだよね。住人がそんな朝食やらスイーツやらをネットにあげるようになってさ。やけに評判になっちゃったんだよ。
『ハーヴェストハウス』なんてのも、はじめの頃に住んでいた売れない作家が勝手に言い出して、ネットにあげたことだしさ。それがなんか話題になって、勝手に『未来への挑戦者』とか『持続可能性の新たなる取り組み』とかもちあげられちゃってさ。視察やら、取材やらの対象になっちゃったんだよね。こうして、あんたみたいな若くてきれいなお嬢さんが取材に来るぐらいにね」
と、かの
それにしても、いきなり『若くてきれいなお嬢さん』とは。実は、人を見る目はまともだったわけね。
「でっ、気がついたらなんか有名になっちゃっててさ。あちこちにうちを真似たアパートが建てられるようになったわけ。それでいつの間にか『ハーヴェストハウスの創始者』とかなんとか言われるようになってたんだよね」
「なるほど。お話はわかりました。でも、と言うことは毎日まいにちウシの乳しぼりをして、パンも焼いているってことですよね? それって大変なことなんじゃないですか? ゴロゴロして過ごすっていう理想からはかけ離れている気がしますけど」
あたしは思わず、そう尋ねていた。
この際はよけいな質問だったし、意地悪な質問でさえあったかも知れない。
でも、かの
「うん、まあ、そうなんだけどね。でも、アパートの住人のほうがなんか盛りあがっててね。『自分たちの食べる食べ物だから』って言って、田畑の管理も自分たちでするようになってくれたしさ。動物たちの世話も子どもたちが楽しんでやってくれたしね。視察や取材の相手も勝手にやってくれていたから意外と楽でさ。夜から早朝にかけてパンを焼いて、マスカルポーネを作ってしまえば、昼間はずっと寝ていられるわけでさ。これこそ理想の人生! ってそう思ったんだよね」
「なるほど。あなたはご自分の夢を叶えられた。そういうことですね?」
「うん、そう。いまは毎日ゴロゴロして過ごしていられるよ」
そう言って笑ったかの
たまらなく、まぶしいものだった。
そして、あたしは取材を終えてその場をあとにした。
こうして話を聞き終えると、最初に会ったときの印象とはまったくちがってしまった。
最初はなにもやる気のない怠けものにしか見えなかったけど……必死になって知恵をしぼり、努力を重ね、苦労してくろうして手に入れた『怠けものの暮らし』なんだ。
本人にとってはきっと思いのままの晴れわたった人生じゃない。でも、願いの叶わなかった涙雨ばかりの人生でもない。その中間、薄明かりの差し込む曇り空の人生なんだろう。
「もしかしたらそれって、理想の人生なのかもね」
あたしは空を見上げた。
息を呑む光景が広がっていた。
雲の帰る地。
そう呼ばれるにふさわしい光景。空一面に雲が流れ、まるで、川で染め物をするときのように一面が白く染まっている。
あたしはそれを見て思った。
「うん! 記事のタイトルは『曇り空とマスカルポーネ』で決まりね!」
完
『農業でスローライフ』を実現させたお話 藍条森也 @1316826612
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