喫茶セルパン②
「まったく。だらしがないねぇ」
お岸はいつもの〝おかみさん〟の顔で呟いて、抱きかかえた店員の女の子を、カウンターの裏を背にそっと座らせた。ショックで気を失っただけで、穏やかに息をしている。
目を覚ましてから、誤魔化せるだろうか。何とか言いくるめるしかない。今のところはひとまず騒がれないようにするしかなかった。
お岸はあらためて亭主の方を見た。大男と化した八五郎に床に押えつけられながらも、何か言い返している。八五郎の方も
お岸は辺りに転んでいた椅子を立たせて、そこへ腰掛けた。脚を組む。
お岸もなにも安穏と静観しているわけではなかった。大事な自分の店で暴れられては内心腹立たしかったし、大男を引っ叩いて店の外に叩き出してやりたい。そうしないのは、ひとえに亭主の顔を立てているに過ぎなかった。お岸もまた古い気性の女だったが、なにぶん古い人間なので仕方ない。二人が一緒になったころ、娯楽の花形はまだ
〈それにしても、組合の者はまだ来ないのかね〉
大男に組み伏されている亭主を睨むお岸の口の中には血があふれていた。口内で唇の裏側が噛み千切られそうになっている。
〈あれじゃ本当にそのうち殺されちまうよ〉
そうなったら──そうなる前に殺す。お岸は、蛇女の本性を剥き出しに、腹をくくっていた。
いくら〝化け物〟同士でも殺しはご
相も変わらず罵り合っていた仲蔵と八五郎の二人だったが、そのうちの一言にカチンときたのか、八五郎は顔を激しく歪めると、右腕を大きく引いた。相手を組み伏しているので、天井に高く肘を上げることになる。その手は岩のような握りこぶしを作っている。
〈あのバカ〉お岸は目を剥いた。〈加減ってモノを知らないのかい〉
容赦なく殴りつけられれば、か細い仲蔵が死ぬのは明らかだった。
殺す。椅子を蹴って立ち上がったお岸は、
からん、と音がして、店のドアが開いた。洋食喫茶『セルパン』の入店口には真鍮製のベルが掛かっている。元は落ち着いた金色だったのが年を経て退色した骨董品で、ちょっと能天気な音を鳴らす。
それと同時に店に入ってきたのは、小柄な少女だった。くせっ毛のショートボブにカチューシャを巻いて、小さなリボンのついたヒラヒラのワンピースという可愛らしい格好をしているが、不釣合いに目つきが悪い。
少女は店内を
その光景にお岸は唖然とした。それから、諦めたように椅子に座りなおした。眉間に指を当てる。余計厄介なやつが来てしまった。
「なにしやがる」
八五郎は身を起こして叫んだ。唇を剥き、鼻の穴を大きくして、ぎょろぎょろした目で少女を睨みつけるが、少女の方は顔色一つ変えない。
「組合の
「人のケンカに首突っ込んでんじゃねぇ。ガキはすっこんでろ」
「は? そのガキに放り投げられて尻餅ついてんのは誰だよ」
少女は不愉快そうに瞳孔を絞る。
「バカが騒ぐと話がややこしくなる。大人しくしてろ」
「誰もテメェに
大男は
少女はそれを左の手で受け止めた。拳の振りよりも早く足を開いて、中腰に大男の拳固を捉える。衝撃を受けて、店が小揺るぎするが、少女の立ち位置は
そのまま大男の右拳と、少女の左手とが、拮抗したまま震える。いやそこに均衡はあっても、拮抗してはいなかった。八五郎が拳を引こうとしても、びくともしない。顔を歪めて、いくら力を込めても、拳に食い込むような少女の細指がそれを離してはくれなかった。
「穏便にって言われてるんだ」
目つきの悪い小柄な少女は、仕方なさそうに言いながらも、その口の端を好戦的に持ち上げた。白い鬼歯が覗く。
「けどそっちがその気なら、相手してやるぜ」
仮粧町通り商店街 異形種共同組合《アンブレスィド・クリーチャーズ・ユニオン》 ブッダマニアと消えない痕跡 小澄桂馬 @KosumiKeima
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