Chapter1:形影相弔う
ACT1:コーパル・ヴァンクイッシャー
「このカロリージェルはクソに漬けた豚の脳味噌みたいな味がするな」
エストは愛機〈ネペンテス〉の機内でヘルメットを脱ぎ、黒い髪を青白いモニターに照らしながら、銀のパウチから直接伸びたチューブを咥えて、それを啜った。
そのカロリージェルというのは化学調味料で無理やり甘くした粘っこいドロドロの液体であり、お世辞にも美味いものではない。こんなものを美味という奴がいるなら、そいつは明らかな味覚障害だと断言できる。エストを始め、ほぼ全ての"コーパル強化人間"が、言葉選びのセンスはあれど似たような感想を持つだろう。
「強化人間の宿命ですよ。"コーパル"を含有したカロリージェルを取らなきゃ、肉体の稼働効率が落ちますから」
「お前はいいよな。コーパルが美味いって感じるんだから」
タンデムシートの斜め後ろから声をかけてきたのは一人の女。彼女は人間ではないし、強化人間でもない。外見は鋼色のメタルスキンが剥き出しの半人半機械であり、アンドロイドの一種であることがわかる。白銀の人工頭髪に、金色のツインアイ。有機的なメタルスキンは表情を作り出し、高度なホロブレイン人工知能は感情さえ付与する。
ルナ、という名前の彼女は、エストが三年前に出会った"コーパロイド"であり、この〈ネペンテス〉の戦闘補助を担う一種の人工生体ユニットだ。
「それにしても、どこもかしこもえらい有様だな」
モニターの向こうには、ひたすらに自然が広がっている。
世界は緑に沈んでいる。無数の植物が繁茂した世界がそこに横たわり、数えきれぬ草木は瞬く間に文明を飲み込んだ。
かれこれ千数百年以上も昔の悲劇であり、人類はかつての暦すらも忘れ、現在はコーパル暦一四二七年という新たな歴史を刻みはじめ、文明を再興させていた。
膨大な緑が繁茂してもなお酸素濃度や窒素とのバランスが崩れないのは、ひとえにコーパルという物質が調律を取っているからに他ならない。
樹冠一二〇メートルをゆうに越す超巨大広葉樹に飲み込まれたかつての文明の遺構。人類の威光の残照が緑に喰い荒らされ、半ば自然と一体化している。さながらそれは長い年月をかけて朽ち始めている、千数百年前の墓標のようだ。
ナノマシンによる自動修復機能を持つハイパーコンクリートに
そんな広大な森林地帯と化した旧市街地を、一機の巨人が——〈ネペンテス〉が歩く。
全高は十四メートルをゆうに越え、逆関節の太い脚部にグラマラスな女性のように膨らんだ胸部装甲と、腰部のサイドスカート装甲。頭部ユニットはスマートな印象の、アーメットと呼ばれるタイプの兜に近しいデザインのパーツで、目元はバイザーアイを採用し、耳に当たる部分からは斜め後ろに天を衝くように角のようなアンテナパーツが生えている。
人型探索用機動兵器
機体は黒をメインカラーに、瑠璃色をサブカラーとしており、どことなく夜空の星を思わせる機体だった。
「戦闘準備」エストが短く指示をした。返事はすぐに返ってくる。
「システムオールグリーン。戦闘機動を開始。エスト、体の調子はどうですか?」
「差し障りない。強いて言えば口の中が地獄だ」
「仕事終わりの食事を楽しみにしてくださいよ。地形情報把握、レーダーマップ更新。リアクター温度、圧力共に正常。フレーム状態良好、オートリカバーウェア、正常。問題ありません」
「ルナ、戦闘補助はいつも通り任せる」
コクピット内で繰り広げられる会話。エストと呼ばれた青年はフルフェイスのヘルメットを被り直し、酸素を供給する頑丈なチューブの具合を確かめた。全身を耐Gコーパルメイルという"コーパルエナジー"で稼働する
エストの斜め後ろのタンデムシートに座る
今回の依頼は「
かつて突如として審判の荊が大地を突き破り、そこから無数の木々や草花を大萌芽させて以来見られるようになった異形の怪物たちの総称。
旧市街地エリア、F13地区は前々からドリュアスの活動が見られ、直近二日でキャラバンが襲われるという事態が起きている。その際の死傷者は四名に上り、ポリス政府としても看過できず「
いの一番に喰らい付いたエストは根無草の旅人故、金はいくらあっても困らない。貨幣価値は独特で、あるいは何らかの現物支給であるが、エストとしては下手な紙切れよりずっと信頼できた。
〈ネペンテス〉が十字路付近にやってきた。
角のコンビニに突っ込むような形で一機のCVが
「ルナ、わかるか?」
「二五年も昔の機体ですね。CV自体がまだ初期製造モデルから百年ちょっとの比較的歴史の浅い兵器ですから、おそらく第三世代といったところでしょう」
「第三世代……〈ネペンテス〉の一個前か。俺の先輩だな」
「恐らく、ですが。第三世代機は小柄なモデルが多かったんです。実際この機体も、十メートルもないでしょう。元々この都市もポリスだったのでしょうが、ドリュアスの襲撃で滅んだと見るべきでしょうね。その際の防衛戦の名残です。機体の戦闘情報を漁りましょう。売れる情報がサルベージできるかもしれません」
「そうだな、そうしよう」
エストは倒れ伏した第三世代機に近づいた。〈ネペンテス〉の腰から尻尾のようにコードが伸び、第三世代機に接続される。
すぐさまルナが電子防壁を解析、解除。当時の戦闘データや通信ログを漁り、有用そうなものをピックアップしていく。ものの二十秒で作業を終えたルナは「防衛戦闘マニュアルと戦闘データが幾許か。多少の小遣い稼ぎにはなりますかね」と感想を漏らした。
ふと、エストはレーダーに反応があったのを確認した。
レーダーモニターをポップアップ、反応は西南西約百メートル地点。
無害なドリュアスというケースもありうるが、この状況でそれはないと本能が警鐘を鳴らす。
「ルナ、戦闘機動最終準備。臨戦態勢」
「戦闘機動準備了解。いつでもいけます」
エストは背部ハードポイントにマウントしてあるコーパルライフルブレード〈
ライフルブレードに搭載されたリアクターが稼働し、コーパルエナジーが満ち、刻一刻と敵の出現を待つ——レーダーに映るドリュアスを示す紫色の
数は合計して五体。——エストは固くて苦い唾を飲み込む。
来た。
大きさは足を広げれば十六メートルにも達し、重さはおよそ十トン。外骨格の肉体でありながら自重に負けず悠々と陸上で活動し、それを可能とするのはコーパルという審判の荊がもたらした未知のエネルギーとされている。
キチン質とコーパル層が織りなす天然の装甲は並の攻撃を易々弾き返し、大人しく滅多に暴れることはないが、テリトリーを広げる際などにそこに人間がいようがお構いなしに進出してくるので、度々トラブルになる。
エストはライフルブレード〈Astra Regulus-71〉のコーパルエナジー弾をチャージ。距離は直線で百メートルを保っている。直接目視される距離ではないが、これ以上近づけば〈ネペンテス〉の排気コーパルで居場所がバレるだろう。
「
「——
引き金を離す。
溜め込まれていたコーパルエナジー弾が射出され、超音速で飛翔。青いエネルギーの塊が彗星のように空を切り裂き、オカムシペの顔面に炸裂。装甲の比較的薄い顔面を吹っ飛ばし、一撃で昏倒させ、絶命に至らしめる。青灰色の血が吹き出し、地面に広がる。
四体のオカムシペがコーパル反応を察知し、一気に動き出した。
朽ちた戦車や横転したバス、トラックなどを遮蔽物にして接近。射撃を遮ろうとする知恵を見せる動作だ。
ドリュアスには知能がないというのがなぜか定説になっているが、現場に出ている屑浚いにとっては「ドリュアスには知能と呼べるものが備わっている」というのが共通した認識だ。
あるいはそれは世代交代を経る中で本能に刷り込まれた狩猟本能から来るものなのかもしれないが、決してドリュアスは馬鹿でも阿呆でもない。人類は、決して頭の悪い生物に負けたりはしない。
〈ネペンテス〉がコーパルエナジー弾を速射。高密度のエネルギーが凝縮されたコーパルエナジーは最大で一万度——プラズマ並みに達し、直撃した廃車を一瞬で溶かし、蒸発させ、飛散した金属粉が一気に加熱されて小爆発を巻き起こす。
オカムシペが〈ネペンテス〉に飛びかかり、巨大なハサミをハンマーのように振り下ろした。
スラスターを吹かしてハサミを回避。草花に覆われたアスファルトを砕くハサミが、土埃とアスファルトの破片、飛び散った雑草を散らす。
「直撃を貰えばタダでは済みませんね」
「見ればわかる。回避優先、カウンター戦法で落とす。そのあとは速攻で距離詰められる前に潰す」
振り下ろされたハサミに、〈Astra Regulus-71〉のコーパルブレードを振るった。超高熱・超高密度のコーパルの刃がハサミを付け根から両断。
オカムシペが「ギシャァアアアアッ!」と軋りのような悲鳴をあげ、エストはすかさず刺突を繰り出して大蟹の胸をぶち抜く。
ブレードを突き刺したままエナジー弾を三発撃ち込み、内側からオカムシペを粉砕した。
「残り三体」
「一旦距離をとったほうがいいな」
エストは逆関節脚で後ろへ跳躍。スティック状にぐるぐる回るフットペダルを後ろに倒し、ルナが姿勢制御スラスターとバーニアを操作。すぐに左肩の八連装ハイコーパルミサイルコンテナがロックオンを開始。
撃発。
八〇ミリのミサイル弾頭が射出され、オカムシペの一体を青い爆発に巻き込んだ。激しい爆発音が響き渡り、周囲の草木が蒸発し、大きく揺れた。可視化されたような衝撃波が、廃自動車を二転三転、横転させていく。
「残り、二」
「やっぱこいつらは近づかれさえしなければ怖い相手じゃないな」
言いながらエストは右肩のハイパワーランチャーをエイムし、撃った。二〇〇ミリの特殊榴弾が炸裂し、オカムシペを粉々に吹っ飛ばす。
いかな天然装甲とはいえ、CVが積載しているコーパルギアという専用兵装を前にしては、流石に分が悪い。
「残り、一。一気に決めましょう」
「ライフルチャージ」
エストは〈Astra Regulus-71〉のライフルをチャージ。距離を保ちつつ、射線を確保。オカムシペが右に跳ぼうとし、瞬時にルナが偏差射撃の補正弾道を計算。エストはそれに従って、撃つ。
コーパルエナジーの塊が大蟹に叩きつけられ、胸から上が吹っ飛んだ。
会敵からおよそ二分未満の短時間で、エストは依頼を完遂してみせた。
「お疲れ様です。戦闘機動終りょ——いえ、待ってください」
「どうした」
「急速接近するコーパル反応です! これは……所属不明CV!」
「ちっ、イレギュラーか? それとも横取りか?」
エストは舌打ち。戦闘機動状態を維持し、レーダーに反応が映ったのを確認。前方六〇メートル先に降り立つ紅色の機体。
十三年前の——いや、あれは。
「来ます!」
突如として現れた襲撃者を前に、エストは〈ネペンテス〉の操縦桿を強く握り締め、奥歯を強く噛んだ。
深緑戦域の超克者 — プランターワールド・ザ・ヴァンクイッシャー — 夢咲蕾花 @RaikaFox89
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