第4話 「食材」として召喚って、嘘ですよね?
――何が起こったのだろう。
途切れそうになる意識の中、覚えているのは空間がねじれたような感覚。そして強い光の中を浮遊していたということだ。
見たことのない光の通路を、暴風に吸い込まれるかのように飛んでいく。その中で自分の左腕を掴んでいるのは……。
「幻弥……おまえ、何してんだよ!」
目を疑った。どうして弟まで。
「兄さん、暴れないで。ここは何」
暴風に煽られながら切迫した声で短く言う弟。ゆるやかな癖毛の黒髪は風で乱れている。何が起こっているかわからないけれど弟を巻き込んでしまった、そんな事実で気持ちが焦る。
「知らないよ! 離せよ幻弥、おまえは関係ない。来るなって言ったのに、バカ野郎」
「バカは兄さんだ! 関わらないと言ったけど、全部兄さんが悪いんだ。おれの言う事を聞かないから。聞いてればあんな目には、」
そうだ、こいつは常に「自分が正しい」、そういう話し方をする奴だった。たしかにそう言えるだけ、優秀な奴だが。
おれはそんなにも、頼りない兄なのか。
「もういいよ、離してくれ」
身をよじって左腕を離そうとする。
「待って、兄さん腕が…………うわ!」
左腕が離れた瞬間、急にフワッと体が重力で引っ張られる感覚があった。「なに、」短い叫びに弟の方を見れば……そこに弟の姿はなく。
ジェットコースターから振り落とされるかのような衝撃を覚えた。
◇ ◇ ◇
「あれっ? 最高においしい食材を二つも呼び出したはずなのに……もしかして人間?」
気を失っていたらしい。
目を開けたとき、自分を見つめていたのは、赤い目をした明るい印象の……少女、なのだが。
十四歳ほどだろうか。紅色の大きな目、整った顔立ちに、目と同じ色の肩ほどの長さの髪。健康的な白い肌。それだけならまだよかった。
頭に見える、短い二本の角……それからヒョロ、と伸びるしっぽがなければ。
作り物だろうか? しかし、しっぽは……動いている。
「え……っと」
上半身を起こし、言葉を失っていると。
「ああ、私はアトラ。魔族の『召喚士』なんだけどね、ちょっとお腹が空いちゃって。でも困ったなあ」
ケロッとした表情で言ったアトラの大きな瞳が、おれをじっと見据えた。声がスッと低くなる。
「……呼び出した食材が、人間だなんて」
「……しょく、ざい?」
それはつまり、おれのことだろうか?
アトラが一歩、一歩と近付いて顔を寄せ、おれの顔をじっと見た。真顔だ。
「ニンゲンって……とっても美味しいって言われてるの」
アトラが舌なめずりをする。
「どんな味なんだろうね?」
これは、本気の顔だ。背中に冷や汗が走り、思わずジリジリと後ずさる。
「え……っと、た、食べても美味しくないよ~……と、思うんだけど」
つまりおれは、この魔族という女の子に召喚された挙句、今から食材として食べられようとしているということか。夢みたいだが、周囲に見える荒野のような景色は日本とは程遠いし、妙にリアルだ。
アトラの服装は旅芸人、または冒険者といったところで、日本で見かける服装ではない。
現実。であるとしても、食べられるなんてそれはやめてほしい。
それならまだ、あのまま鉄骨の下敷きになっていた方が良かったのでは……あれ?
「鉄骨……そう、幻弥は」
周囲を見回す。しかし、弟の姿がない。
すると突然、頬をぎゅっと両手で挟まれた。
「あのね。キミ、今わたしに食べられそうになってるんだよ? よそ見だなんて、人間って皆こんなに平和ボケしてるのかなあ」
うーん、と考えるような赤い瞳は目の前だ。
「ちょ、ちょっと待って。食べる前にさ、弟を知り、ませんか……っていうか、言葉わかるんだ」
「異世界からの召喚だから、キミがこっちの言葉をしゃべってるんじゃないかしら? まあ、今回みたいなのは初めてだから、わたしもよく判らないんだけど」
「……初めてなんですか」
「そう。だからね、えーっと。弟だっけ? そうそう、わたしはとびっきりの食材を二つ呼び出したはずなのに、そういえばもう一人いないね」
「それ、弟です! どこにいるか知りませんか」
アトラはおれの頬から手を離すと、はて、と首を傾げる。
「それが……私、二体を同時に呼び出すのも初めてで。別の場所に落っことしちゃったみたい。ごめんね!」
彼女は、てへ、と頭を掻いた。
「……落っことした?」
「そう、ごめんね。でもでも、仕方がないよね? だって、もう一つの食材、何だかずーっとブツブツ言ってて怖かったんだもん。確か、『兄さん兄さん兄さん兄さん』って、すごく黒いオーラでね。あれ、キミのことでしょ。
キミ、何か呪いでもかけられてたの?」
「呪い……」
弟が兄を「兄さん」と呼ぶのは問題ないと思うのでいいのだが、呪いに聞こえたというのは問題だ。
つまり、あれだろうか。
「……念願の医学部に合格して頑張っていたところ、出来の悪い兄が事故に遭って助けに行ったら死にそうになって、今度は変な魔法陣の巻き添えを食らう……。たしかに、呪われてもしょうがないかも」
目に見えて気落ちしていたのだろう。アトラが同情する。
「まあ、元気出して。大丈夫。今すぐ美味しい食材として調理してあげるからさ」
持ち上げて落とすタイプらしい。
アトラは背中に背負ったリュックサックを下ろすと、そこから……一メートルほどの巨大なフライパンを取り出した。いや、どう見てもあのリュックに入らないサイズだろ。あれか、大きさという理屈を抜きにして何でも入るという、魔法のハンドバッグもとい、魔法のリュックというものか。
「よいしょっと」と鉄のフライパンを、いつの間にか用意していた焚き木の上に置く。用意周到なことに、きちんと石を積み上げてすでに窯のようになっているではないか。
アトラはポケットから何か水色の香水瓶のようなものを取り出す。それを吹きかけたところからボッと火が出た。……異世界だ。焚き木がパチパチと炎を揺らす。
あの上で調理されるというわけか。
「食材……」
逃げられるだろうか。
ちらり、と周囲を見渡す。所々、ちょっと変わった木があるだけで、隠れられそうな物はない。
アトラは可愛らしい、そして若干残念な感じの女の子に見えるが、異世界から人間を召喚するなどという恐ろしい魔法を使う子だ。きっと強い魔族なのだろう。……逃げるの、無理。
おれの持つもののなかで唯一価値があった右腕も失ってしまったし、たった一人の肉親である弟には迷惑をかけて呪われる。
おれのようなダメな奴は、せめてこの子の食材にでもなった方がいいのかもしれない。
そんなことを思って下を見た瞬間。
「……え?」
目を疑った。
地面に書いてある巨大な魔法陣。いや、問題はそれじゃない。
問題はその上にある、おれの腕だ。
「右手が……ある」
おかしい。右手はあの時、鉄骨に押しつぶされて原型をとどめていなかったはずだ。
それなのに今、おれの右腕はちゃんと……なんの損傷もなくここに存在しているのだ。思えば身体中痛かったはずなのに痛みもない。
「どうかしたの?」
この子の魔法で、元に戻ったというのだろうか。
右腕を眺める。
その瞬間、この右腕に詰まったじいちゃんとの記憶がよみがえるようだった。手を持って書道を指導してくれたこと、良く出来たと褒めてくれたこと、『自慢の孫じゃ』と頭を撫でてくれたこと、一緒にやると言った弟の頭をこの手で撫でたこと。
「……はは」
小さく笑い……それからいつの間にか笑いが止まらなくなって。
「ははは……ははははは! あははははははは……」
「えっと。私、頭がおかしい人間を召喚しちゃったのかな?」
首を傾げるアトラに、僕は笑いを止めて。まっすぐに頭を下げた。
「ありがとう。君のお陰でまた書ける」
あの時、血の海のなかで願ったことを思い出す。
――やり直せるのなら。
今度は迷惑をかけないように、弟と関わらずに生きよう。
そして……ただ書きたい。
ただただ、書いていたい。
「これで、いくらでも書けるぞ~!」
思わず笑顔で立ち上がったところ、アトラはきょとんとした目をしていた。
「キミ、変な子だなあ。今から私が食べるって言ってるのに。書くって、何をそんなに書きたいのさ」
「え? それは書道だよ。じいちゃんに教わった偉大な藝術、貴重な文化……」
すると突然、アトラに口を塞がれた。彼女は周囲を警戒するように慌てて目を走らせる。
「キミ、何てこと言うの!」
それからアトラはゆっくりと、衝撃的な言葉を吐いた。
「この世界でね。藝術は……犯罪だよ」
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