今がその時
畝澄ヒナ
今がその時
家にあった古いオカルト雑誌に、『魔法の存在』という記事が載っていた。小さい頃に一度読んだきり、開いてすらいなかったのだけど、ある出来事をきっかけに再度読むことになる。
「ただいま」
僕は母さんと二人暮らしで、今日もいつも通り学校から帰ってきた。
「あれ、母さん?」
いつも出迎えてくれるはずの母さんがいない。
リビングへ行くと物が散乱していて、まるで強盗が入ったかのような有様だった。
「何だよ、これ」
しばらく固まっていると、机に何か刻まれてあるのを見つけた。
その文字は明らかに日本語ではない。というか、見たこともない言語だ。
「一体何が……」
スマホの翻訳機能を使っても、文字化けして役に立たない。でも、この文字にはきっと意味があるはずだ。
僕は言語学者だった父さんの書斎に駆け込み、片っ端から本を漁った。古代文字からデジタル言語まで、どれを見てもあの文字とは違うものだった。
「くそ、だめだ。ん? これは……」
それは昔読んだオカルト雑誌だった。そして気になる記事を見つける。
「魔法の、存在?」
内容はほぼ都市伝説に近いものだったけど、魔法使いの用語一覧を見た時、僕ははっとした。
「これ、あの文字と同じだ」
僕は早速、机の文字と照らし合わせる。
『命は満月の夜とともに消える』
『救いたければ石の示す場所へ来い』
辺りを探すと、小さな石のついたネックレスが落ちていた。
「命って、もしかして母さんの……」
母さんが今危険な状況にあるということはわかった。だけど、どうすればいいんだろう。
雑誌の記事には続きがあった。
「魔法の師範?」
こんなのは嘘に決まっている。この世界に魔法なんてあるわけない。きっとこの文字も、頭のおかしい愉快犯が書いたに違いない。
でも、他に方法も見つからず、住所を頼りに『魔法の師範』を訪ねてみることにした。
田舎町の山奥、行き着いたのは木造のぼろ小屋だった。
「あのー、誰かいませんかー?」
扉を叩いて呼びかけても返事がない。やっぱりデマだったんだと諦めて帰ろうとした時、ゆっくりと扉が開き、中から強風が吹いてきた。
僕の少し伸びた硬い黒髪が激しく乱れる。メガネが飛ばされないように、途中で外してポケットに突っ込んだ。
しばらく強風に耐えて目を開けると、そこには三十代ぐらいの、清潔感のない長髪の男が立っていた。
「お前、俺に何の用だ?」
「あ、えっと、『魔法の師範』さん、ですか?」
男はその言葉に驚いた表情をした後、僕の首元のネックレスを見て目を見開いた。
「その名前どこで。あと、それはどこで手に入れたんだ」
「えっと、オカルト雑誌に書いてあって、これは家に落ちてて、あ、それより、母さんが誰かに誘拐されたんです!」
次の満月は一ヶ月後、一刻の猶予もない。
「落ち着け、何があったのか、最初から話せ」
僕は、母さんが誰かに誘拐されたこと、部屋が荒らされていて魔法使いの文字が残されていたこと、石の示す場所に母さんがいることなど、家に帰ってからのことを細かく説明した。
「文字を書けるということは獣ではないな。いやでも、魔法使いは今は俺一人なはず」
僕の話を聞いて、男はぶつぶつと何か言っている。
「石の示す場所って書いてあったんですけど、この石、何も反応なくて」
家からここまで、ずっと石を様子を観察していたけど、ただの石にしか見えない。
「そりゃそうだ、お前には魔力がないからな。記憶石は魔力に反応して、記憶した場所の方向を示す。魔力がない者にはただの石同然だ」
魔力? それは人間が得られるものなのか。
「じゃあ、どうしたら……」
「お前、名前は?」
「今村叶多です」
僕の名前『叶多』は、母さんがつけてくれた特別なものだ。
「叶多、お前は母さんを救いたいんだよな?」
「当たり前です! 母さんは、父さんがいなくなった後も一人で僕を育ててくれたんです」
男はにやりと笑う。
「じゃあ、決まりだな」
これから一体、どうなるのだろう。
「これ、持ってみろ」
渡されたのは手のひらサイズの黒光りの石。持ってみると、それは徐々に赤く光だした。
「え、な、何ですかこれ!」
「それは属性石だ。どの属性に適しているかがわかる。お前の場合は『炎』だな」
いきなりのことすぎて、理解が追いつかない。
「じゃあ、これ持っとけ」
今度は新品のマッチを渡された。どういうことだろう。
「一部屋貸してやる、そこで集中して考えてみろ。考えることは自由だ」
「え、ちょっと……」
何も説明がない。母さんが危険だっていうのに、あの人は何なんだ。
僕はこの日から部屋に篭り、色んな考えを巡らせた。
部屋を出るのは食事の時だけだ。
「こんなことして、何の意味が……」
僕はもう、母さんのことしか考えられなくなった。
母さん、無事だよね?
僕が絶対に助けに行くから。
もう少し、もう少しだけ待ってて。
絶対、絶対、絶対……。
助けに行くんだ……!
心に何かが灯った。
「うわあ!」
その瞬間、マッチに火がついた。
「おお、やったか」
「こ、これ! どういうことですか!」
僕の声を聞きつけたあの人が部屋に入ってきた。
どうしてこんなことが起きたのか、僕はすぐに説明を求めた。
「魔力が発生したんだ。考えは、想いは、魔法を錬成させるからな」
僕はまだ完全には理解できなかった。
「ほら、その石を見てみろ」
男は僕の首元のネックレスを指差した。
「あれ、光が」
石は真っ直ぐ光を放っていた。
「その先に叶多の母親がいるはずだ」
「あ、ありがとうございます……! えっと、僕はこれからどうすれば……」
僕は希望が見えたことで、男に信頼を抱き始めていた。
「じゃあ、次はこれだな」
渡されたのは顔ぐらいの大きさのランプだった。
「やることは一緒だ。じゃ、頑張れよ」
「あ、あの、あなたの名前は……」
「師範でいい」
また同じように、師範は僕をほったらかし、直接何かを教えてくれることはなかった。
「師範! 火がつきました!」
「はい、次」
火をつけるたびまた別のものを渡される。それは徐々に大きくなっていった。
そして、ある日突然言われた。
「これに火がついたら母親のとこに行け」
師範は魔法について何も話してくれなかった。
最後に渡されたのは湿ったマッチ。それに火が付いたのは、満月の夜の前日だった。
「師範、火がつきました……」
「お前は優しいから、きっと母親は助かる。頑張れよ」
詳しいことは何も話してくれなかった師範。でも僕は、確実に強くなった気がする。
僕は一人で石の示す場所へと向かった。
その場所は、僕が父さんとよく行った洞窟だった。
「どうしてここに……」
洞窟の最深部に二つの人影が見えた。
「ああ、母さん!」
一人は母さんで、もう一人は……。
「父さん……?」
あり得ない、父さんはもうこの世には……。
「叶多、来てくれたのか。待っていたよ」
「本当に父さんなの?」
「もちろんだ、さあ、おいで」
母さんは父さんの隣でぼーっと立っている。
「母さんは、大丈夫なの?」
「ああ。だから、ほら、早くおいで」
おかしい。母さんの様子も、父さんの口ぶりも。
「父さん、一体何を……」
「いいから早く来るんだ!」
いきなり怒鳴るなんて、父さんらしくない。
「やっと魔法が完成したんだ。これで家族一緒にいられる、永遠にな」
「そういうことだったのか、一般人がここまでやるとは」
後ろからの声に振り向くと、そこには師範がいた。
「お前は誰だ!」
「魔法で永遠の命を得ることは禁忌だ。魔法使い規定に基づいて対処させてもらう」
「師範……」
「母親を助けたいんだろ、こっちは任せて早く行ってやれ」
僕は大きく頷き、母さんの元へ駆けつける。
「母さん、母さん?」
揺さぶっても反応がない。目がうつろで、感情というものが欠如しているようだ。
「もう、手遅れなの……?」
僕の心の灯火が、小さくなっていくのを感じる。
僕がしっかりしていれば、僕が強ければ。
僕が、全部悪い。
だから母さんはこんなことに。
母さんがいなくなったら、僕はもう。
僕の生きている意味なんて……。
「余計なことを考えるな!」
師範の叫び声が僕の耳を貫いた。
「叶多、母親を炎で包むんだ」
おかしくなった父さんを魔法で抑えながら、僕に語りかける。
「でも、それじゃ母さんが……!」
「大丈夫。叶多、お前は優しい。きっと人を燃やすために魔法を使うようなやつじゃない」
師範の言っていることはずっとわからないけど、やるしかない。
「母さん、ごめん」
僕はそっと、母さんを炎で包んだ。
「あれ、燃えない……?」
その炎は人肌のような温かさで、数十秒後に自然と消えていった。
「かな、た?」
「母さん! 良かった……!」
僕は泣きながら母さんに抱きついた。
「どうしたの? 何があったの?」
「生きてて、良かった」
母さんは何も覚えていないようだった。辺りを見回すと、父さんと師範の姿はなかった。
あれから一週間、僕と母さんは平穏な日々を送っている。
父さんは依然見つからず、師範のぼろ小屋はもぬけの殻だった。ただ、小屋の扉に僕宛ての一通の手紙が貼り付けられていた。
「叶多、無事に母親を助けられて良かったな。最後に、父親の記録を残しておく。一応、大事な家族だろうからな。見たくなければ捨ててくれ」
封筒の中にメモが何枚か入っていた。それは、父さんの日記の一部だった。
私は魔法の存在を知った時から、その研究に没頭した。
そして、ついに永遠の命を手に入れられる魔法を習得した。
これで研究を続けられる、家族とも一緒に。
だが妻は、受け入れてくれなかった。
仕方ないが、強行手段だ。
叶多は頭がいいから、うまくここに誘導しよう。
「父さん……」
メモを全て読み終わった後、師範の手紙には続きがあることに気がついた。
「人の心がある限り、魔法は生き続ける。そのことを忘れるなよ。また会う日まで、元気でな」
師範は結局、大事なことは何も言ってくれなかったな。
あれから魔法は使っていない。使う気もない。ただもう一度、師範に会えたなら……。
「よう、叶多。久しぶりだな」
魔法使いを目指してみようと思う。
今がその時 畝澄ヒナ @hina_hosumi
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