100の質問に答えてください。
渡貫とゐち
踏みとどまれるか。
――遅めの起床。
セットしたアラームも、気づかぬ内に解除していたみたいで、起きる予定の時間から三時間の寝坊だった。
まあ、休みの日だからいいんだけどね。
日曜日だった。
既に十時を回っている。
ワイドショーも後半戦と言ったところかな。枕元になかったスマホを、内心かなり焦りながら探すと、なぜか股の下にあった。布団の中でバタバタと暴れながらスマホに手を伸ばす。よっと。よかった、画面がバキバキに砕けていたらどうしようかと思っていたよ。
布団の中と外とではかなりの気温差があった。
部屋の中が冷え切ってしまっているので布団の中から出たくないけど、暖房を点けるにしろ、ストーブの前へいくにしろ、朝風呂に入って体を温めるにしろ、布団の中から出る必要がある。
さらに温まるには一度は冷えるしかなくて……あー、やっぱりこれは出ないとダメそうね。当然だけど。
結局、買い物にはいかないといけないわけで、独身は家の中のことを自分でしなければならないのだ。布団の中で亀になって月曜日を迎えたくはなかった……仕方ない。
がばっ、と獲物を背後から飲み込むように掛け布団を勢いよく上へ吹き飛ばし、寒さに震えながらベッドを下りて、ストーブの前へ。
電源オンのスイッチを押して、ぶぅぅおん、と動き出したストーブの前で両手を合わせて擦り続ける……やがて、揃えたつま先に温風が当たり…………凍えていた体が溶けるように、失った体温が戻ってくる。
そこから十分ほど、暖を取ってから……朝風呂に入って体の芯から温めようと思った。結局、熱湯を被るのが一番早く確実ってことよね。
「っと、その前に」
つま先を温め続けながら、スマホをいじる。
一気に指先が冷えてくるけど、仕方ない。動かしていれば指先も温まるでしょ。
SNSを立ち上げる。フォロワーさんの投稿を一通り見て――そう言えばつい最近、大型のアップデートがあったことを思い出す。知らぬ間に更新していたみたいで、アプリは最新版だった。
いつもの不具合の改善かな、と思って使っていると――早速、変化があった。フォロワーさんにいつもの「おはようございまーす」と、挨拶を投稿しようとすれば、投稿完了にならなかった。まだ文章は私の手から離れていっていない。
「ん? なにこれ……『投稿する前に100の質問に答えてください』……?」
幸い、Yes/No で答える質問のようなので、極端なことを言えば全ての質問にYesと連打していけば最速で終わる。ただ、アンケートでない場合、質問の答えによって操作が制限される可能性もある。
SNSが数日ロックされる、なんてことにならなければいいけど……、そんなことになったら私は死ぬよ。みんな死ぬんじゃないかな?
それだけ、今、SNSは世の中――ううん、人間には必要なものだから。
まるで水みたいだ。
そこまでではない?
まあ、なくても困らないと言えばそうだね。使える距離感で、使わなかったら禁断症状が出るかもだけど、たとえばスマホを取り上げられて狭い部屋に監禁されたら、三日くらいでない生活に慣れるんじゃないかな。
住めば都と言うし、スマホがない状況も数日で都となる可能性はある。ただ、人間はスマホを捨てることができない。自分の意思で。となると、都には届かないのだ。
取り上げてくれる誰かが必要なんだけど……周りにはだーれもいない。
友達も、家族も、恋人も。
ひとりぼっち。
フォロワーさんがいるからひとりじゃないもん! ……あぁ、虚しくなってきたなあ。
ともかく、そのフォロワーさんたちに挨拶をするため、投稿しようとすれば、ひとつ目の質問が始まった。
―― その投稿は人を傷つけてしまう内容ですか?
Yes/No
―― その投稿は先入観や偏見で言ってしまっていませんか?
Yes/No
――その投稿は男性が見て不快になりませんか?
Yes/No
――その投稿は女性が見て不快になりませんか?
Yes/No
――その投稿は小さな子供が見ても悪影響を及ぼしませんか?
Yes/No
……なるほど。
続く質問内容を見るに、誹謗中傷とならないように寸前で引き留めてくれているらしい。
もちろん、◯ねや◯す、のような攻撃的な言葉は弾かれるけど、ある特定の人物にだけ刺さる内容となると、事前に弾くのは難しい。
そのため、直前で質問することによって、まさに今から投稿しようとしている文章を、もう一度、ちゃんと考えてみよう、と促しているのだ。
まあ、過激なことを投稿する人はなにを言われても投稿するんだけど……、本当に悪気がなく言ってしまっていた人たちは、淡々と繰り返される質問に、ちょっとは思い留まってくれるかもしれない。
一度や二度の忠告なら無視されることもあるけど、100回も繰り返されると、悪いことをしていないのに、「え? 大丈夫だよね?」と思ってしまうものだ。
そう思わせた時点で質問した側の勝ち。
ようは罪悪感を与えれば、やがて文章もマイルドになってくるはず。
――その投稿はあなた自身が言われても傷つきませんか?
Yes/No
――その投稿が自分の息子(娘)が言われていても傷つきませんか?
Yes/No
――その投稿によって特定の企業、団体が損をしませんか?
Yes/No
――その投稿は不確定な要素を含んでいませんか?
Yes/No
――その投稿の内容は、真実とする証拠がありますか?
Yes/No
――ある、とお答えした方に質問します。証拠を提出できますか?
Yes/No
――その証拠は警察から要請があった場合、提出できますか?
Yes/No
…………そろそろ指が疲れてきた。
いや、誹謗中傷を減らしたいという意図は伝わるんだけど、私はただ「おはようございまーす」とフォロワーさんに挨拶をしたいだけで、ここまで質問攻めされるような内容ではないはず。AIって賢いんじゃなかったっけ? さすがにまだ投稿内容を判断してスルーするか止めるかまではできないのかな……、AIも実はまだまだってことか。
「……うぅ……時間がかかり過ぎる……体温も上がり過ぎてるし、そもそももうお昼だし……おはようございますじゃないじゃん……」
ちょっと魔が差して、投稿を中止する、を押してしまった。
画面が切り替わり、キーボードが画面下半分に出てくる。また打ち直しかあ……じゃあ次は「こんにちわ」に変える? でも、どうせ投稿するならもっと内容があった方がいいよね、冷えた昼ですね、とか。うぅん、いっそ俳句にでもしてしまおうか。
「…………う、また100の質問、最初から……?」
投稿内容が違うなら当然、質問も最初からのはずだ。
誹謗中傷する気なんてないんだけど……めんどくさいなあ。
諦めて、1から質問に答えていく。
たんたんたん、とテンポ良く答えていく。答えが定まっていないので、ちゃんと質問を見る必要がある。……ので、思っている以上に疲れる作業だった。
……そして、100の質問をやっと終え、気づけば午後になっていた。朝食も食べていなかったし、お腹もすいている。やっと、投稿することができて、ふっと肩の荷が下りた気分だった。
なんかもう見る気がしないなあ、と思ってスマホを閉じ――ようとした瞬間、【プレミアムバージョン】というものがあるらしく、つい、詳細を見てしまう。
月額を払えば、より良いサービスを受けられるらしい……へえ。けれどこれ、名前が違うけど以前まであったサービスだ。
なにを今更、と思ったけれど、とても魅力的なサービスがあり、目を引かれた…………やられたなあ。
――【プレミアム会員になれば100の質問をスキップできます!】
魅力的だけど、誹謗中傷を減らすための対策じゃないの?
これ、誹謗中傷をしたい人はお金を払えば簡単にできるってことなんじゃ……? でも、それでいいのかな? お金を払うなら――過激なコメントも納得できる? ……できないでしょ。
お金を払ってまで投稿する人、100の質問を答えられる暇人が浮き出てくるだけ、ってことかもしれない。
いやでも、そもそも普通の投稿にだってかなり手間と時間が使われるわけで…………。このアプリに固執している人は課金するのかもしれない。
結局、口八丁で善行のフリをして、プレミアム版への誘導ってことね。
「ふっ、やるじゃない……さすがの商売上手ね」
私は自然と課金していた。指がぬるぬる動くのだ。
だって、100の質問は苦痛過ぎた。
もう一度あれを繰り返せと言われたら……私は……。
お金に余裕があるわけじゃないんだけど――というか、かなりきついんだけど、SNSには使えてしまう不思議だった。
これからの夕飯が質素になっても、SNSは、やめられない。
・・・おわり
100の質問に答えてください。 渡貫とゐち @josho
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