あれから四年……

 森川春花はふと空を見る。それは何処からか漂ってくる微かなオイル臭さの正体を探すためだった。ビルが巨大な影を投げかけていて、辺りはとても薄暗く、空に浮かぶ飛行船は昼間でも輝いて見えた。看板を付けた飛行船が宙にオイルをまき散らし、スピーカーから声を上げる。優しそうな女性の声が、復興したばかりの東京の街に響き渡った。


「世界間戦争が起こってから、約四年になります。我々は異世界からの侵略者に勝利しました。それも、イデアガン使いのおかげです。さぁ、これを聞いているそこのイデアガン使いのあなた!我々、新日本政府は、その才能を欲しています。我々と共に栄光の未来を守ってはみませんか?」


 それはよくある政府の広告だった。人々が他の世界の存在に気がついているのに、侵略者を追跡することもなく、国同士の小競り合いを続けている。春花はそれに憤りを感じていた。それは彼女が先の大戦を生き残った者として責任を感じていたからであり、侵略者の残忍さを知り尽くしていたからだった。春花は固く誓いを立てていた。もう、あんな戦争を繰り返しはしないと。

 

 四年前に重力雨が降ってから、バルクと呼ばれる高次元空間を感じ取ることが出来る人間が現れるようになったのだ。そして、彼らはイデアガン使いと呼ばれるようになった。


 魂はある世界に居れば、そこの法則に縛られる。しかし重力雨が降ってから出現したイデアガン使いは、バルクに近づきこの世界から一定まで身を離すことによって、物理法則をある程度超えることが出来る。この世界から離れたバルクに近い空間の事を「中性空間」と呼ぶ。私たちの世界から中性空間の存在に作用を及ぼすことは出来ない。一度そこに逃げ込んだら、もう相手を攻撃することは叶わないのだ。


 ゆえにイデアガン使いは重要だった。彼らはこの世界に物質として存在しているものを高次元に持ち込むことが出来る。物理法則を超えながら、中性空間に逃げ込んだ敵を攻撃することができるイデアガン使いは、大戦の時に現れた侵略者に対抗するために、その才能を必要とされた。春花はそれを強く誇りに思っていた。初めて手に入れた自分の居場所だと思っていた。


 春花が次元警察庁のオフィスに現れたとき、中村瑠璃は最後のタバコを吸い切ったところだった。医者からタバコを吸うなと言われているのに、仕事の疲れを感じるといつもこうして一服してしまう。微かに湧き上がる高揚感に乗って、宙に立ち昇りそうになっていたとき、揺れている煙の向こうに春花の顔を見た。春花は両サイドの髪を顎のラインで切りそろえていて、後ろの長い髪を赤い糸で束ねている。二十歳になったばかりとは思えないぐらいシッカリとした顔つきで、眼光は鋭く、彼女の決意と闘志がよく表れていた。


 若さとは尊いもとだと瑠璃は思っていた。だが、その貴重な若さを国のために使い、命を散らした者たちを見てきた彼女にとって、春花は一種の愚か者だった。子供は何も考えず、勉学に励み、友達と遊べばいいのに、大戦が終わっても春花は戦いを止めなかった。瑠璃は彼女の顔を見るたびに、春花を戦いに巻き込んでしまった責任を感じる。まだ、悲劇を前に泣くことしかできなかった少女の面影を、その大人びた表情の中に見るのだ。


「中村主計官、なぜ、私を捜査から外したのですか」


 春花は憤っていた。自分が強力なイデアガン使いであることを知っていながら、それを生かそうとしない、瑠璃に不信感を感じていた。


 この次元警察庁には、次警、上警、権支、能使、制事、主計、座統、智役の八種類の役職が存在している。次警は一般的な、異世界関連の事件を扱う役職で、上警はそれの上位互換であり、イデアガン使いだけで構成されている。それらに近いのが、能使であり、彼らはイデアガン使いで構成された役職だが、捜査官一般と違って武力行使の規定が緩い。


 対照的に、権支は捜査官たちを監視する役職であり、その捜査の権利関係を精査する、制事は次元警察庁の諜報一般を担う役職である。


 そして、次元警察庁の管理職が、主計、座統、智役である。主計はある部署を率いる役職で、捜査の進行と捜査官の管理を行っている。それと似ているのが座統であり、彼らは部署や局の集まりを管理し、それらの連携を助ける役職である。智役は、一般的な警察官僚と言ったところだろう。


 彼らは別々に行動しているわけではなく、組織を共に構成していて、その中で密接に連携しあっている。その役職内で、捕、視、正と階級が分けられていて、それを区別する時には、役職の名前の後ろに当てはまる階級をつけて呼ばれる。ゆえに瑠璃は、上警である春花に命令権があるのだ。


「なぁ、春花、お前は何歳になった?」

と瑠璃はタバコを灰皿に押し付ける。こう見ると彼女は大戦の時から変わってしまった。彼女の長い髪は春花の憧れだったが、今は短く切りそろえ、かつての艶やかな黒は白髪が混ざって薄れてしまった。あの頃の清楚で美しい顔は、喫煙による不健康と心労で、いかにも管理職という見た目に変わってしまっている。かつては筋肉質で整った体だったのに、今はやせ細ってしまっていた。


「イデアガン使いに歳なんて関係ありません。私は強いです。何故使わないんですか?」

と春花の声は震えている。それは自分がまだ子供であることへの焦りからだった。


「だが、大戦は終わった。所詮お前はただの子供だ。もっと青春を楽しんだらどうだ」

「青春…大戦の時、何人が自分の青春を捨てて、戦ったと思っているんですか?そんなの数え切れませんよ。あの時、イデアガンを使えたら、誰でも従軍したのに、今更なんですか!?」

「もう戦争は終わったんだ。国は、お前を置いておきたいんだろうが…言っておくが、お前は子供だ。子供はお呼びではないんだよ」


 そう言って、瑠璃は立ち上がる。これ以上、子供の戯言に付き合うつもりはなかった。瑠璃が愛用のサマージャケットを椅子から取って、部屋を後にしようとしたとき、春花が言った。


「瑠璃姉さん…私を置いていかないで…」

瑠璃姉さんなんて、そう何年も呼ばれていなかった。瑠璃は思った、こんなに時間が経っても、まだ、私についてくるんだなと。そして春花が自分に伝えたいのは、一緒に時間を過ごしたいという事であるのはもう分かっていた。それは子供じみた願いだった。だが瑠璃は、春花へ多くの願いを託してきたにもかかわらず、彼女自身の願いをかなえてやったことがなかった。だから、少しぐらい寄り添ってもいいと思った。春花が求める理想的な姉として、その孤独に向き合おうと思った。


「分かったよ…ついてこい、今から会議が始まる」

と瑠璃はボソッと言って、そのまま後ろを振り返らなかった。静かに自分を追う、春花の足音に耳を傾けていたからだ。何時もこうだった。瑠璃は多くを語らず、春花は無言でその後を追う。それは二人の暗黙の了解であり、大戦を生き残った者同士の深い信頼だった。


 春花が着いた時には、捜査会議はもうすでに始まっていた。新たな治安維持の象徴として建てられた次元警察庁の庁舎は、新進気鋭の建築家によって設計されていて、その外観はガラスとコンクリートで出来た城のようだとよく言われる。それは会議室も例外ではなく、剝き出しのコンクリート壁が周りを囲み、自然光を取り入れられるように天井はガラス張りで、光源の少ない会議室に神秘的にも思える光を注いでいた。


「瑠璃!なんで、ここに森川春花上警が居るんだ!?」

と声を上げたのは、警備局の佐々木慶介だった。彼は髪をオールバックにしていて、表情はいつも優しく、性格もそれに準じていた。少し年を取っているが顔は整っている方なのだろう。切れ長の眉と、少しつっているが優しそうな目もとが的確に彼の性格を表しているようだった。彼なりに彼女を心配しているつもりだったが、それを聞いた春花は不快そうに表情を歪める。


「何ですか?上警官の私が、ここに来てはいけない理由があるんですか?」

と春花は感じていた怒りを抑えながら言った。その為か、言葉は無機質さを帯びて、抑揚がなかった。聞こえてきていた誰かの話し声は、その後、静まった。


「いや、そういうわけじゃないが…」


 そう言った後、佐々木は自分の感情を表すことができる言葉を探すが見つからない。


「おい、席につけ、森川春花上警、中村瑠璃主計、会議は始まっているんだぞ」

と叫んだのは、秋村薫座統官だった。彼は、下位と中位捜査官たちの席に向き合って並べられた上位捜査官たちの席に座っている。


 下位捜査官は、次警、上警、権支で構成されているカテゴリーで、一番数が多い。中位捜査官は、能使、制事、主計で構成されていて、何らかの特殊技能を要求されることが多い。そして、上位捜査官は、座統、智役である。


 春花は秋村の事が苦手だった。いかにも官僚らしい小太りな体型と威圧的な態度、その眼光は鋭く、いつも何かを問いただしているかのようだ。


 秋村は鋭い視線を向けてくる。それから逃げるようにして、春花は、空いている席に座った。


「で、続きは。藤堂雅彦復興大臣が殺され、お抱えの経済復興計画の一つである亜世界通信の進行に影響が出た。で、その亜空間通信とはなんだ?」

と秋村が言うと、一人の女が立ち上がる。おそらく公安局の制事官だろうと春花は直感した。その特徴のない平凡な顔と雰囲気は、諜報を生業とする制事官に特有のものだったからだ。


「亜空間通信は、わが国と米国が共同で投資を行っている次世代通信インフラの事です。この通信はバルク空間を通して、大容量ゼロ時間通信を実現します。それは、情報全般に有効です。実現すれば、人を介さずにほかの惑星に物を送れますよ」

「だが、バルク空間に行けば帰っては来れないんだろう?そんなことが可能なのか?」

「それは、国家の最高秘密で、公安局にも何の情報もありません。ただ、今回の事件を引き起こしたテロリストたちはもう既にその正体に目星をつけているでしょう」

「なぜそう言えるのかな?」

「この連続テロに、西本佐奈が関わっているからです。彼女は世界間大戦の英雄であり、最高のイデアガン使いでした。そして、初期の亜空間通信の発展に貢献したと言われています」

「西本佐奈は、死んだはずではないか。大戦の最後に…」

「詳細は分かりませんが、確保されたテロリストはそう証言していました…」


 ここまで話を聞いて、春花は黙っていられなくなった。忘れもしない、最後に佐奈に会った時、起こったこと、彼女が残した言葉を。そして春花は思い出す。佐奈を、大切な友達を、殺しに向かった時のことを。あの時、彼女は言った、私が私であることが罪なんだよと。その時、春花は何も言えなかった、ただ、銃口を向けることしかできなかった。


 春花は立ち上がると言った。本当は言ってはいけないことだと思いながらも。


「佐奈は、生きています。そして、あの時の決着をつけようとしている」


 周囲がざわめく。まるで、波が岩礁に身を打ち付ける時の、あのうなり声のように。


「秋村座統官!! 春花は精神疾患を患っています、会議を中断してください!!」

と叫んだのは、あの瑠璃だった。いつもは冷静沈着で、叫ぶことは滅多にないにもかかわらず、その声は震えている。頑固な性格の彼女が、春花を捜査に関わらせるという意思を一瞬で覆したのだ。


「主計官、なぜ、一人の精神衛生を理由に、会議を中断しなければならない?それと、森川春花上警、何故、そんなことを言うのかね。佐奈を殺したのは、君ではないか!?」


 春花は続けようとしたが、ふと瑠璃の姿が目に入る。彼女は、やさしさとも怒りとも、とらえることが出来ない視線を向けてくる。言葉がもう出かかっているのに、一言も、しゃべれなかった。


「はぁ、だんまりか…。英雄も、大変なんだな。いいだろう、森川上警を捜査から外す」


 何故か春花は安堵する。自分の無能を証明してしまったのに、さっきまでの捜査参加の願いを自分でつぶしたのに、心のざわめきが収まる。これが潮時だと思った。


「だが、英雄として、貢献はしてもらうぞ。森川上警は、これから、専従捜査に切り替えてもらう。いいかね?」

「いいかって…誰の意向ですか」

「上だと言っておこう。これ以上、詮索はするな…」

「分かりました。私一人で捜査すればいいんですね」


 春花は冷静を保っているつもりだった。だが、心は怒りに揺れ動いていた。初めからこの流れは作られていたのだろう。そして、春花はまんまとそれに乗ってしまった。要するに政府は、春花に再び佐奈の暗殺を指令したのだ。


「違う、お前には、パートナーと監視役をつける。蒲池制事官、立ちなさい」

「はーいっ」という、元気な声と共に、前に座っていた女が立ち上がった。見た目は少女のようで顔は可愛らしく、春花よりも背が小さかった。髪は短いがくせ毛で整っておらず、彼女の性格が表れている。いかにも変人で制事官らしくないその姿は、春花に警戒心を抱かせた。


「よろしくね、森川さん。私の名前は蒲池綾香です。後でこの出会いを記念して飲みに行きましょ?」

と、無邪気に笑みを浮かべるが、春花は綾香を睨みつけて言った。


「すいません、飲酒は好きではないので、残念ながらご一緒できません」

「へぇー、偉いね。それはいい心がけだよ」


 綾香はそう言って答えを求めるが、春花はそれを無視した。それは訳の分からないやつと関わりたくなかったからだ。


「秋村座統官、監視役は彼女ですよね。ではパートナーは誰ですか」

と春花は秋村に向けてそう言った。それに対して、秋村は一回うなずくと、

「入ってください、イナサ・サキ」

とだけ言った。


秋村がそう言うと、向こうの扉から男が入ってきた。彼は白髪だったが青年のような見た目だった。長い髪は三つ編みになっていて一つの大きな縄のように組み合わされている。瞳は黒く赤い光沢を帯びていた。スーツを着慣れていないのか襟は乱れている。


 春花は驚いた。この男はおそらく地球の人間ではないだろう。もしかしたら他の世界の人間かもしれない。男は春花の視線に気が付いたのか、彼女に向けて微笑みかけた。


「あなたが、僕のパートナーなのか?」

 とイナサは、春花に友好的に話しかける。だが彼女は得体の知れない憎悪を抱いていた。いくら友好的な異邦人だとしても、戦争の記憶が消えるわけではない。


大戦が終わった後、人類はバルクに近づいて初めて光速を超えた。それによりほかの惑星に到達した人類は、技術の進歩を待つことなく宇宙時代に突入した。それから中性空間を介した惑星間貿易が進んだが、春花はそれに懐疑的だった。大戦の時、地球を攻めた異邦人はまだ特定されていない。それが意味するのは、どの異邦人たちもあの大戦を引き起こした敵だった可能性があるのだ。


「そうですが。何か?」

と思わず、高圧的な態度をとってしまう。それに対してイナサは表情を曇らせる。

「そうか、僕は、あまり地球のマナーには慣れてなくて…すまなかった」

「別に問題があるわけではありません。友情というものはどんな他者とも、ともに時間を過ごせば結ばれるものです。しかし、信頼というものは心のつながりなんてものではなく、形式に従って、結ばれるものです」 

「では…どうすればいいのか?それを僕に、教えてはくれないか」

「まずは、身元を明かすのが地球でのマナーです」


春花はそう言うと、席から離れ、イナサの前に立つ。彼は驚いた様子だった。


「私は、次元警察庁の上警視、森川春花です。あなたは?」

「僕は、あなたたちがケンタウルス座アルファ星と呼んでいる惑星から来た。あらためて僕の名前は、イナサ・サキ、外交省から出向してきた。亜空間通信計画においては、貴国との連絡役をやっている。どうぞ、よろしく」


外交省、アルファケンタウリ―彼らは母星をサーグと呼んでいる―の外務省のような組織だ。亜世界通信計画は外交省の肝いりの政策で、イナサが出向してきたのは事件に関連してのことだろう。


イナサは、春花に向かって手を差し伸べる。彼女はきな臭さを感じつつ無造作にその手を握った。長い握手だった。


しばらくすると二人は手を放す。春花は奇妙な緊張を感じていた。

「それじゃ行くぞ、春花。まず最初はテロ容疑者からあたるべきだ。確か名前は…」

とイサナは頭をもたげる。


「人の名前が得意ではないようですね。容疑者は、本田秋人、十六歳、イデアガン使いです。それと、仲間が逃走しています、冴島奏と樋口修。二人とも、本田の同級生です」


 そう言って、春花は思った。また、子供を殺すことになるのかと。

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イデアガンズ 時川雪絵 @MakaN7

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