重力の雨が降った街
本田秋人は恋をしていた。その相手は学校の近くの公園でいつも本を読んでいる少女で、年齢を聞いたことはなかったけれど、たぶん同じぐらいなのだろうと彼は思っていた。
「なぁ、樋口…俺は今、好きなやつが居るんだよ」
と秋人は微笑んだ。それを見た樋口修は、友人の恋路を助けてやりたいと心から思った。秋人は優しく、スポーツが出来て、小学生の頃からたくさんの女子と付き合っていた。樋口
「また女の子に惚れたの?まさかその子って、あの公園で本読んでる子?」
そう樋口が聞くと、秋人は満面の笑みを浮かべる。
「そうだよ!いやー、俺、今までいろんな子と付き合ってきたけど、だいたい遊ぶだけで終わるんだよね。本当に好きになるってなかったんだよ。でも初めてあの子と話した時、胸がドキドキして…これって恋だなって!」
秋人は絵に描いたようなイケメンで、学校一の人気者だった。彼は前髪を両脇に分けていて、綺麗に切りそろえている。髪は染められていて、微かに金色の光沢を帯びていた。
それと対照的なのは樋口で、髪は長く目元にかかっている。大人しい性格で、勉強はできたがそのほかに特徴的なところは何もなかった。
そんな正反対の二人は一見接点がないように見えるが、強い絆で結ばれていた。彼らは幼稚園の頃からいつも一緒で、お互いの欠点をお互いの長所で補ってきた。秋人はその人気で引っ込み思案な樋口を孤立しないようにし、樋口は彼のことをその学力で支えた。ある意味、この関係は友情ではなく共生だったのかもしれない。
「なぁ樋口。魂って何だっけ」
樋口は突然の質問に驚いた。彼らの間で話題に上った魂とは、宗教的な概念の事ではない。ここでいう魂とは重力の雨が降ってから突然現れた、イデアガン使いの能力を説明するために使われる物理学の概念である。樋口は、重力雨が初めて降った時のことを思い出す。それは決して目には見えなかった。しかし、突然、電子機器が使えなくなり、通信網が切断された。それから、侵略者はやってきた。戦争は今からすれば、遠い昔のことに思える。だが、あれから四年しか経っていないのだ。
「秋人…それは抽象的すぎる質問だよ。どう答えればいいか…」
「いや。義務教育的に言われているような、魂のことだよ」
「はぁ」と樋口はため息をつく。秋人は好奇心旺盛だが、自分で物事を学ぼうとはしない。しかしそう考えると、二人はいつもこうしてきた。秋人が質問し、樋口が答える。二人はそれをずっと繰り返して来たのだ。
「現在、魂と呼ばれているものの定義は、物質が、高次元に存在しているエネルギーに変わったものなんだ。たとえば、エネルギー保存の法則って知ってる?」
と樋口が聞くと、秋人は首を傾ける。
「ああ、知ってるが、そんなに詳しくはねぇよ」
「そうだよね。エネルギー保存の法則というのは、エネルギーは事実上、消滅しないってことなんだ。ほら、例えば、寒いときに手をこするでしょ。その時、手が暖かくなるじゃん。あれはね、熱力学によると手をこすった時の力の分だけしか暖かくならないんだ」
「確かに、そうだけど…何でだ?」
「それは、手をこすった時の力が、熱に変わっているからだよ。運動がなくなるってよく言うけど、そんなことはないんだ。ある運動がなくなったら、それは別の運動に変わっているからだよ。揺れているブランコがひとりでに止まるのは、その運動エネルギーが空気との摩擦熱に変換されているからなんだ。それと同じように物質は消滅することは無くて、たとえ、消滅したように見えても、それは高次元のエネルギーに変わるだけなんだ」
「そうなんだ…もっと、勉強していればよかった」
「でしょ。だから、エネルギーって消滅しなくて、ただ、宇宙を循環し続けている。いや、というよりも、すべては循環するエネルギーなんだ。アインシュタインが言うに、物質とエネルギーにはそんなに違いが無いらしいしね。一般的に、この循環するエネルギーの一つで、僕たちの世界よりも高次元にあるものが、魂と呼ばれることになっているんだ。厳密に言えば、僕たちが考えてきた宗教的な魂とは別物なんだよ」
ふーんと言って秋人は頷いた。だが納得いっていないようで、頭を掻きむしる。彼は空を見上げると、雲を指さして言った。
「だったら、人が死んだら、どうなるんだ?」
「高次元のエネルギーとして、バルクに流失するだけかな」
「バルクって、何だ?」
「バルクっていうのは、僕たちの宇宙よりもさらに高次元の、宇宙の外にある世界の事なんだよ。でも一度行ったらバルクからはもう戻ってこれない。イデアガン使いはバルクに近づくことが出来るんだけど、完全にそこに行くことが出来ないのはそういう理由からなんだ。半分魂で、半分物質、半分高次元にいて、でも半分低次元に浸かってる。彼らにはそんなことが出来るらしい。でもイデアガン使いなんて、僕たちには一生、縁のない人たちだよ。考えるだけで無駄」
「でも面白くないか?そんな世界、見てみたいし」
と秋人が言った時、二人の頬に何か冷たいものが当てられた。
「冷たっ!何だよっ」
と思わず声を荒げる秋人。二人が振り返るとそこに居たのは同級生の冴島
「おいっ、男子。屋上で何やってるのかと思ったら、何、その難しい話。てっきり秋人君の噂の思い人について、いろいろ話してるんだと思ったのになー」
奏は「ほいっ」と言って、二人に飲み物を渡す。
「ほらほら、買ってきてやったぞ。地球温暖化が進むこのご時世で、健康良好青少年たるもの、飲み物はちゃんと準備するようにね」
奏は髪をポニーテールにしていて、いつも表情は明るく、運動が得意だった。性格は人懐っこく、みんなに好かれている。しかし、彼女の顔つきは、その性格の反対であり、美麗かつ清楚で、どこかの令嬢のような雰囲気を漂わせていた。
「ありがと、奏。大切に飲むよ」
「修君、いいよ、そんなの。どうせ一番安いやつだからね」
と彼女は言って、苦笑いした。
「あー、おいしかった。やっぱり、ハツラツ水はいいな」
秋人はそう言って、空になったペットボトルを置く。奏は驚いた様子で言った。
「もう飲んじゃったわけ?早くない?」
「いや、俺はこれからあの子に会いに行かないといけないから、干からびてるわけにはいかないんだよ」
「だったら秋人。ありがとうぐらいは言ってよね。あとその子、私たちに紹介してよ」
「えっ…何で…?」
と秋人は目を丸くする。それを見た奏は、珍しく表情をこわばらせた。
「だって、私と樋口君は社会福祉部だもん。公園のあの子、前、私が早退した時にも居たんだ…多分、学校に行っていないんだと思う」
それを聞いて、樋口は、社会福祉部は所詮入試の面接で有利になることしか考えていない生徒たちが作った部活動でしかないと思った。所属している多くの生徒たちは、本当に、社会を良くしたいなんて考えていない者たちばかりで、樋口も、この部活に入ったのは、別に人を助けたいわけではなくて、ただ、人生に意味が欲しいだけだった。
奏は純粋にその理念を信じていて、部員たちを引っ張り、ボランティアに参加したりしてきた。だが、そんな彼女を、ほかの部員たちは良く思っておらず、聖女気取りと裏でからかっていた。奏も、そう言われていることを知っていただろう。しかし、その熱意は決して変わらなかった。
「えー、奏、俺の恋路を邪魔すんなって」
「秋人…でも、不登校なら何か理由があるはず。違うならそれでいい。でも、ちゃんとそれを判断して、手を差し伸べないといけないよ」
「確かに、そうだな。俺もあの子とは一応を友達だから、ちゃんとしないとな」
樋口は思った。助けを本当にその子が望んでいるかは誰にも分からないと。
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