第22章:決着

管理室の中央で互いの息遣いが荒く交錯していた。

宝生ルカは足を引きずったまま、かすかに膝を折り、絶望的なまでに重い空気の中で視線を上げる。

高坂宏太は床に両手をつきながら影を操作しようとしているが、もう体力も集中力もほぼ残っていない。

金属の破片や血が粘りつく床を踏みしめるたび、どちらの身体も悲鳴をあげていた。


 管理室のパネルは断続的に火花を散らし、天井からは主催者の声か、あるいは壊れかけたスピーカーのノイズなのか判別できない混濁した音が流れる。

しかし、要領を得ないまま、ただ時間だけが容赦なく過ぎていた。

二人はわずかに体を支え合うように立ちながら、互いの殺意と迷いを隠しきれないまま睨み合う。どちらが先に刃を振るうか。それとも、このまま膠着の果てに共倒れとなるか——


 その瞬間、天井のカメラがかすかな機械音を立てて動き、コンソールの上のモニターが一斉に警告表示を点滅させる。

何かが起こる——そう直感したルカと宏太は、思わず足を踏み込むが、足元が滑るほどに床は湿っている。

いよいよ、このデスゲームの運営システムに異常が生じているかのような、嫌な空気が漂っていた。


 「……何だ、何が起きる……!」  


宏太は影をわずかにうごめかしながら天井を睨む。

腰を落としていつでもルカを封じられるように構えるが、同時に周囲で何か大きな動きがあるかもしれないと警戒している。


 すると、金属的な軋みを伴って管理室の奥にある扉がわずかに開き、衝撃的なまでの熱風が吹き込んでくる。

施設の奥深くで漏電か爆発が起きたのか、オレンジ色の火がちらついて見えた。

警報が明確なサイレンへと変化し、焼ける空気と轟音が室内を襲い始める。

遅かれ早かれ、この場所は火の海に包まれるかもしれない——


 「早く決着をつけなさい。爆発の規模が拡大します……最後の一人以外は巻き込まれて死ぬでしょう」  


スピーカーから歪んだ声が響き、二人の耳を容赦なく刺す。

外へ出る術は一つだけ。つまり、どちらかが死ねば扉が開く。

死ななければ、火災に巻き込まれるかシステムの強制処理で終わり。

絶望の二択が完全に迫られていた。


 宝生ルカは全身を震わせ、「このまま燃え尽きろっていうの……?」と啜り泣くような声を漏らすが、すぐさま腰を低く構える。

足の痛みに悲鳴を上げながら、ジャンプできるかどうか確かめようとする。もし最後に大きな音を出して宏太を一瞬でもひるませられれば——


 「……ルカ、俺は……」  


宏太の声が震える。影を走らせる体力さえ残っているかわからない。

火災の轟音とサイレンの中で、空気が薄くなりつつある。

汗と血が混ざり、呼吸をするだけで肺が焼けるようだった。


 次の瞬間、施設奥の炎が風にあおられて噴き出し、管理室の金属ドアが弾けるように破損。

熱風が吹き込み、二人の耳を塞ぐほどの轟音と、体を焼きつくす高温が突きつけられた。

喉が炎の刺激で焼け、もう言葉すらまともに出せなくなる。 

それでも死にたくない——。二人は体を低くし、最後の殺意を奮い起こす。

赤黒い半焼けの空気に包まれながら、ルカは一か八かのジャンプを決行する。


 膝が悲鳴を上げたと同時に、凄まじいブラスセクションの音色が管理室を切り裂く。熱風に煽られて爆音がいつも以上に甲高く共鳴し、宏太は思わず目を伏せ、床を滑るように影を走らせた。 


「終わりにしよう……っ!」  


ルカの口から嗄れた絶叫が漏れる。彼女は恐らく最後の力で刃を構え、空中から斜めに倒れ込むかたちで突き刺そうとした。

だが、炎に煽られた熱風で制御を失い、バランスを狂わせられてしまう。

体が軌道を外れ、床へ落下しかけたところ、宏太の影がわずかに支点をずらし、ルカを掬うように弾き飛ばす。


 「……ごめんっ……!」  


宏太も決断を下す。暴発した火花で目が霞み、まともに呼吸もできないが、ここでルカを止めなければ自分が死ぬ。

影を一瞬だけ槍のように尖らせ、宙に浮いた彼女の胴を突き飛ばすように狙う。 

ルカは跳躍の衝撃で翻弄され、「ああっ……!」と短く悲鳴をあげる。

脇腹に突き刺さるような衝撃が走り、ナイフが宙を舞う。

床へ落ちる寸前に彼女の足が吹き飛ぶ炎の熱波に飲まれ、体勢を崩して転倒する。

血が散って床を濡らし、そのまま大きく滑っていく。


 「……ルカ……!」  


宏太が叫ぶころには、ルカの身体が壁際に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなっていた。

影が解除され、最後の爆音も断末魔のように管理室の空気に消え去る。 

炎の赤い光が床にいる彼女の姿を照らしたとき、胴体から血が溢れ出し、瞳はすでに虚ろを映している。

体中が痛みで痙攣しているのか、数度痙動したあと、そのまま力が抜けていく。


 「嘘だろ……俺、こんなの……」  


宏太は泣きそうな顔で影を収束させ、ルカに駆け寄る。

だが、すでに息はない。

ほんのわずかな錯乱状態で槍のように影を突き出した自分が、最後の止めを刺してしまった。

彼女は何度も「ごめん」と繰り返していたのに、結果はこうだ。


 火災がすぐ近くまで迫り、管理室の上壁が崩れるように火花を散らす。

耳障りな金属の悲鳴が響き渡る中、宏太は震える腕でルカの肩を揺さぶるが、その身体はもう冷たくなりはじめている。

喉に溜まる叫びを吐き出しても、立ち上る煙にかき消されるだけだ。


 「……勝者を確認しました。そこの扉が開きますので、速やかに退去を……」


スピーカーの声は最終通告を告げるように淡々と響く。

その瞬間、管理室の奥にある別の出口がガチャンと開き、外の空気が一気に流れ込んだ。

赤く燃える火炎とは違う、一筋の風が宏太の頬を掠める。


 「……くそっ……こんなのが、勝ちなのか……!」


うめき声をこらえきれず、宏太は座り込んだまま涙を流す。

ルカの亡骸から目を離せないが、火は遠慮なく管理室を巻き込み始める。

もし動かなければ、焼き尽くされることは分かりきっていた。


 最後に視線を下ろすと、ルカの手が血の海でピクリとも動かない。

これ以上、誰かを救うことはできない。

自分が死ねば誰も生き残らない。

しかし、ルカが失った命が、この地獄の勝者を“高坂宏太”に確定させる。


「……ごめん、みんな……」


宙に浮いた懺悔の言葉が、煙と炎にまぎれて消える。

ゆっくりと意を決した宏太は、唇を噛みながら足を引きずって管理室の開かれた扉へ向かう。

激痛と喪失感で思考が麻痺しそうだが、火の粉が背後を焦がす前に移動しなければならなかった。


 爆音も悲鳴も消え、ルカの身体は血を垂れ流しながら折れ曲がった姿勢で動かない。

影を使う意味もない空しさに苛まれながら、宏太はぐったりと重い扉の向こうへ足を踏み出す。

これが彼の“勝利”の景色なのか、と涙を流しながら考える。

炎に包まれ、消えていく管理室には何も残らない。

最後まで無価値な能力で殺し合いを演じた者たちの死体、そして廃墟となる機械設備。

そうしてデスゲームは終わりを告げた。


外の世界がどうなっているのか、そんなことを考える余裕すら、もう宏太にはなかった。

息を切らす彼の耳に、遠くで主催者の薄ら笑いが聞こえた気がしたが、炎と煙で頭が霞んでいく。

壊滅する施設を後にしながら、彼はただ呟く。


 「……こんなの、勝ちじゃない……俺は、一体……」


 こうして、血にまみれたデスゲームは決着した。

消えた仲間たちの足跡だけが床に残り、役立たずの能力同士の最後の死闘は、虚しい勝利者を生んで幕を閉じる。

焼け焦げた廊下に揺らめく炎の色はあまりにも残酷で、勝ち残った高坂宏太の影をなぶるように映し出していた。

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