第21章:最後の対峙

管理室の床に、宝生ルカは力なく横たわっていた。

視界に入るのは、無数の破片と血にまみれた金属パネル、そして立ち尽くす高坂宏太の足元。

どちらも息が荒く、疲労と痛みで身体を満足に動かすことができない。

だが、互いの胸の奥にはまだ残酷な「最後の一撃」を突き動かす衝動が潜んでいる。


 微かな電子音が途切れ途切れに響き、血と汗で滑る床が二人の足を奪う。

その上をじりじりとにじり寄る影がある。

宏太の制御する黒い影は、わずか一秒だけ伸びると、敵意を剥き出しにルカの身体を掴みかけては散っていく。

焦りと疲労で何度も失敗を繰り返し、なおも繰り返そうとしている。


 「……ごめん、やめてくれ。もう殺し合いは十分だろ……」  


宏太はうわごとのように呟くが、ルカはかろうじて動く腕を伸ばして何か掴もうとする。

足首の痛みは最早感覚を鈍らせ、思うようにジャンプで爆音を鳴らすことができない。

けれど、ほんのわずかな拍動が彼女を支えていた。


 小さくかきむしるような音がして、ルカは手を伸ばした先の金属の破片を掴む。

もしここで宏太を刺せば、自分が勝者になる。

やりたくはないが、そうしないと「外へ出る」というルールの可能性すら見えない。この理不尽を終わらせるには、たった一人が生き残るしかない。


 「……立てる……わけ、ないよね……」  


足を引きずりながら、ルカが小さく息を吐く。

突発的に跳躍すれば爆音が起き、宏太を怯ませられるかもしれないが、脚が言うことをきかない。

無理やり試みれば痛みで気絶するかもしれない。

一方の宏太は、ルカの動きから視線を離さず、影を使う機会を狙っている。


 「ルカ……俺も嫌なんだ、本当は……」

 

宏太の声が弱々しい。

彼の影は再び床を這い、ルカの足元へゆらりと伸びる。

しかし、ルカもわずかに身体を回転させ、倒れ込んだまま後方へ転がるように逃げる。

間一髪で影の拘束を免れたものの、背中に走る痛みに声が詰まる。


 「……ふざけないで……これ以上、誰を殺せばいいの……!」


 ルカの涙はこぼれ落ち、金属の破片を握ったまま床を叩きつける。

彼女の腕が震え、苦しみとも悔しさとも言えない声が宙を切る。

もうどこにも逃げ場がない。

二人の周囲には死んだ仲間たちの残響が漂うだけだ。


 そこへ、ふと宏太の影がぶれるように萎む。

彼は体力の限界を超えているのか、呼吸が乱れて足元がぐらつく。

倒れそうになる宏太を見たルカは、一瞬だけ罪悪感と生存本能が混ざり合った表情を見せる。

もし今、最後の力でジャンプして音を鳴らせば──。


 「……ごめんね。私……生きたい、から……」  


低くうめくような声とともに、ルカは足に激痛を感じながらも強引に身を起こし、わずかな助走で跳んだ。

膝に激痛が走り、意識が一瞬遠のくほどの衝撃が身体を襲う。

だが、それと引き換えに鳴り響いたのは、おぞましいほどの管楽器音と打楽器の混成。管理室の空間が裂けるように大音量に包まれ、宏太は絶叫を上げながら両耳を押さえ込む。


 「やめろ……っ!」  


耐えがたい騒音の中、宏太が身をよじる。

その機を逃さず、ルカは獣じみた気迫で金属破片を振りかざす。

しかし、刃先が狙う位置を定める前に、宏太も目を血走らせながら影を伸ばす。

黒い筋がルカの脚を一瞬だけ捕らえた。


 重心を乱されたルカは想像以上にバランスを崩し、床へ急激に落下する。

刃を振り下ろす勢いがずれて、宏太の肩口を浅く掠める程度に終わる。

宏太は痛みで呻きながらも、必死に影を操作してルカを押さえ込む形に持ち込もうとする。


 「……ルカ、もう……やめよう……!」  


泣き声のような怒声のような混ざった声が宏太から絞り出される。

影がじわりとルカの胴体を締め上げようとするが、制御がままならない。

足を抑えきれず、ルカは反撃の隙を見出そうと身体をねじる。


 「くそ、くそっ!」  


彼女は叫びながら、飛び上がりたいが足が限界を超えている。

わずかな痙攣で膝が笑い、再び床へ膝をつく。

その一瞬、影が彼女の腕を捉え、ルカは大きく体勢を崩す。

喉から悔しげなうめきが漏れる。


 「ごめん……もう、やめたい……!」  


宏太がそのまま彼女を床に押さえ込む形になる。

身体を重ねたまま、影は消え、彼は素手で彼女の手首を押さえつけた。

金属破片を握っていた手は、力が抜けていたのか、血の海へ落ちたまま動かない。


 「……そう、だね……終わりに、しよう……」  


ルカが震える声で答える。

視線が宙をさまよい、もう何も考えられない。

二人とも膝をついたまま、呼吸が荒く、腕も足も傷だらけだ。

スピーカーからの雑音が、不穏に喉をうならせ続ける。


 そうして、時間にすればわずかな沈黙が訪れる。

お互いに殺し合いを繰り返した末、どちらも刃を振るう力を失いかけている。

もしこのまま並んで死を待つなら、主催者が「強制処理」を下すかもしれない。


 「……ルカ……ごめん、本当に……」  


宏太の声は震え、腕にこもる力が抜けていく。

ルカはかすかに瞼を震わせ、そこに涙がにじんでいた。


 胸が焼けるように痛い沈黙。その瞬間、スピーカーから乾いた笑い声が漏れる。


「お疲れさまです。まだ“勝者”が決まらないようですね……最後に10分だけ猶予を与えましょう。もしこのまま誰も殺さなければ、全員を“脱落”させます。どうぞお好きになさい」 


舌打ちしたくなるような残酷な宣告。

二人は背筋を凍らせながら目を合わせる。

こんな状況でも逃げ場はない。


 ルカは血のついた顔を横に振り、「……やっぱり……」と呟く。

互いに殺さなければ二人とも死亡。

そこには選択の余地が残されていないことを、再び思い知る。


 「……じゃあ……殺す、しかないんだ……よね……」 


ふらつきながらルカがそう漏らすと、宏太は歯を食いしばり、影を揺らそうとする。彼も限界だ。

どちらが先に刃を振り下ろすのか、この不毛なコントロールに翻弄されるばかりだ。 次の一瞬で勝負が決まるかもしれない。


 ジャンプ音で自滅しかけるルカと、影を操っても消耗しきった宏太は、廊下でもなく管理室の床でもう一度だけ決死の斬り合いに臨むしかない。

すべては次の動作で決着する──最後の血が流れるまで、もう逃げ場はない。

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