第20章:踏み込めない二人

管理室の薄暗い照明の下で、宝生ルカと高坂宏太は息を荒らげながら対峙していた。周囲には散乱した金属片、血の跡、そして幾度の衝撃音で砕けたガラス片が照明に反射している。

無機質な機械の点滅が二人の姿を浮き上がらせるたび、どちらが先に動くか、互いの神経が限界に近づいているのを痛感する。


 ルカは床に伏したまま、かすかに体を捩って破片を探っていた。

ジャンプしたときに起こる騒音で自分さえ追い詰める羽目になり、もうまともに耳が機能していない。

足にも痛みが走る。

だが、それでも「死にたくない」という本能は消えず、胸の奥で燃え上がっていた。


 宏太はルカの腕を押さえながら、長く続いた死闘に心が折れそうだった。

影を操る力は何度か彼女を追い詰めたが、自身の怪我や疲労のせいで最後の一撃を躊躇するたび、戦いが泥沼化していく。

これ以上、誰かを殺す罪を背負いたくない思いと、殺さなければ自分が死ぬ現実がせめぎ合う。


 スピーカーからは相変わらずノイズ混じりの催促の声が混入している。

「早く決着をつけなさい。生き延びられるのは一名のみ……」 

機械的な音は乾いた嘲笑めいて二人の脳を穿つ。

大勢が倒れた血塗れの施設を思い返すたび、互いの目つきが険しくなる。


 ルカはわずかに息を吐き、床に落ちた破片を指先で手繰り寄せる。

もしこれを使って宏太を刺せば、今度こそ最後の一人になれる。

そうわかってはいるのに、手が震えてしまう。

実際、彼女は誰かを傷つけ、何度も悲鳴を聞いた。

もうそれ以上は耐え難いと感じながら、それでも息絶えた仲間たちの顔が浮かんでくる。


 「ああ……どうして、こんな……」 


唇を噛む彼女の声は掠れ、涙に混じった血の味が滲む。

宏太もまた、吸い込まれるように彼女を見下ろしている。

影をもう一度使えば、きっと一瞬だけ動きを封じられる。

だが、その先にあるのは彼女を殺すという最悪の結末だ。


 ルカがわずかに足を引いた。

痛む足で跳べば再び凄まじい爆音が鳴り、宏太をひるませられるはず。

その隙をついて一撃を加えれば、勝てるかもしれない。

そう思いつつも、足首の痛みが鋭く襲い、全身の関節がきしむ。

心を固めて飛び上がろうとするが、膝が笑うように震え、床を蹴れずによろけてしまう。


 宏太はその瞬間に影を走らせる。

黒い筋が彼女の足元を絡め取ろうと伸び、ルカは反射的に身を引くが、負傷した足が悲鳴を上げた。

掴み損ねた影が床でぼんやりと戻る。


「っ……ちょっと、待って……話し合おう……!」 


宏太は叫び、手を伸ばす。もうこれ以上殺したくない。

彼女がジャンプで爆音を響かせるたびに自分さえ耐えられなくなる。

もしまだ言葉で通じる余地があるなら……。


 「話し合って……何が変わるの……主催者がゲームを終わらせてくれるなら、とっくに終わってる……!」 


ルカの声には絶望と涙が混じる。

自分たちはもう、最後の駒として踊らされているだけ。

叫びだしても誰かが助けに来るわけではない。

彼女は決死の思いで足を踏ん張り、身体を低く構える。

いつでも跳び、いつでも爆音を起こす姿勢。


 そうなれば、宏太も分かっていた。

影で押さえ込むか、あるいはナイフを使うか。

その二択を迫られている。


「くそっ……ごめん、俺……!」 


彼が歯を食いしばり、影を集中しようとしたそのとき、ルカが限界を超えたように跳躍する。

悲鳴のような金管楽器の音が管理室を切り裂き、宏太の思考を一瞬空白にする。

耳が割れそうな衝撃に耐えかねて後退すると、次の瞬間、ルカが刃を構えて着地を狙う。

今度こそ一撃で仕留めようとする殺気が滲んでいた。


 しかし、空中で足の傷が激痛となり、バランスを崩すルカ。

着地した瞬間に鳴るはずの轟音は中途半端に遮られ、甲高い金属音がスピーカーを揺らすだけだった。

彼女の表情は苦悶に歪み、よろめいた肩が宏太に接触する。 


「ごめん……!」 


叫びながら、宏太は思わずナイフを叩き落とそうとするが、ルカの腕に影をかけるタイミングを逸してしまう。

互いに思考が混乱し、身体がもつれ合う形で床に転倒する。


 バランスを失った二人のうち、ルカが先に床へ背をぶつけ、宏太がその上に覆いかぶさるようになった。

影を使うか素手で抑え込むか、迷いが一瞬走る。

その刹那、ルカは力任せに腕を動かし、跳ね上げるように宏太を払おうとする。

だが、すべてが疲労で鈍り、アクションが空回りする。 


「終わりに……して……!」 


苦しげな声がルカの口から漏れる。

誰がどちらを殺すか、それだけの世界に閉じ込められた絶望。

宏太は口を開きかけ、影を使うタイミングを必死に探す。


 そのとき、踏み込んだルカの足の下敷きとなっていたナイフが、わずかな角度で弾けた。

床にあった破片を巻き込みながら、刃がまるで弾丸のように転がり、二人の身体をかすめる。 


「ああっ……!」 


ルカの悲鳴。肩にまた新たな切り傷が走り、血が滴る。

宏太も頬を浅く裂かれた。

もう何がなんだかわからない泥沼のドタバタ。

そのうちに、ルカの足が限界を超え、がくんと床に崩れ落ちる。


 宏太は立ち上がり、さらに影をまとって押さえ込もうとする。

ルカはしゃくり上げるような息を吐き、ナイフを失ったまま手を伸ばそうとするが、身体が言うことをきかない。

血と汗で視界がぼやけ、足首の痛みでまともに踏ん張れない。 


「もう、動けない……」 


弱々しい声が消え入りそうになる。宏太はそんな彼女の姿を見下ろし、影を揺らして最後の意思表示をする。 


「俺だって限界だ……でも……このまま終わるしか……ないのか……」


 ルカは涙を浮かべたまま、頭を振る。

もし今ここで止めを刺されれば、ゲームは終了し、唯一の生存者が決まる。

それが高坂宏太になる。

だが、そうさせたくない気持ちと、もう苦しみから解放されたい思いが反発する。唇が震え、声にならない泣き声が漏れる。


 「こんなの……嫌だって……!」 


コンソールの上のモニターは相変わらずのノイズ混じりで、二人を映している。

外への道は閉ざされたまま。

ルールに縛られた殺し合いだけが今もなお継続中。


 高坂宏太が、頬に伝う血を拭って影を収束させる。

刃のように細く伸ばすことはできないほど身体が限界に近いが、すぐ目の前に動けないルカがいる。

やるなら今。 


「助かりたいのは……お互い様、だよな……」 


逆に言えば、この場でルカを仕留めれば自分が“助かる”ことになる。

ほんの一瞬でも、そう考えた自分が嫌になり、宏太は吐きそうな思いをこらえる。


 「ルカ……ごめん……」  


消え入りそうな独白。

もう、これしか道がないのか。汗と血にまみれた手がナイフの柄へ伸びる。 

ルカは横たわったまま涙ぐむ。

逃げる力もない。

音を鳴らすにも足が動かない。


 「うう……ごめん……」 


二人は謝罪の言葉を重ねあう。

血塗れの視線が交錯する中、ゲームの“最終幕”が目の前に迫っていた。


 深い沈黙の底で、無機質な主催者の声は消えている。

あるのは互いの呼吸と心臓の鼓動。

デスゲームの終わりが訪れるのはほんの一撃。

しかし、その一撃を振るう勇気をどちらが出せるか。もうどちらにも逃げ場はない。


 ルカのジャンプ音と宏太の影操作が織りなす死闘は最終局面に達し、決着は刹那の動きで決まろうとしている。

誰もがここで止まれず、血を流しながら闇に閉じ込められた運命を痛感するばかりだった。

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