第19章:止まれない二人
管理室に薄暗いランプがともり、どこからか機械の呻きにも似た電子音が続いていた。
宝生ルカと高坂宏太は互いを睨みながら、荒い息を繰り返している。
血の臭いと金属臭が入り混じり、喉の奥をヒリつかせる。
どちらが先に動いてもおかしくない──いや、どちらかが動かなければ、このゲームは終わらない。
ルカは手に持つナイフをじっと見つめた。
ジャンプのたびに爆音を響かせる能力が、今は自分にさえ恐ろしい。
身体のあちこちが悲鳴を上げ、もう何度も全身が痺れそうになっている。
それでも、宏太が影を伸ばそうとするたびに、まだこちらを殺す意志があるのだとわかってしまう。
理性と殺意とがせめぎ合う、地獄の心境。
「……ごめん。私は、もう引き下がれない」
消え入りそうな声でそう呟くと、ルカは床を蹴った。
音楽が鳴れば、自分も耳を壊しそうな衝撃に襲われる。
だが恐れるわけにはいかない。
激しいトランペットの咆哮が響き、狭い管理室で反響し、鼓膜を裂かんばかりの圧力を生む。
高坂宏太は影を集中させるが、ノイズが脳を揺らし、思うようにタイミングが掴めない。
「……やめろ、やめてくれ……!」
宏太は両耳を押さえて叫びながら、すんでのところで影を操作しようとする。
黒い影がルカの足元に伸び、よろめきながらもルカはジャンプの軌道を変える。
しかし、足をくじきかけてバランスを崩し、勢いで宙に投げ出される。
そのまま床に着地したとき、ドラムの連打のような衝撃が炸裂した。
自分の鼓膜が破れたかと思うほどの痛みに、ルカは目を回しかける。
その一瞬、宏太も耐えかねたように膝をつく。激痛で頭がクラクラする。
体を支えようと影をまとわせようにも、視界が揺れて集中できない。
ルカはナイフを握ったまま、床に倒れ込みながら肩で息をする。
お互い、勝負を決められないまま消耗戦に陥っていた。
「……これ以上……どうしろってんだ……!」
宏太がそんな叫びをあげたとき、ルカは再び歯を食いしばって身体を起こす。
ふらつきながらも、なんとか足を踏み込み、ナイフを構えた。
影にさえ気を取られなければ、一瞬でも相手を突けるかもしれない。
その気配を察した宏太は影を再度集中させる。
いくら短時間とはいえ、ルカの動きが止まったその刹那、今度こそ影で抑え込めるはず──そう考え、床に長く伸びる自分のシルエットを凝視する。
すると、黒い筋がうねるように具現化し、ルカの足を捉えようと這いずり出す。
「逃がさない……!」
宏太が歯を食いしばったその時、ルカは自分の足下の影の動きを見るや否や、無茶な跳躍を選んだ。
今度は痛みを振り切り、できるだけ高く飛ぶ。
足を痛めつける危険を承知の上で、そこで生まれた着地音は、とてつもなく耳障りなホルンとティンパニーの混合。
金切り声のような轟音が管理室を揺さぶり、宏太の影操作のリズムを狂わせる。
激しいめまいに襲われた宏太は「ぐっ……!」と呻き声をあげ、影を引っ込めざるを得なくなる。
すると、宙から落下するルカが最後の力を振り絞って、ナイフを振り下ろそうと腕を構えた。
ここで突き刺せば、ゲームは終わる。
「ごめん、さようなら……!」
ルカの悲鳴のような声が響く。
宏太は倒れ込む体勢のまま、影を弾けさせようとするが、耳が割れそうな音で判断力が低下していた。
それでも、腕をかざし、せめて刃の直撃を避けようとする──。
だが、刃が触れたのはコンソールの突起物。
ルカが微妙にコントロールを失い、ナイフの先がパネルに突き刺さってしまう。
鉄が削れる甲高い音が鳴り、火花が飛んだ。
彼女自身も反動で手を離し、痛みで叫び声を上げる。飛び込むつもりが、脚を踏ん張ることさえ限界に近かったのだ。
「くっ……!」
ルカは武器を失い、床に突っ伏す。
痛みで身体を起こせない。
絶好の隙を作られた形の宏太も、影をどう動かすか悩む。
今なら一気にルカを押さえ込めるかもしれない。
それが殺し合いの最後なのか──。
「――もう、いい、やめろ……!」
宏太が自分に言い聞かせるように怒鳴り、影を這わせる。
ルカの手足を拘束しようとするが、彼女は痛みに唸りながらも下半身をじたばたと振り払う。
影をまとわりつかせようにも一瞬ごとに形が崩れ、安定しない。
「……あああああっ!」
最終的に悲鳴をあげたのはルカだった。
どうにか足を踏ん張ったものの、膝が再び悲鳴を上げ、身動きが取れなくなる。
宏太はその隙を突くしかないのか──影を再度収束させ、爪のように細く伸ばし、一瞬だけルカの腕を弾こうと試みる。
「ごめん、死なないでくれ……!」
わけのわからない叫びを上げつつ、彼の影がルカの肩を一瞬だけ強引に押す。
衝撃で彼女は横倒しになるが、同時に彼の体もバランスを崩して転倒する。
床にはガラス片やパーツが散らばっていて、双方とも転がりながら悲鳴をあげる。
「ルカ、ルカ……!」
倒れたままのルカに近づく宏太は、影を解除し、素手で彼女を押さえ込む。
思わず彼女の手首を掴み、呼吸の荒い胸元を見下ろす。こんな形で戦いを終わらせたくないのに、やらなければ殺されるかもしれない。
ルカは泣き出しそうな目で顔を横に振る。
もう抵抗できるほど体力は残っていない。
むしろ、傷だらけのまま起き上がる気力さえ尽きかけている。
宏太がナイフを拾えば、すぐにでも終わるだろう。
「俺は……もう殺したくない……!」
思わず涙が滲むような声音で、宏太がうめく。
ルカは震える瞳で彼を見つめ返す。二人とも、あまりに多くの死を目撃し、何度も人を殺す瀬戸際に立たされてきた。
――だが、再びスピーカーからノイズのような声が割り込む。
「早く決着をつけてください。もたもたしていると、強制的に処理を行います……最後の一人にならなければ、誰も外には出られません」
乾いた命令は、血管を刺すように彼らを追い詰める。
宏太はルカの腕を押さえつけたまま、しかしナイフは手にしていない。
呼吸が詰まる。
すると、ルカはかすかに手を伸ばし、無意識に床に落ちた破片を探る。
もしここで奇襲してでも生き延びるのか、それとも体力はもう無いのか。
どちらも死にたくはないのだろうが、もはや一方が倒れるしかこの場を解放できない。
生き残るために刃を振るうことは、もう避けられないのか。
管理室に散乱する血と破片は、もはや二人の絶望を映すステージと化している。
息を飲むたびに痛みが増し、最後の殺意だけがここに立ちこめていた。
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