第三部:終焉への足音
第15章:深い眠り
宝生ルカの足元には北条光希の亡骸が横たわり、先ほどまで確かに生きていた彼女の体温が、じわじわと血とともに床へ吸い込まれていた。
そんな絶望の中、高坂宏太は荒い息を吐きながら森下海人の動きをにらみつける。
海人はもう完全に何かを失っている。
眠れない苛立ちと殺戮の衝動が混ざり合い、狙いを定めるでもなくナイフを突きつけたまま廊下を徘徊している。
高麗杏奈の発作的な歌声は、さっきよりも断続的に弱くなっているが、彼女の瞳には理性の焦点がどこにも見えない。
ときおり漏れる奇妙な鼻歌のような調子が、かえって神経を逆なでする。
青木幸子は膝を折ったまま床にしゃがみ込み、痛む足と心を押さえて立ちすくむ。
宝生ルカもまた、ひどく疲れた表情で光希の肩に触れたまま動けない。
互いに手を差し伸べることもできず、ただ地獄めいた惨劇を追体験しているだけだ。
森下海人はナイフを握り直し、ゆっくりと高坂宏太へ顔を向ける。
「……おまえも、終わりにしてやる……」
痙攣するような彼の声には、理性の欠片も感じられない。
宏太は喉を鳴らし、意を決したように影へ集中する。
もしここで海人を倒せなければ、誰も生き残れないとわかっていた。それがたとえ殺す行為だとしても、やむを得ない。
「ルカ、杏奈さん、幸子さん……ここを離れて……!」
宏太の叫びに、宝生ルカは何とか身体を起こしかけたが、足の痛みで声にならない悲鳴をあげる。
青木幸子はひたすらに震え続け、頭を左右に振る。
あまりに多くの死を目の当たりにして、もうどこへも逃げる気力がないのだろう。
高麗杏奈も呆然と立ち尽くすばかりだった。
その隙を狙うかのように、海人が突進する。
鋭い足取りで一気に距離を詰めてきたため、宏太は影を伸ばす余裕もなく、反射的に腕を構えるしかなかった。
ナイフの刃が彼の肩をかすめ、血が弾ける。宏太は痛みに耐えながら後退し、どうにか間合いを作って再度影操作を試みる。
「一秒でいい……動いてくれ!」
心の内で叫ぶと、影はかすかに海人の足元を捉えた。
たった一瞬、海人のバランスが乱れる。
そのとき宝生ルカが必死に片足で跳び、またあの大音量を発生させる。
今度はパイプオルガンとドラムが混ざったような衝撃的な音が廊下を揺らし、海人は「うるさいっ!」と叫んで頭を抱えた。
わずかな混乱を見逃さず、宏太は体当たりのように海人の胸へ突っ込む。
二人はもつれるように床へ倒れ込み、ナイフが手からこぼれた。
だが海人は狂乱の力で宏太を押しのけ、首を締め上げようと両手を伸ばす。
影を使うにも至近距離すぎて、宏太は息が詰まるように悲鳴をあげる。
「……誰も眠らせてくれない……全部ぶち壊すしかないだろ……!」
海人の言葉に、ほとばしる殺意が絡みつく。
それでも、宏太は片腕で必死に海人の手を振りほどき、もう片腕を伸ばして床に落ちたナイフをつかもうとする。だが海人の膂力は凄まじく、腕が痺れていうことをきかない。
「やめてえええっ!」
青木幸子がたまらず飛び込み、海人の腕にすがりつく。
だがその挙動のせいで、宏太の指先はナイフからさらに遠ざかってしまう。
妙な三人組の絡み合いになり、廊下の奥で高麗杏奈の奇妙な節回しが再度高まり出す。
そのとき、宝生ルカがナイフに手をかけた。
表情は決死の覚悟に染まり、唇を噛んでいる。
もしここで海人を刺せば、確実に止められるかもしれない。
けれど、それはつまり“人を殺す”という覚悟だ。
「……ごめん。私は……生きて帰りたい……!」
ルカが泣きそうな声でそう言い放ち、ナイフを振り上げる。
海人はそれに気づき、目を剥いてルカの腕を掴もうとするが、青木幸子が遮る形で動きを阻害している。
ほんの一瞬の隙ができる。 刃が海人の背中を斜めに切り裂いた。
鋭い衝撃に、海人は悲鳴をあげて宏太と幸子を振り払う。
ナイフを深く入れるには至らなかったものの、血が飛沫のように広がり、彼の動きが鈍る。
「くそっ……!」
海人は怒りで目を赤くし、ナイフを持ったルカに襲いかかる。
彼女は再度ジャンプをしようと身を沈めるが、身体の痛みに足がもつれ、後方へ転がる。
追い討ちのように海人が踏み込もうとしたとき、高坂宏太の影が再び足元を絡めとる。
「……これで終わりにしてやる!」
影に足を取られた海人は今度こそ体勢を崩し、バランスを失う。
青木幸子とルカが同時に飛びかかり、その手からナイフを奪おうとする。
海人はパイプを握りしめた腕を振り回そうとするが、もう切り傷と疲労で限界が近い。
そして、思いもしない方向から歌声が突き刺さる。
高麗杏奈が最後の絶唱のような声を上げ、狂ったメロディをぶちまけたのだ。
痛烈な音波が海人の感覚を混濁させ、彼は苦痛の表情を浮かべる。
その隙に宝生ルカは持っていたナイフを再び振り下ろした。
鋭い衝撃が肩から入り、海人の身体が揺れる。
吐血のように血が口元を染め、ついに力を失った海人がゆっくりと崩れ落ちる。「……眠れないまま、死ぬのか……」
血の気のない顔でそう呟いた彼は、やがて動かなくなった。
あの凶暴な海人が、殺戮を繰り返してきた彼が、ここで息を引き取る。
廊下に染み渡る静寂は、あまりにも虚ろだった。
それを見届けた高坂宏太は肩を大きく上下させて呼吸を整え、宝生ルカはナイフを落とし、両手が震えるのを抑えきれない。
青木幸子は泣き崩れるように座り込み、高麗杏奈の歌声は止まる。
海人の死体を見下ろしながら、誰もが自分たちがやった行為を信じられないままでいた。
しかし、ここはまだ“デスゲーム”の舞台。
すべてが終わったわけではない。時間だけは止まらず進んでいる。
まだ数人が生きている以上、最後の一人になるまで戦いを強要される現実も変わらない。 息を整えながら青木幸子がつぶやく。
「もう、これ以上殺し合いをするなんて……嫌。お願い、助け合って……」
だが、彼女の言葉に宝生ルカと高坂宏太は応じられずにいた。
先ほどまで共闘のように振る舞っていたが、あくまで“海人を止めるため”の共闘にすぎない。
一人脱落したら、また次の危機が訪れるかもしれない。
その不穏な沈黙のなか、青木幸子が苦痛にうめきながら立ち上がった。
血を滲ませたままの腕で高麗杏奈の肩を掴む。
杏奈はまだ意識がはっきりしていないのか、唇を震わせながら歌の残響を名残のように口ずさんでいる。
「幸子さん、杏奈さん……落ち着いて。おれたち、まだ……」
宏太がそう言いかけたとき、宝生ルカがナイフをぎこちなく拾い上げたまま何かを探すように周囲を見回した。
その視線の先には、地面に転がるあの“カードキー”がある。
北条光希が最後まで握っていた血塗れの希望。
ルカと宏太の視線が一瞬だけ交差する。
もしかすると、この廊下の先にある管理室へ行けば何かが変わるかもしれない。
だが、そこでまた“裏切り”が起こればどうなる?
殺し合いは終わらないかもしれない。
そして、まるでその不安を煽るように、スピーカーからあの無機質な声が流れた。
「森下海人様が脱落しました。残るは四名ですね……最後までお楽しみください。あと少しです」
最後の一人になるまで、殺し合いは続く。
そのルールを受け入れるか、破るか。激痛と恐怖で限界を超えた者たちに、もう選択肢はないのかもしれない。
何もかもが壊れかけた空間で、森下海人という絶対的な狂気が脱落し、代わりに新たな火種を抱える。
残った者たちは――宝生ルカ、高坂宏太、青木幸子、高麗杏奈――いよいよ最後の生存をかけた舞台へ足を踏み入れる。
やがてこの中の二人が刃を交えるとき、本当の地獄が訪れるに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます