第14章:ピンクの死装束
ガラス片と血が入り混じる廊下で、高麗杏奈の狂乱の歌声が一瞬だけ止んだ。
その代わりに、荒く切り裂かれた呼吸の音が響く。
森下海人は、まるで猛獣のように光希へとじりじり歩み寄っていたが、背後で宝生ルカと青木幸子が必死の形相で「やめて!」と叫んでいる。
高坂宏太は影の力をもう使い切ってしまったのか、額に汗をにじませたまま息を切らしていた。
北条光希は倒れ込んだ格好のまま、足首と肩から血を流している。
足を引きずりながら数センチでも後退したいのに、激痛で全身が痺れ、声も出ない。彼女の目は床に転がる血まみれのカードキーをとらえたままだ。
もしあれを拾えたとしても、ここから脱出できる保証などどこにもない。
形だけの希望が目の前に落ちているのが余計につらかった。
青木幸子は勇気を振り絞り、海人の腕にしがみつく。
彼の動きを封じたい一心だった。
けれど海人は容赦なく彼女の体を振りほどく。
幸子は足元のガラスの破片を踏みつけ、痛みにうずくまる。
痛みで目が滲むが、それ以上に、目の前で殺戮が進行する恐怖が彼女の息を奪っていく。
「待って……こんなこと、もうやめよう……!」
言葉はもはや届かない。
森下海人の瞳には血の色が混ざり合い、その眼差しは殺意のみを宿している。
宝生ルカは胸の痛みに顔をしかめながら、ふと足を揃えて跳ぼうとする。
ジャンプすれば大音量が鳴り響くが、それを利用して海人の集中を乱すつもりだった。
足を曲げ、意を決して飛びあがる。
すると、空中でサックスと打楽器が入り混じったような爆音が炸裂し、狭い廊下に耳障りな反響が走った。
海人が一瞬だけ顔を歪め、頭を振って耳を塞ぐ。
「いまだ……!」
ルカがそう叫んだのに合わせ、宏太がなんとか影を伸ばそうとする。わずか一秒、その隙だけでいい。
けれど、海人は体勢を崩しながらもナイフを振りかざした。
タイミングがずれて影は届かず、さらに高麗杏奈の歌が再び限界を突破して耳を突き刺す。
すべてが狂騒の渦となって、誰の思考も破壊しにかかる。
次の瞬間、海人のナイフが北条光希の左脇腹を突いた。
手加減のない一撃に、光希は息が止まるような悲鳴を漏らす。
血がじわりとピンクの服をさらに濃い赤へ変え、彼女はがくりと崩れ落ちた。
床に転がったカードキーを最後に見つめながら、口を開こうとしたが、声はもう出なかった。
「嘘……嘘だよね……?」
青木幸子が顔をくしゃくしゃに歪め、膝から崩れ落ちる。
光希は自分の服を握ったまま痙攣し、それきり動かない。
視線は虚空に向けられ、行き場のない悲しみが廊下を支配する。
森下海人は高坂宏太のほうへ向き直り、鋭く息を吐いた。
ルカは地面を這うように光希の亡骸へ近づく。
もう手を差し伸べても間に合わないと分かっているのに、そうせずにはいられなかった。
杏奈の歌は爆音に掻き消されながら、途切れ途切れに続いている。
破裂しそうなほどの混沌が、狭い廊下に充満する。
「もう誰も信じられない……全部終わりだ……!」
海人の苦しげな叫びが響き、高坂宏太もまた拳を握りしめた。
影操作が不発に終わるたび、誰かが死ぬ。
この悪夢を断ち切るには、自分が海人を殺すしかないのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
北条光希の身体から流れ出る血が、次第にひどい量となり、ピンク色の布が鮮やかに染まる。
青木幸子は恐怖に震えながらも、その場を動けない。
宝生ルカは光希の冷たくなり始めた肩を抱きかかえ、歯を食いしばり、顔を見上げる。
視界の先には高麗杏奈が泣き崩れ、壊れた歌を止められずにいる姿があった。
息苦しいほどの混乱の中、新たに一人が命を落とした現実だけが重くのしかかる。
こうして北条光希は散った。
使えもしないピンク色に包まれて殺されるという、皮肉にまみれた結末だった。
森下海人の暴走はさらに衝動を増し、次の犠牲者を探すかのようにナイフを血塗れの手で握り直す。
ラストに残る者たちは、もはや狂乱と絶望を共有するだけの存在になりかけている。 足元で転がるカードキーが光を失ったように見えた。
誰かが拾わなければ、管理室への道も途絶えるだろう。しかし、怨嗟と殺意に支配された空間では、もうそれを手にする気力すら湧かない。
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