第2章:それぞれの能力

夜が明けたのかどうかさえ判然としない薄暗い空間で、十人は重い空気のまま互いの顔を見つめ合っていた。

宏太はコンクリートの壁に身体を預け、ほとんど眠っていないことに気づいて唇を噛む。

もっとも、森下海人ほど深刻ではない。

彼はずっと眠れないのだ。

それを思うと、こんな殺伐とした場所でまともに眠る方が難しいとも感じられた。


 沈黙を破ったのは北条光希だった。

ピンクに染まった服の裾をいじりながら、どこか割り切ったように言う。


「……さて、どうする? この状況、ただ黙ってても始まらないよね。昨日のアナウンスで、『それぞれの能力を使ってバトルする』なんて言われたけど、私たちの能力って本当に何の役にも立たないし」 


その言葉に、思わず宝生ルカは苦笑した。

「私なんて、“ジャンプしたときに音楽が鳴るだけ”よ? 戦闘に使えるわけないし、むしろ居場所を知らせちゃうだけじゃん。……ふう、鬱になるわね」 


視線を落として肩を落とすルカを、青木幸子が優しく見つめる。


「でも私の能力も、植物と‘こんにちは’しか言えないようなものよ。ねぇ、エリカさんと同じで、ほんとに無駄って感じ」 


幸子が目を細めてそう言うと、隣の南條エリカは「私の場合はカレーの匂いしかわからないだけだしね」とおどけて笑う。

だがその顔はどこか暗い。


 一方で、久遠柊馬は壁際で腕を組んでいた。彼は皆の会話をじっと聞くでもなく、かといって無視するでもなく、ただ観察しているように見える。

そんな柊馬の態度が気になったのか、伏見圭が声をかけた。


「何か考えがあるのか? 何か動かないと、本当に“殺し合い”を始めさせられるかもしれない。……これだけは避けたいが、じっとしているわけにもいかないだろう」 


柊馬は少し黙ってから、静かに頷いた。


「施設の構造を調べるべきだと思う。監視カメラらしきものが天井にあるから、どうせ俺たちの行動は見られている。……だが、この“異能力”を有効活用するような罠が仕掛けられているかもしれない」

「って言ってもさあ、俺たちの能力はどれも、こう……どうしろってんだよ」 


海人が苛立ちを隠さず言い放つ。

血走った目が周囲を睨むように動き、まるで今にも何かが噴き出しそうな雰囲気がある。


「眠れないせいでイライラしてんだ。それが理由ってだけなんだ、わかってくれ……」 


海人は弱々しく補足するが、その張りつめた声は本人を含め誰一人心を落ち着かせられない。


 と、そのとき、アナウンスが天井から響く。

妙に機械的な女の声だ。


「それぞれの能力を試す機会を、こちらでご用意いたしました。中央ホールのモニターをご覧ください」 


声に従い、宏太たちは中央に置かれた大きなスクリーンに目をやった。

そこには錆色の扉が映し出され、「こちらの演習ルームへ向かい、各自の能力を使ったパフォーマンスを行いなさい。さもなくば、ゲームの進行はいたしません」との文字が表示されている。


「……何なんだよ、本当に“やらせたい”んだな、能力のデモンストレーションを」 伏見が苦々しく言葉を吐く。


 十人は不本意ながらも、モニターに指示された扉へと向かわざるを得なかった。

廊下をしばらく進むと、錆びた鉄製のドアが待ち受けている。

柊馬が静かにその取っ手を回すと、ほんのわずかな軋みを上げて開いた。

そこは広々とした空間だったが、天井や壁には明らかに監視カメラと思しき黒いレンズがずらりと並んでいた。


「うへぇ……こんなところで見世物にされるわけ?」 


高麗杏奈が嫌そうに眉をひそめる。

だが部屋の奥に配置されたスピーカーから、あの無機質なアナウンスが再び響いた。「では、始めましょう。そこの順番はどなたからでも構いませんよ。お得意の異能力を、わたしたちに披露してください。観客のためにもね」

「観客……? ふざけるな。こんなもの、ショーでもなんでもない。俺たちは殺し合いを強要されてるんだぞ」 


海人がカメラに向かって吠えるが、アナウンスは気にも留めないようだった。


 誰も名乗りを上げないまま、重い空気に包まれる。

そんな中、意を決したように宝生ルカが立ち上がった。


「私が……やる。見てわかる通り、私の能力は“ジャンプしたら着地音が音楽に変わる”ってだけ。ほんとにしょうもないものだけど、やれって言うならやるわ」 


無言のまま、ルカはその場で軽くジャンプする。

すると、まるでジャズのセッションが始まったかのように、軽快なサックス音が室内にこだまする。

予想以上に大きな音で、全員が目を丸くした。


「……うわ、こんなに響くのね。しかもまた別の曲……」 


ルカは苦笑いしながら何度か飛びはねてみる。サックス、ピアノ、ドラムのソロなど、着地ごとに異なる演奏が瞬間的に響いた。

やがて演奏はすぐに途切れ、あたりにはしんとした沈黙が戻る。 

すると、スピーカーから乾いた笑い声のような電子音が流れた。


「素敵な演奏ですね。まるで音楽会です。次の方もどうぞ」


 弾かれたように、次は宇佐美リヒトが前に出た。

まるで研究者のように薄い笑みを浮かべながら、「じゃあ、俺が行きましょう」と言う。


「俺の能力は“毎日、新しい歴史的事件の詳細を記憶してしまう”ことだ。今のところ、ローマ帝国の衰退期のマイナー将軍の名前とか、どうでもいい事件ばっかり頭に浮かんでるよ。例えば“紀元476年、西ローマ帝国の滅亡”――そこに登場した最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスがどうだとか。……こういう知識ばかり延々と蓄積される。何の役にも立たない」 


彼の語る歴史トリビアは、その場にいる誰にとっても興味をそそられない。

まるで無関係な数字や名前がゴロゴロと転がるだけだ。

しかし、やたら饒舌に話すリヒトを見て、宝生ルカだけは少し呆れ混じりに笑っていた。


「でも、もしかしたらどこかで役に立つかもしれないわよ? 私よりはまだ可能性があるわ。私の場合、本当にただ音を鳴らすだけだし」

「はは、それならいいけどね。まあ、とりあえずこんなもんだ。次にどうぞ」


 流れるように、今度は青木幸子が“発表”を促された。

彼女はどこか恥ずかしそうにうつむいている。


「……私のは、“植物と会話できる能力”っていうの。でも、内容は“こんにちは”しか言わないの。植物に触れたら向こうからも“こんにちは”と返ってくるだけ。……こんな惨状で、どうして植物がそんな挨拶してくるのかなって、不思議にもなるけど」 


彼女は足元にあった小さな鉢植えの雑草にそっと手を触れた。

すると、ほのかに彼女の声のようなものが響いた気がして、すぐに消えていく。

確かに「こんにちは」と言われた――それだけだ。


「見せ場も何もないでしょ? 私もどうしようもないわね」 

彼女は少しだけ寂しそうに笑う。

スピーカーからは「結構です。ほかの方もどうぞ」という促す声が続く。


 その後も、南條エリカが「全ての食べ物の匂いがカレーにしか感じられない」ことを示すために、部屋の片隅で置き去りになっていたパンを嗅いでみせた。


「うん……まったく同じ。パンなのにカレーの匂いしか感じない。味はちゃんとパンなんだけど、匂いだけは完全にカレーね」 


彼女の困惑顔に、北条光希は「せめて美味しいものを味わえるならマシかも」と相槌を打った。

その光希自身はというと、白っぽいシャツを着ていたはずがすでにピンク色に染まっている。


「こうしてるうちにも、どんどんピンクになるのよ。昨日、脱いで別の服に替えても全部ピンクになるからもう諦めたわ。まあデザインが変わるわけでもないし、これも完全に無意味よね」 


そう言って肩をすくめる光希に、伏見圭は「目立つから、いざというとき狙われないかが怖い」とぽつりとつぶやいた。


 やがて、残る三人――伏見圭は「どんなに走っても常に十分遅刻する」こと、久遠柊馬は「月に一回だけ無意味な言葉を一時間話し続ける」ことをそれぞれ説明した。

柊馬は「どうせいつ発動するか、俺にもわからない」と苦く笑う。


「こんな場所で意味不明な言葉を垂れ流してたら、そりゃ自分から隙をさらしてるようなもんだ」 


そして高麗杏奈も「毎日決まった時間に意味不明な歌を大声で歌ってしまう」ことを告白する。

彼女はそこまで歌う必要はなかったのか、まるで恐ろしいものを隠すように唇を引き結んでいた。


「今日の発動時間がいつになるか……怖いのよ。コントロールできないから困ったもんだわ」 


そう言う彼女の手は軽く震えていた。


 最後は、高坂宏太。彼はため息をついて、「自分の影を一秒だけ操れる」ことを披露しようとした。

床に映る微かな影を集中して見つめる。

すると、その影が一瞬だけ輪郭をゆらりとずらし、まるで別の形状をとったように見えたが、本当に一秒ほどで元に戻る。


「……ほんとに短いでしょ。しかも、少ししか動かせない。何かを隠す盾にすることもできやしない。情けない能力だ」 


宏太は気まずそうに苦笑いを浮かべた。一度きりのわずかな動きでは、誰もが何が起こったのか理解できないほどだった。


 こうして十人は、あらためて自分たちが“何の足しにもならない”異能力を持っていることを再確認させられる。

その一連のデモンストレーションを見届けると、スピーカーから満足げな声が流れた。


「素晴らしい。大変興味深いショーでした。あまり戦力になりそうにない能力ばかりですが……それでこそ、このゲームにふさわしい。さあ、これからが本番ですよ。あなた方が『どんな手段であれ』生き延びようとする姿を楽しみにしています」 


嫌な響きを残して、スピーカーの音声は途切れる。

全員が重いため息をつく一方で、胸の奥をじわりと焼く緊張がさらに強まっていることに気づいていた。

相手を殺すために、この中途半端な力をどう使えというのか――いや、そもそも殺す殺さない以前に、彼らはどう行動すればいいのか見当もつかない。


 絶望的な雰囲気を断ち切るように、柊馬が冷静な声で言い放つ。


「さっきも言ったが、施設内をしっかり探索しよう。監視カメラだけじゃなく、罠や出口を探すしかない。このまま何もしないで殺し合いを始めるなんて、まっぴらごめんだ」 


その言葉に伏見圭や北条光希、そして宝生ルカも小さく頷いた。

海人は苛立ちを隠しきれないまま、「わかったよ」とだけ返す。 

十人は重い足取りで演習ルームを後にし、暗い廊下へと戻っていった。

そこでは薄暗い照明が、依然として不安を煽るかのようにちらついている。

だが立ち止まっていても、事態は何も好転しない。 

互いの能力が空虚に見える今、探し出すのは何よりも“生き残る手がかり”なのだと、宏太は痛感していた。

おかしな能力を抱えたまま、罠だらけかもしれない施設を探索する。いつ“ゲーム”が本格的に始まるかはわからない。

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