海賊 4

「……やられたな」

 朱の帆を掲げた海賊船の舳先で、海賊船の頭、阿古夜が一部始終を見ていた。阿古夜は諸肌脱ぎで、日に灼けた肌を惜しげもなく晒している。鬼ほどの上背はないが、胸板や上腕の分厚さでは負けていない。

 横付けした商船から、冠者がひらりと飛び移ってきた。海賊の手下たちが手にした武器を構えるが、冠者に気圧されてじりじりと後退している。その様子を見た阿古夜は思わず失笑した。

「おいてめえら、もういいから下がってろ。どのみちてめえらの手に負える相手じゃねえ」

 阿古夜が手下たちに声をかけた。冠者がぎろりと阿古夜を見た。全身から青白い炎が吹き出しているような、強烈な気迫が冠者を包んでいた。

「あんたが鬼火の冠者か」

 阿古夜が問うた。

「そうだ。今回協定を破って船を襲ったのは、こいつの誘いで間違いないか」

 冠者は、べしゃっ、と玉蘭を甲板に放り投げた。阿古夜はぐるぐるに縛られた玉爛を見下ろして言った。

「ああ。都行きの荷の何倍も価値がある、とな」

「朝廷への献上品を奪うのとはわけが違う。鉄鉱石を奪われるのは我らの死活問題だ。塩飽は鬼ノ城を敵に回すつもりか」

「その男が」

 阿古夜は甲板にへばりついた玉爛を顎先で指して言った。

「あんたを斃して鬼ノ城を乗っ取ったら、すべての鉄の商いを我らを通すようにするから、力を貸せと言ってきたんだ。塩飽うちとしちゃあどっちに転んでも傷まねえからな。うまくいきゃあ、鉄の利鞘は魅力的だ。ま、失敗したようだが」

「相手を見誤ったな。こいつはこっちで引き取る」

 冠者は足先で玉爛を小突いた。

「ここで殺さねえのか?」

 阿古夜は少し驚いて言った。

「それはこっちで決める。塩飽の阿古夜、もうこいつの術は解いた。これ以上、鬼ノ城の鬼どもとあんたの手下を戦わせても双方に益はないだろう?」

「そのようだ。今日は無駄足になっちまったが、まあいいさ。どっちみちあんたとは一度会ってみたかったからな」

 海に放り出された阿古夜の手下たちが、仲間の手を借りて船に上がってきた。阿古夜が引き上げの準備を始めたため、甲板にはにわかに慌ただしい空気が流れた。

 その間隙をついて、甲板に縛って転がしていた玉爛が冠者の視界から消えた。

 一瞬、嫌な予感が過って、次の瞬間的中する。冠者が次にその場所を見た時には、もはやそこに玉爛の姿はなかった。残されていたのは、引き千切られた縄と、息絶えた海賊が一人。辛うじてそばにいた一人にだけ術にかけ、縄を解かせて逃げたのだ。

「しまった!」

 冠者は船べりに取り付いた。穏やかに凪いだ海の上に海鳥の群れが飛んでいた。その群れの下を、玉爛が遠ざかっていった。


   ***


 奇妙だ、と五十狭芹彦は思った。

 冠者には矢が当たらない。さっきから集中攻撃を受けているはずなのに、全く届いていない。どころか、まるで矢のほうが冠者を避けているように見える。

 気のせいかもしれないし、もしかすると安良媛の祈りが通じたのかもしれない。

 そんなことを考えながら安良媛の方に目をやると、何やら異変が起きていた。一匹の鬼が海から上がってきて、安良媛の方へと向かっている。その様子が尋常ではない。安良媛は鬼から逃げようとしているらしいが、岩礁に足を取られてうまく走れていない。鬼が一回、二回と跳躍すると、もう安良媛に追いついてその髪を掴んで引き倒していた。安良媛が悲鳴を上げた。

「やめろ!」

 五十狭芹彦は斜面を転がるように駆け下りた。油断していた、と自分を呪う。

 鬼は暴れる安良媛を組み敷いていた。五十狭芹彦は坂を下る勢いのまま跳躍し、くるりと一回転して鬼のくびを狙って斬り下ろした。

 がっ、と剣が岩を噛む。すんでのところで気配を察し、鬼が飛び退ったのだ。その異様な顔面に、五十狭芹彦はたじろいだ。恐らく元はそれなりの美男だったのだろうが、巨大な傷跡が顔全体を引き攣らせている。爛々と見開いた眼に浮かぶ、底知れぬ怨みと怒りの色。その所以(ゆえん)は鬼の本性ゆえなのか、それともその顔面の傷からくるものか。

「貴様、やるな。名はなんという?」

 鬼は引き攣った顔を歪ませて、恐らくは笑みを作った。

 五十狭芹彦は剣を構え直した。

「わたしは五十狭芹彦。旅の者だ。おまえは――名はあるのか?」

 それを聞いた鬼はぎゃっひゃっひゃと下品な声を上げて笑った。

「貴様の国に鬼はいないのか。それとも鬼には名など必要ないと思っているのか?いや、違うな。そも、獣、畜生の類と同じ、われらに名という概念を理解できるなどとは思ってもみない――違うか?」

「…………っ!」

 五十狭芹彦はかあっと顔が熱くなるのを感じた。返す言葉が見つからない。鬼に、鬼ごときに言い負かされたという怒り。それ以上に、なにか心を見透かされたような、どうしようもなく未熟な内面を見抜かれたような――羞恥。

 鬼はちらりと海の方を見た。冠者ら鬼たちが引き上げてくる。

「イサセリヒコ。覚えておいてやろう。俺は玉爛だ」

 鬼はそう言い残し、さっと姿を消した。

「ちょっとあんたねえ!危ないじゃないの!あたしが下にいるのにっ!」

 安良媛の声で、五十狭芹彦は我に返った。

「ああ、一応避けたつもりなのだけど。大事ないか?」

 嘘ではない。狙った鬼の頸を両断したとしても、鬼に組み敷かれていた安良媛の頭よりもだいぶ上だったはずだ。

「ええ、ね。おかげさまで!」

「恐ろしかったであろう。駆けつけるのが遅れて、すまない」

「別に?あいつ鬼ノ城で見たことがあるわ。一人で泳いできたところを見ると、多分冠者と揉めたのよ。それであたしに腹いせしようとしたんじゃない?」

 安良媛があまりにあっけらかんとしているので、五十狭芹彦は呆気にとられた。

「もういやんなっちゃう。祈祷も全然効かないし」

 岩礁で転んだ拍子に汚れた衣をこすって、安良媛はぼやいた。

「冠者が矢に当たらぬように祈っていたのではないの?」

 安良媛は海上を指さして声を荒げた。

「あの鬼の女に矢が当たるように祈ってたのよ!あんたも見たでしょう?もう、あたしの冠者にべたべたしてっ」

 さすがにこの台詞には、五十狭芹彦も呆れ返って二の句が継げなかった。

「本当に、わたしはこの地になにをしに来たのやら……」

 程なく冠者らが上陸し、安良媛は駆けていって冠者に飛びついた。海岸に集まっていた里の人々も、笑い合いながら冠者たちを迎えている。

 気づけば陽が傾きかけていた。

「あんた、さっき市にいた旅の人かえ」

 ひとり残された五十狭芹彦に、猟師らしい老爺が声をかけた。

「旅の人、あんた知らんかもしれんがの。このあたりはちょっと前まで鬼どもが好き放題に暴れとったんじゃ。それを、鬼と人との間に立って、争いをなくしたんが冠者じゃ。鬼火の国がここまで豊かになったんは、冠者のお陰じゃ。この里の者は皆、冠者を慕っとる。よその人間にはわからんかもしれんがの、ここでは鬼も人も、共に生きとるんじゃ」

「共に生きる……鬼と人が?」

 そんなことが可能なのだろうか。五十狭芹彦は、先日山で見た鬼の姿を思い起こした。到底、話が通じる相手とは思えなかった。冠者は恐らく、鬼の中でも特殊なのだ。そう思っていたのだが。

 ――鬼には名など必要ないと思っているのか――。

 玉爛の言葉が、喉の奥に刺さった小骨のように引っかかっている。

 鬼とともに豊かになったという鬼火の国。

 それにしても、この鬼火の国は太陽を浴びてあまりに明るい。まるで冠者の人柄そのものを映したかのようだ。

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