海賊 2

 周囲の人々よりも明らかに大きな体躯。長い金の髪を高い位置でひとつに結わえ、額には金の冠を戴いていた。大きな耳輪をつけ、玉を連ねた首飾りを幾重にも巻き、腕にも金の輪をいくつも巻いている。重ね着した衣が歩くたび風に翻り、大層目立った。

 果たして相手は、五十狭芹彦を見つけるなり破顔し、こちらに向かって手を振った。太陽のような笑顔だ、と五十狭芹彦は思った。

「おお、桃の!」

「……おまえが冠者か?」

 馴れ馴れしい冠者に対して、五十狭芹彦にとっては初対面も同然だ。

「そうだ。普段はあそこの山の山城にいる」

 冠者は里の裏手にそびえる山を指して言った。

「その様子だと大事なかったようだな。今日は一人か?」

「山で助けられたと聞いた。礼を言う。今日は翁と共に鹿の肉と皮を売りに来た」

「あの日はたまたま狩りをしていてな。鹿は食ったか?美味かったか?」

 何故冠者がこうも楽しそうに話しかけてくるのか、五十狭芹彦には全く理解できなかった。一体何を考えているのか。――鬼が。

「いただいた。美味かったよ。あれはおまえが獲った鹿か」

「ああ、そうだ。あの日は二頭仕留めた」

「そうか」

 五十狭芹彦はそう言って剣を抜くと、剣先を冠者の喉元に当てた。その場にいた誰も予想もしなかった、流れるような、舞いのような動きだった。

「冠者とやら。貴様、何が目的でわたしを助けた?」

 往来の人々がざわめきと共に数歩下がり、冠者と五十狭芹彦の周囲を円形に取り囲んだ。

「生かしておいて慰み者にでもしようと思ったか?鬼どもに襲わせておいて酔狂なことだ。貴様がここいらの鬼の頭領ならば、いま貴様を倒せば鬼ノ城とやらの鬼どもは」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 五十狭芹彦の口上を遮ったのは、二十歳はたちそこそこの女だった。動きやすい短衣を着た他の女たちと異なり、袖をたっぷり取った白い上衣の上から足首まで隠れる裳を着ている。

「冠者に何してるのよ、このアマ!」

「女、引っ込んでいろ。わたしはこの鬼と話している」

 五十狭芹彦は冠者を見据えたまま言った。

「安良媛ぇ、ややこしくなるからちょっと黙ってろ。な?」

 女を宥める冠者の口調は、微塵も動揺していないようだった。両手は剣を取るでもなく無造作に下ろしたまま、表情には悪戯っぽい笑顔が残ってさえいた。

「慰み者だとか、そんなつもりはないんだが……それより桃の、山で誰に襲われたって?」

「誰に、だと?」

 鬼ノ城で作られた剣。それと同じ剣を持った鬼。その鬼たちに襲われた。鬼ノ城の主が冠者ならば、冠者が襲わせたのだと、容易に思いつく――。

(容易に思いつく……ということは)

 五十狭芹彦ははっとした。もしや、そう思わされていたのか。だが、誰に?

「わたしはあの日、山で鬼どもに襲われたのだ。鬼どもはこの剣と同じ、よく鍛えられた鉄の剣を持っていた。冠者、貴様が鬼の頭領ならば、あれは貴様の差し金か」

「いいや」

 冠者の顔から笑みが消えた。

「鬼と闘ううち、弟とはぐれた」

「知らんな。俺はお前を川で拾って、翁に鹿をくれてやった。それだけだ。疑うなら鬼ノ城まで来て、その眼で確かめるがいい」

 五十狭芹彦は、それでようやく剣を下ろした。

 パァン、と乾いた音が鳴り、五十狭芹彦はひりつく頬を抑えた。先程の安良媛という女が、五十狭芹彦の頬を張ったのだ。

「冠者は旅人を襲ったりしない」

「よせ安良媛、行くぞ」

 冠者が安良媛の肩を抱き寄せ、五十狭芹彦から引き離した。

 そのとき、遠くから、どぉん……という鈍い音が聞こえた。

「海賊じゃーあ!」

 誰かの怒鳴り声がして、にわかに里全体が騒がしくなった。市の人々は一斉に海の見える高台へ向かった。田畑で野良仕事をしていた人々も、手を止めて集まりだす。集落の家々からも年寄りや子どもたちが外に出てきて、皆一様に海の方を窺っている。

「おい桃、安良媛を頼む」

「ええ?」

 冠者は、状況を理解できない五十狭芹彦に安良媛を押し付け、ひらりと跳躍した。そのまま人垣の上を飛び越え、いずこかへ消え去った。

 ずずん、と地が揺れたような感覚がして、山から突風が吹き下ろしてきた。

 どっ、という衝撃が五十狭芹彦の全身を襲った。巨大な空気の塊がぶつかってきたかと思うと、地鳴りと共に「おおおおお」という声が迫ってくる。

 その光景に、一瞬、呼吸を忘れた。

 何十、いや、百を超える数の鬼が、山から下りてくる。

 駆ける、というより、飛んでいるようだった。木から木、屋根から屋根へと跳躍し、人々の頭上を越えていく。

 その光景に目を奪われていると、五十狭芹彦の手を振りほどいて安良媛が駆け出した。

「あ!おまえっ!」

 慌てて安良媛を追う。

「なんで、わたしがっ……」

 苛立ちと共に吐き出したが、不思議と嫌な気分ではなかった。何故自分はあの鬼の言う事をきいているのだろう。

 安良媛を追って市を走り抜け、雑木林を抜けると、突如正面が開けた。

「あっ!」

 五十狭芹彦は状況を忘れて息を呑んだ。蒼天を照らす太陽が、碧い水面で砕けて数多の光の粒となり、きらきらと輝いている。遠く近く点在する島々は青々と木々が茂り、飛び交う海鳥の声は生の喜びを謳い上げているかのようだ。眼下に広がる風景は目映まばゆいばかりの光に満ちて、今まさに始まらんとしている血なまぐさい人と鬼との営みなどは全く些細な波のひと揺れに過ぎないかのように、超然として美しかった。

「これが、西国――」

 ――西国は明るいぞ。

 ふと思い出したのは、都に残してきた姉の言葉だった。西国行きを渋る弟を、そう励ましてくれた。

 海には大小いくつもの島が浮かんでいた。その合間を縫うように、壮麗な船が往来している。視界に入っただけでも五隻。

 海賊船は三隻。初めて見る五十狭芹彦にもひと目で分かった。船体を黒く塗り、派手な朱色の帆を揚げている。襲われているのは商船だ。都近くの難波津(注・難波の港のこと)に入ってくる商船と基本的には同じ、白地に墨色で所有者の紋を入れた帆を掲げている。海賊たちは商船にたっぷりと積まれた荷が目的なのだろう、一隻が行く手を阻み、一隻が退路を断ち、残る最も大きな一隻が商船に横付けして、今まさに乗り移らんとしているところだ。

 そこへ、猛烈な勢いで鬼たちが向かっていく。岸の五〜六人乗りの小舟一艘につき二〜三匹の鬼が乗り込み、小舟に乗れない鬼は泳いでゆく。

 五十狭芹彦の鼓動が速くなる。知らず、脳裏に山中での鬼との戦いが蘇る。

 あたりを見回すと、はるか下方で安良媛が海に入れずにうろうろとしていた。海岸までは細く急な坂道が続いている。安良媛は恐らく小舟を探しているのだろうが、もう岸には一艘の舟も残っていなかった。安良媛は心配そうに海戦を見守っていたが、やおらその場に跪き祈り始めた。そこで初めて五十狭芹彦は、安良媛の出で立ちについて納得した。

(あの女、巫女か)

 女の身の安全を冠者に託されたのだが、海に入れず岸で祈っているぶんには危険はないだろう。五十狭芹彦は再び海上へと視線を向けた。


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