生贄 2
一方その頃、山でもまた、鬼たちと対峙する者があった。
〈ここまで虚仮にされて黙ってはおれん。どうせ貧弱な者どもだと好きにさせていたが、今こそあやつらの里を攻め取ってしまおう〉
〈おお、そうだ。怨羅族の力を見せつけてやらねば〉
おおお、と歓声が沸き起こる。
〈そんなことをしてどうする〉
唐突に朗々と通る声がして、あたりは水を打ったように静まった。
それは見慣れない金髪の鬼だった。額に金の冠をしている。
〈これまで、奴らの土地から取れる作物を奪ってきたのだろう?その作物を作る者がいなくなったら、困るのは俺達じゃあないのか〉
彼の声には周囲を黙らせる不思議な力があった。その場を包んでいた興奮は、一気に冷めたようだった。
〈我々はこの土地ではよそ者だ。数で劣るうちは、対立してもいずれ負けるぜ。麓の里だけが相手じゃない、西も東も北も、南の海の向こうにも、この国の民が住んでいるんだ。その気になれば奴らは千でも万でも兵を呼び集められる〉
〈俺達が負けるだと?ふざけるな新参者がぁ!千だろうが万だろうが、この国の貧弱な人間なんざ敵じゃねえんだよぉ。まずお前から殺ってやろうかぁ?あ?〉
見るからに残忍な顔つきの鬼が、目をひん剥いて金冠の鬼に詰め寄った。額と、頬から顎にかけて大きな傷跡が刻まれている。よく見ると元はそれなりに整った顔をしていたようだが、傷跡のために皮膚が引き攣って、彼の顔に凄みを増していた。彼の仲間らしい鬼が数人、金冠の鬼を取り囲んだ。
と、少し離れた岩に腰掛けていた鬼が、口を挟んだ。
〈おい
〈青燐!てめえ、鍛冶屋風情が口を出すな!〉
顔に傷跡のある鬼が振り向いて凄んだが、刀鍛冶の青燐は構わず続けた。
〈そいつとやり合うな。そいつは剛伽夜叉だ〉
ざわ、と鬼たちの間にどよめきが広がった。
〈剛伽……夜叉……〉
〈鬼神の……?まさか、本当にいたのか……〉
畏怖を込めた囁きが、さざ波のように広がっていく。
〈いかにも我らは、彼らの作物を略奪し、女を召し出させて食いつないできた。だが、確かにこのままでは早晩全面対決は避けられん。剛伽夜叉よ、実は俺もそろそろやり方を変える時だと感じていた〉
青燐の話を聞いて、剛伽夜叉は頷いた。
〈ああ。俺は来たばかりだが、ここはとても良い土地だ。俺はここに、怨羅一族と里の民をひとつにした、新たな国を作ろうと思う〉
先ほどとは比べ物にならないどよめきが沸き起こり、どどうと山が揺れたかのようだった。
***
安良媛は走っていた。
父らが仮眠している間に、安良媛はこっそり社を抜け出した。鬼の棲む山に着いたのは早朝だった。他の鬼に見つかったら、と考えると一瞬足がすくんだが、金冠の鬼が助けてくれる、と妙な確信があった。
山もまた、静かだった。騒ぎの後で鬼も眠っているのかもしれない。もし万一鬼に遭ったら、あの金冠の鬼に会わせろと言うつもりだった。だが、一人で山を歩いていると、ふと不安になる。
(言葉が通じなかったらどうしよう)
鬼たちは人の言葉は片言だった。鬼には鬼の言葉がある。それから安良媛は、あの鬼たちの不気味な声は、人語をうまく話せないせいなのかもしれない、と思い至った。
(鬼とは、一体……)
浮かんだ疑問は、うまくまとまらなかった。曲がりくねった細い山道の向こうに、人影――いや、鬼の影を見つけたからだ。安良媛は泣きたくなった。
「金の……冠!」
張り詰めていた気持ちが一気にほどけて、思わず安良媛は走った。
「おう、どうした、安良媛」
剛伽夜叉は笑って、息を切らして飛びついてきた安良媛の頭を大きな手でくしゃっと撫でた。
「焼き討ちよ!山が焼かれるの!どうしよう、ねえ!」
逃げて、あなただけでも。そう言うつもりだった。怒り狂った鬼たちが里へ報復に来たら、すべてが終わる。
「そりゃあ大変だなぁ、安良媛」
剛伽夜叉はどこか呑気な様子で言った。
「逃げないと……」
安良媛は、猫のような大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、剛伽夜叉を見上げた。剛伽夜叉はにっと微笑んだ。
「大丈夫、俺が止めてやる。大丈夫だ」
それから剛伽夜叉は、つい、と顔を逸らして言った。
「焼き討ちなどさせん。お前ら、着いてこい!」
ざざっと木々が揺れる音がして、安良媛が見上げると、樹上に三匹の鬼がいた。
安良媛を肩に乗せ、三匹の鬼を従えた剛伽夜叉は、風のように山を降りて社へと向かった。
祝の社は里の他の家々とは違い、茅葺きではなく檜造りだ。その三角に組まれた屋根の上に、鬼たちは降り立った。
里の人々は驚いて隠れたが、焼き討ちだと色めきだっていた幾人かは手に手に武器になりそうな農具を持ち、社の前に集まって鬼たちを睨みつけた。
「儂は剛伽夜叉じゃ。誰ぞ話のできるやっちゃおらんかの」
あれ、と安良媛は剛伽夜叉の顔を見た。てっきり昨日暴れ回る鬼どもを制したように、大音声で威圧するものだと思っていた。だが、剛伽夜叉は――笑っていた。屋根の上にどっかとあぐらをかき、返答に困っている里の人々をにこにこと見下ろしている。
「我ら怨羅一族は、今後一切、生贄の女を求めん。作物を奪い取ることもやめさせるけん、なんとかこらえてくれんかのう」
こんな調子で剛伽夜叉がにこにことした顔を崩さないので、ひとり、またひとりと、人が集まってくる。仲間の鬼たちは屋根を囲むように立って周囲を睥睨していたが、彼らの顔つきはまるで衛士か何かのように精悍で、昨日見た鬼たちのような野蛮さは欠片も感じられない。
「なんと流暢に人語を喋りよる鬼じゃ。それも、里詞(さとことば)を真似しよる」
集まった人々の中から、一人の老人が声を上げた。真似、と言われた剛伽夜叉はきまり悪そうに苦笑した。
「鬼よ。儂ゃあ吉川の
楽々森氏は一帯を取り仕切る土豪で、安良媛すらもその名を知っていた。
「それじゃ。困ったのう」
剛伽夜叉が大して困った風もなく言った。先程までいきり立っていた人々は拍子抜けし、ぽかんと立ち尽くしている。
「我らはこの土地のことを知らん。作物も作れん。だが我らは鉄を作れるぞ。どうじゃ、その手にしている農具、我らがぜんぶ鉄で作ってやろう。そのかわり……」
「対価として作物をよこせと?」
楽々森氏が言葉を継いだ。剛伽夜叉はしたりと笑みを返した。
「じゃが、女はどうする。鬼どもよ、お主ら嫁がいなくて困っておろうが」
「そんなのは、勝手に惚れさせれば良いだろう」
剛伽夜叉はおもむろに、横に立っていた安良媛の腰を抱き寄せた。
「きゃ!」
小さく叫んだ安良媛の耳元にふっと息を吹きかける。その顔に不敵な笑みが戻っている。
「女は攫うもんじゃねえ、口説くもんだ」
***
鬼がもたらした製鉄技術は農業の生産性を飛躍的に向上させた。鬼の一族である怨羅族は、製鉄のほかに土木作業などの力仕事を請け負うこともあった。怨羅族は里の人々と共存し、鬼火の国は大いに栄えた。
剛伽夜叉は額の金の冠から「
「ねえ冠者、あんたはどこから来たの?」
美しい娘に成長した安良媛が、剛伽夜叉の腕の中で言った。鬼の棲む山の頂の、鬼火の国を見晴るかす大岩が、剛伽夜叉の定位置になっている。
「海のずっとずっと向こうだな」
「鬼の国?どんなところなの?」
「そうだなあ。大地は火に覆われて、死体が積み上がって山となり、血が川のごとく流れ続け」
剛伽夜叉がわざとおどろおどろしい声音を使う。
「やだ、怖い」
安良媛が笑った。剛伽夜叉が視線を巡らせた先には、金色に実った稲穂の向こう、良く晴れた空を映して、海がきらきらと光っていた。
「鬼と鬼が永遠に殺し合う……地獄のようなところだよ、安良媛」
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