1章 生贄少女と九尾の妖狐

************










「ほぅ、この娘がかの村から差し出された生贄の娘か」

「少々やせ細ってはいるが、肉は柔らかそうだ」

「特に太ももは食いごたえがありそうじゃ」

「いや、しかし食べられる部分が少なすぎやしないかえ?」

「だったら食べられる部分を増やすために、しばらく飼って太らせればいいではないか?」


月明かりさえ届かない薄気味悪い洞窟。

空気がよどみ、風一つ吹かないその場所で、愉快そうに舌なめずりをしているのは異形の者たちだ。

角がある者、皮膚が鱗で覆われている者、背から翼が生えている者。

人のような形をしている者、獣のような形をしている者、言葉では形容しがたい形をしている者。

その姿は千差万別。


そんな彼らの視線を一心に集めている


「……」


......___それは、だった。



年の頃は一八ほど。黒い髪は無造作に肩あたりで切り揃えられ、満足に湯あみができていないのか、髪には白い頭垢フケが浮いている。身にまとっている粗末な襤褸には砂や埃がまとわりついており、そこから覗く四肢には打撲痕や刃物で切り付けられたような切り傷が痛々しく残っていた。


肌は病的なまでに青白く、黒い双眸からはまるで精気を感じない。虚ろに覗く瞳は深い闇を孕んでいる。


「しかし、この娘、口が利けぬのか?」

「我らを前にして、声一つ上げぬとは、少々気味が悪い」


妖たちかれらが怪訝そうに眉を顰めても、は何の反応も示さない。


「……」


両手足を縄で縛られたまま、ただ静かに横たわっている。


「妾は生のままいただこうかえ?」

「火を通した方が美味かろう」

「熱い湯につけて出汁を取るのもいいではないか」


自らの喰らい方を談笑する妖たちを尻目に、娘は自らの運命を諦めてしまったかのように小さく息を吐いた。

そしてゆっくりと目を閉じた。




そのときだった。







......___『チリン』


この場に似つかわしくない澄んだ鈴の音が聞こえたのは。





************






『......___チリン』と鈴の音が暗い洞窟の中を響き渡る。その鈴の音にどよめき始める妖たち。



「何故がここにいるのだ!」

「たかが、妖力が高いだけの若造だろう!」

「だが、しかし、今、にかなう者はこの場にはいまい」


その鈴の音にどのような意味があるのだろうか。明らかに動揺している様子の妖たち。鈴の音が大きくなるにつれ、妖たちの話し声も小さくなり、やがてぴたりと止まった。その異様の静けさに、娘は固く閉じていた目を開いた。そして、思わずまぶしさで目を瞬かせる。


「......___光?」


娘の目に映ったのは

.......___優しい、光だった。


まるで夕焼けのような優しい茜色の空の色。


『......___チリン』


鈴の音が近づくにつれ、その光もまた近づいてくる。




「どうして?」


娘の口からこぼれ出たのは驚愕の言葉。何が起こっているのだろうか。目の前で不思議なことが起こっている。

あれだけひしめきあっていた妖たちが、何かをまるで恐れるように後退りを始めたのだ。


『......___チリン、チリン』


その鈴の音とともにある光を避けるように、妖たちは一様に跪いて頭を垂れた。光を中心に左右に妖たちは分かれ、一本の道が娘の前まで通じた。徐々に近づいてくる鈴の音と何者かの足音。



「キミは......」


.......___そして、娘の前に姿を現したのは、一人の少年だった。




************









「......___キミは」


その少年は娘の姿を認めると息を飲んだ。そして思いがけない僥倖ぎょうこうにでも出会ったかのように大きく目を見開く。


人と変わらぬ姿をしたその少年が纏っているのは鮮やか緑色の着物。手には橙色の一人を灯した提灯を握っている。少年が握っている提灯が光の正体だったのだのか、と娘は思った。


では彼が妖たちが動揺していた原因なのだろうか。妖たちをみれば、微動だにせずただそこでこちらの様子を、否、少年の様子を伺っているようだった。


年の頃は娘と同じ程。

手に持つ提灯と同じ優しい夕焼けの瞳。そして端正な顔立ち。

栗色の長い髪を首の後ろで一つにまとめ、右肩から前に流している。

彼の髪を縛っている朱色の髪紐には古びた鈴が二つ付けられ、彼が身じろぎをするたびに澄んだ音を響かせていた。


『......___チリン』


少年は確かに人の姿をしていた。


......____けれど、確かに人ならざる者ではあった。






栗色の髪から生えているのは柔らかそうな二つの獣の耳。そして背後に見えるのは九つの獣の尾。

人とは明らかに異なる異形の姿。彼もまた妖ではあった。


「どうして、がこんなところに」


少年の茜色の瞳は喜びを隠しきれていない。けれど娘の置かれた状況に気が付いた瞬間


「.......___怪我をしているのか?」


声を震わせた。そして少年は着物が汚れるのもいとわずに娘の傍に駆け寄り、跪いた。持っていた提灯を傍らに置き、娘の体を起こす。そして娘の体に痛々しく残る打撲痕と切り傷を見やった。肩に触れている手のひらは酷く暖かく、娘は少年を見上げた。少年は何かに耐えるように、自分を責めるように唇を噛みしめていた。


「痛む、よな?」


悔しさを滲ませた茜色の瞳は娘の姿を映し出す。


娘は思う。

どうしてこのヒトのことを恐ろしいとは思わないのだろう、と。

どうしてこのヒトは私のことをこんなにも心配してくれるのだろう、と。


......____このヒトは、一体何者なのだろう、と。



尋ねたいことがたくさんあるはずなのに。


「あなたはやさしいをしているのね」


娘の口からこぼれたのは、少年のその優しいまなざし。

他の妖のように恐ろしいとは感じないのは、きっと心配そうに私をみつめる茜色の瞳が優しいから。

このヒトが何者であってもこれだけは確かだから。


「.......っ」


娘の言葉に彼の茜色の瞳が揺れた。


娘のその言葉にどのような意味があったのだろうか。

少年はわずかに唇を引き上げ、まぶしいものでもみるように彼女を見返す。


「キミは


そしてこぼれるような、まるで陽だまりのような笑顔を見せた。



************





「キミは

「それは___.......」


どういう意味なのか、そう娘が口を開きかけた刹那、

少年は娘の耳元に顔を近づけた。


「少しだけ、我慢してくれ」


我慢、それは一体どういうことなのか。

その言葉の意図がわからず彼の茜色の瞳を見返すと、突如少年の姿が消えた。否、視界が変わった。




「....__っ!?」


体が宙に浮く。浮遊感。

布越しに感じる温かさ。そしてお日さまの匂い。

少年に抱きかかえられているのだ、と気が付くのには幾ばくもかからない。



途端、周囲にいる妖たちが騒めき始めた。


殿、ソレをどするつもりかえ?」

「ソレは、我らが血肉となる供物。殿といえどやすやすと渡すわけにはいかない」


娘は思わずと呼ばれたヒトを見た。


茜色の瞳が優し気に揺れ、「大丈夫」と私にだけ聞こえるように耳元で囁いた。

少年の動きに合わせ、『チリン』と鈴の音が響き渡る。


洞窟内を妖たちの殺気が支配する。

まさしく一触即発の中、少年は妖たちに言い放った。


「では、俺の狐石こせきをくれてやる」


少年の言葉に妖たちは再び騒ぎ始めた。


狐石こせきだと!?」

「九尾の妖狐の狐石こせきとあれば、どれほどの妖力が!!」


そんな妖たちかれらを一瞥し、少年はゆっくり息を吐いた。そして「解!」とただ一言、そう口にした。


すると不思議なことが起こった。

傍らにあった少年が持っていた提灯が破れ、その中から出てきたのは彼の瞳と同じ茜色の石。

その石は地面に転がり落ちることもなく、宙に浮いたまま辺りを照らしている。


「あれが狐石こせきか!?」

「結界が解かれている今なら我らでもあの石を触れることができる」


その石にどんな力があるのだろうか。

あれだけ殺気立っていた妖たちが一様にその石に視線を向けていた。

きっとその石はこのヒトにとって大切なものであることは間違いないはず。

私のせいで優しい瞳をしたこのヒトの大切なものを奪われていいわけがない。


、いけません。私のようなもののためにそのような大切な石を妖たちに与えては。もとよりこの命、贄に捧げられたときより、ないものだと思っております」


そう必死に言い募ったが、少年は「いいんだ」と静かに首を振った。


「えっ?」


即答する少年の言葉に娘は目を丸くする。そんな娘に少年は安心させるように笑ってみせた。

それは太陽のように酷く優しい笑顔。


「キミの命より大切なものなどないのだから」


茜色の瞳が優しげに揺れる。その吸い込まれそうな澄んだ瞳に思わず見惚れる娘。少年の茜色の瞳に娘の姿が映り込む。


「俺にキミを守らせてくれ」


そういって微かに漏れた少年の吐息が耳にこそばゆく、娘は自らの頬が熱くなるのを感じた。少年はそんな娘をどこか愛おしそうにみやって、目の前の妖たちに目線を向けた。そしてそのまま眼前の妖たちに静かに問いかける。


「俺の狐石こせきより、まだこの娘の命を望むというのなら、ここで俺とりあってもいいぞ」


少年のその一言でピリピリとした空気が漂った。少年は続ける。


「この九尾の妖狐たる、この俺とりあいたい者はいないのか?」


一瞬の静寂。あれほど騒ついていた妖たちから一切反応はなく、先ほどまで聞こえなかった風の音が遠くで聞こえた。


「この狐石こせきはくれてやる。その代わり__.......」


少年は娘を抱え上げたまま、こう宣言した。




........._______『この娘は俺がもらいうける!』と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生贄少女は九尾の妖狐に愛されて 如月おとめ @kisaragi_otome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ