近いのか遠いのか
清水らくは
近いのか遠いのか
雨が降るとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。小さな折り畳み傘は、今にも雨粒の勢いに負けてしまいそうだった。
電車は止まり、タクシーを待つ人であふれかえっている。バス停も同様だったが、そもそも僕の町の方面へ行くバスはない。
どうやって帰ればいいんだ。
今日は金曜日。家に帰り着いてさえしまえば、後は好きなだけ休めばいい。ただ、その方法が思いつかない。
一縷の望みをかけて、近所の友人に連絡してみた。メッセージを入れると、数分後に返事が。
「すまん、もう酒飲んだ」
まいった。
僕には他に頼れそうな人はいない。近くに親戚もいない。金曜日は絶対に残業させないという強い意志の下、9時にはすべての扉が閉まってしまう。
歩くしかないのか。
電車だと15分ぐらいだが、歩くとどれぐらいかかるのだろうか。雨が止む気配もない。
同じことを考えた人々だろうか、いつもよりも歩行者は多い気がする。僕も意を決して、家の方へと一歩目を踏み出した。
暗い寒い、靴下が濡れているのがわかる。自販機を見たが、温かい飲み物が売り切れていた。もしかして僕より先に意を決した人々が、買いつくした後なのだろうか。このまま家まで補給もなく行軍を続けないといけないのだろうか。
こんなことならば駅前のコンビニに行っておけばよかったと思ったが、それだって売り切れていたかもしれない。この状況だ、傘からカッパ、食べ物だって欲しい人は多いだろう。温かい飲みものが残っているとは思えない。
決死の覚悟で進んでいかなくてはならないのだ。
意外と早く、あたりはとても暗くなった。住宅街になったのだ。普段駅の周りばかりで過ごしているので、きらびやかな町がどこまでも続いているのだと錯覚していた。しかし考えてみると繁華街はもう少し先で、駅前はどちらかと言うと街の外れになる。お城を避けるように線路を通したのでそうなったらしい。中心街の方だったらネカフェに泊まるとかの選択肢も思いついただろう。しかしもう僕は反対方向へと歩き始めてしまった。明るい建物があると思ったら、学習塾だった。こんな天気なのに、子供たちは勉強に来ているらしい。
だんだん歩く人の姿も見なくなってきた。同志が見当たらなくなり心細くなってきた。まだ、道のりの五分の一も来ていない。
看板だけが光る回転寿司店があった。もう閉店した後なのだ。急におなかが減ってきた。スマホを確認すると、一番近いコンビニは1キロ以上先だった。
とりあえずそこを目指そう。雨がまた強くなってきた。もう全身濡れている。
信号が赤だった。向かい側に、一台のタクシーがとまっているのが見えた。祈るような気持ちになって見てみたが、何度確認しても「賃走」と表示されていた。
大きな駐車場を備えたコンビニが見えてきた。ほっとしたものの、見えてからがまた遠い。少しずつ大きくなるコンビニ。最後は小走りになってそこに駆け込んだ。
とにかく温かいものが食べたい。そう思って弁当のコーナーに行く。
「あれ、峰岡くん?」
突然声をかけられたので、飛び上がってしまった。かわいい女性の声だ。聞き覚えがある。
「海田さん。どうしてここに」
「それはお互い様じゃない?」
海田さんとは中学と高校が一緒だった。いつも笑顔で、運動ができて、絵が上手い。憧れの存在だった。
「電車止まってて。歩いて帰ろうかなって」
「あはは、一緒。でも力尽きて、コンビニにいるの」
「一緒だ」
海田さんが高校卒業後どうしているのかは全く知らなかった。地元は一緒だが、具体的にどこに住んでいるのかは知らなかったし、どこで働いているとかも当然知らなかった。
「まだまだ遠いよねえ」
「まあねえ。あ、僕は引っ越して今一人暮らししてるんだ。だから海田さんよりは近いかも」
「そうなんだ。私はずっとあの町。つまんないよね」
海田さんとこんなに近くで、二人きりで話せる日が来るとは思ってなかった。大変な思いをしてここまで来たけど、少し頑張った甲斐があった気がした。
「それにしてもすごい雨だよねえ。これからどうするの」
「迎えに来てもらえることになった。もう今日は彼氏の家に泊めてもらう。いっつも残業なんだけどさ、さすがに今日はなくなったって」
「ははは、そうなんだ」
「あ、峰岡君も送ってもらえるように頼もうか?」
「え? あ、いいよ。歩いて帰る。少し休んだら元気出てきた」
「そっか。気をつけてね」
「ありがとう」
僕はホットコーヒーだけをつかんで、レジに向かった。少し早足になって外に出る。雨脚は弱まっていたが、体の芯から冷えていくような感覚があった。
「まだまだ遠いよなあ」
僕はコーヒーを飲み干すと、再び歩き始めた。
近いのか遠いのか 清水らくは @shimizurakuha
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