ジリジリとアスファルトを焦がす灼熱の太陽が、やや西に傾きはじめた午後。


「こんにちはぁ!」


 店先で野菜の並べ替えをしていた八百八やおハチの大将は、背後からかかった元気な声に振り返った。日に焼けた厳つい顔に、たちまち人の良い笑みが浮かぶ。


「おう、雛姫ひなきちゃん。らっしゃい! 暑いのにいつも感心だねえ。今日はなにをご所望かな?」

「トマトとレタスください」

「あいよー! 真っ赤に熟れた、最高に美味ウマいのがあるよ。暑いからとりあえずなか入んな。おい、かかあ、ギンギンに冷えたジュース持ってこい!」

「なんだよ、店先でうるさいねっ……っと、おやまあ、雛姫ちゃん!」

「こんにちは、おばさん」


 住まいに繋がるレジ奥の暖簾のれんを掻き分けて、前掛け姿の年配女性がしかめっ面を覗かせた。しかし、大将につづいて店に入ってきた少女を見るなり、愛想のいい笑顔になって挨拶を返した。


「小さいのにいっつも偉いねえ。暑かったろう。ちょっと待っておいで」


 言うなり顔が引っこんで、パタパタと奥へ走っていく音がする。大将はそれを見て「なんでい、勝手な奴め」と悪態をついた。


「レタスはいつもどおり半分でいいね? トマトはいくつにする?」

「うーんと、じゃあ3つ」

「はいよ。とれたてだから美味いよ」


 大将は、レタス2分の1個と籠に入ったトマトを手際よくそれぞれビニールに詰めてくれた。


「いいねえ。明日っから夏休みだろ? どっか遊びに行くのかい?」

「友達とプール行く約束はしてるけど、まだよくわかんない。帰ってからヒロ兄に訊いてみないと。ヒロ兄も明日から夏休みなの」

「偉い学者先生だもんなあ。若いのにたいしたもんだ。あれ、なんてったっけ? センセが研究してるガクモンは」

「ん、とね、シューキョーミンゾクガク? 家に難しい本がいっぱいあるけど、あたしにはちっともわかんないの。でも、ときどき入ってる挿し絵とかは面白くて好き」

「たしか去年の夏も、ガッカイとかの集まりがあるってんで、旅行がてら雛姫ちゃんも熱海に連れてってもらってたもんなあ」

「白浜だろ? なんだい、温泉てとこしか合ってないじゃないか」


 奥からお盆を手に戻ってきたおかみさんが、雛姫にオレンジジュースとマドレーヌを勧めながらすかさず横槍を入れた。


「うるせぇな、どっちだって似たようなもんだろ。あ、雛姫ちゃん、そこ座んな」


 手近の丸椅子を勧められ、雛姫はお礼を言って受け取ったグラスを手に腰掛けた。


「しかし兄妹ふたりっきり。ほんとによくやってるよ。近頃ロクなガキどもがいないってのに、立派なもんだ」

「ほんとにねえ。いまどき感心な子たちだよ」


 夫婦の手放しの讃辞に、雛姫は「そんなことないです」とはにかんだ。


「あ、もちろんヒロ兄は立派だけど」

「雛姫ちゃんだって充分偉いよ。家事全般、忙しい兄さんに代わって引き受けてるんだろう?」

「うん。でも料理とか好きだから、全然大変じゃないの。ヒロ兄みたいに難しいのはまだできなくて、簡単なのしか作れないんだけど」


 雛姫が照れたように笑うと、大将はもう一度、偉いねえと呟いた。


「料理が上手で気だてがよくてしっかり者で、おまけに将来べっぴんさんになること間違いなし! 雛姫ちゃんの旦那になる男は果報モンだ。センセもいまから可愛い妹を嫁にやりたくなくて、やきもきしてんじゃないのかい?」

「なに言ってんだい! まだ小学4年生じゃ早すぎるよねえ?」

「ばぁか、おまえ、男親なんてのはみんなそんなもんだ」

「よく言うよ、女の子の父親なんかやったことないくせに。うちにいるのは家の手伝いひとつしない、むさくるしいドラ息子たちばっかりじゃないか」

「まったくだ。おいちゃんも雛姫ちゃんみてえな可愛い娘が欲しかったなあ」

「突然変異でも起こらなきゃ、うちにこんなできた子、生まれやしないよ」


 雛姫はクスクスと笑いながらふたりのやりとりを聞いた。


「雛姫ちゃん、よかったらこのほうれん草も持ってくかい?」

「え、いいんですか?」

「ああ。この暑さでやられちまって、鮮度が落ちちまってるからな。売りモンになりゃしねえ。傷モンですまねえが、よかったらもらってやってくんな」

「ありがとう。いただいていきます」


 雛姫はその厚意をありがたく受けて、トマトとレタスの代金を支払った。おかみさんがほうれん草と一緒にお皿に手つかずで残ったマドレーヌもふたつ、ビニール袋に入れてくれる。雛姫はそれにも礼を言ってぺこりと頭を下げた。


「またおいでね」

「はい。ごちそうさまでした」


 麦わら帽子をかぶりなおした少女は、ビニール袋をさげて元気に帰っていった。夫妻はそれをあたたかい眼差しで見送る。


「素直でいい子だ」


 夫の呟きに、糟糠そうこうの妻は「ほんとにねえ」と心から同意した。

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