くじら

アイス・アルジ

第1話くじら


 時間はまだある。私はコントロールを失い、宇宙空間を漂いながらも冷静さを保とうと努力した。時間はまだある、十分にある。“ボディーセル”(生命維持スーツ)は正常に機能している。通信を回復しようと試みたが、体が回転しているため通信を保てない。ホームシップはまだ私の位置を追尾していると思うが、どんどん遠ざかっているのがフェイスウィンドウの端に映る。やがて探知可能範囲を超えてしまうだろう。私は、もう無謀な年代を過ぎていたが、規約に反して一人での冒険航海に出ていた、この事故を知る者はいない。ホームシップに戻れなければ、救助される可能性は限りなく“0”に近い。


 宇宙での死は緩慢だ、私の死は確実だがそれはまだ先のことだ。酸素使用料からその時間を正確に計算することができるが、そうしたところでなんの意味があるだろう。数時間先、いや数日先のことだろう。ただその時を待つより自らの意思で酸素供給を止めたほうが、賢い決着のつけかたかもしれない。しかし最後の最後まで自分の命に全力を尽くすのが、宇宙冒険者としての務めではないだろうか。

 “ボディーセル”の空気漏れ箇所を確認し、パッチを取り出して塞ぐ、まだ止まらない。ハンドミラーで死角の傷を確認し、その箇所にもスプレイパッチをする、空気漏れは止まった。致命的なダメージは無いようだが、飛行制御系は回復不能だ。次はなにをすべきか、体の回転を止めればホームシップとの通信を回復できるかもしれない。もがくようにして適切な角度を狙いガスを放出してみる、回転が遅くなったようだ。すでにホームシップの光点は星のきらめきに紛れて判別できない。<コントロール、コントロール聞こえるか?>何度も繰り返した通信を、また繰り返した。ヘッドセットからは背景ノイズだけが流れ続けている。


 10代のころ、セルヨットで太平洋横断に挑戦したことがある。海は想いもよらない試練と喜びを与えてくれた。奇跡のような光景にも出会うことができた。鏡のように海が凪ぎ、満点の星空が移る海面に浮かんでいると、まるで星々の中に浮かんでいるようだった。大洋のただ中で海面が鏡のように凪ぐことがあり得るだろうか、これは潮流と大気の気象条件が整い奇跡的に作りだされた光景だ。私がこの光景に出会える確率はほとんど“0”だっだろう、しかし夢ではなかった。海に暮らすクジラが、一生かけてもこのような光景に出会うことがあるのだろうか?


 私は今あの時の光景を思い出している。命が瞬時に奪われてしまう非情な宇宙空間に漂いながら、生命のあふれる地球の大洋の光景を思い出すとは、あまりに皮肉なことだ。今となってはどれくらいの速度で漂っているのかも分からない、感覚としては、ただただ自分が停滞して宇宙が回っているように感じられるだけだ。突然宇宙が止まり自分が回りだす。めまいを感じ目を閉じる、月並みだがこれが夢であればと思う。

 宇宙空間に一人とり残され死を迎えるという悪夢は、宇宙に出た者であればだれもが経験しているのではないだろうか。しかし宇宙空間で死を迎える実際の確率は、事故であれ病気であれ驚くほど低い。事故はロケット打ち上げ時か帰還時での発生がほとんどだ。宇宙ではわずかなミスが死に直結する、そのため安全管理が徹底される。そのうえ健康チェックも綿密に行なわれる。従って、宇宙での亡事故は今まで3件しか報告されていない。統計としては総数が足りないが、地球における航空機事故の確率より低いのではないか。

 

 火星永住が始まって十数年がたっている、しかし人間は地球から完全に離れて暮らすことは難しいようだ。どれほど宇宙にあこがれた冒険者でも、人生の終わりは地球で迎えたいと思うものだ。火星の移住者には強烈な忍耐力が要求される、どんなに地球に戻りたいと思っても、戻ることは難しい。火星と月(地球圏)との輸送船は無人運航だ。ごくまれに移住者を乗せた有人輸送船を使う。輸送船は人類最速の乗り物で火星まで約二か月の飛行だ、燃料効率上これ以上の高速は現実的ではない。外惑星へ向かう無人探査機は、はるかに高速だ。通り過ぎる惑星の重力を利用し無料のエネルギーをいただく、いわゆるスイングバイが使える。100年前でさえ太陽系を離脱した探査機がある。

 人類最初の軌道エレベーターは月に建設された。月は重力が小さく大気もなく気象の影響もない、軌道エレベーターの建設にはもってこいだ。軌道エレベーターを使うことにより月の軌道上から離発着する輸送船は、燃料をより節約しての高速運航が可能となった。今は火星にも軌道エレベーターを建設する予定だ。火星の大気は薄いが猛烈な砂嵐がある。砂嵐の影響を極力避けられる建設場所を探しているが、まだ解決されていない。もし火星の軌道エレベーターが完成すれば、さらに輸送船の効率運航ができるだろう。


 火星には地球を思わせる風景がある。朝焼けの砂漠のような風景だが、それはとても心を和ませてくれる。夏の天気の良い日、短時間であれば簡単な呼吸マスクをつけただけで、“火星ウインド”する(外に出て肌で火星の風を感じる)ことが流行っている。“火星ウインド”は、無謀な若者の悪乗りから始まった。エアロック修理にうんざりした若者が、“装備をつけず、火星外気中でどれだけ我慢できるか”と、馬鹿な挑戦をしたのだ。“おまえ、どれだけ外にいられる/俺だったら3分はいける/なに馬鹿なこと言ってるんだ/じゃあ試してみるか?”、こんな感じだ。見てきたようなことを言うなと思うかもしれないが、私自身もその場にいた一人だ。いつでも若者はクレイジーだ。

 まだまだ火星移住計画は順調には進んでいない。火星移住を決断した冒険者でさえ、火星で子どもを持つことにはためらいがある。私もある意味では冒険を求め宇宙に来た、ためらうことなく。そして不運にも火星を通り過ぎる速度で放り出された。やがて地球から最も遠くまでやってきた人間の一人となることだろう。こうして、ゆっくりだが確実な死を前にして、もう一度だけ地球を見たいと思う。しかし今この星々の中から地球を見つけることは難しい。この後、死を迎えた後、私はどうなるのだろうか永遠に宇宙を漂うのだろうか?魂があるなら数十年後、数十万年後、数億年後、地球は、太陽系はどうなっているだろうか。


 宇宙空間にも分子やチリが存在する。長い時間がたてば体もぼろぼろになるのだろうか、あるいは分子やチリが凍り付き氷の塊となってさ迷うのだろうか。永遠の時間があるのなら、高度な科学技術を持ったエイリアンと出会い、命が再生される可能性はあるのだろうか?夢物語だ。静かに目を開けると回転する宇宙があるだけだ。せいぜい今のうちに最後のメッセージを発信するか、あるいは録音すべきだろう。いつか誰かの耳に届くかもしれない。創造主がいるとすれば、どうして光の速さをこんなに遅く設定したのか、宇宙の広大さに比べ光の速さは遅すぎる。人生は短すぎる。私が発信したメッセージが地球圏に届くまで約5分かかる、会話は難しい。電話口で気長に返事を待つしかない。他の恒星圏となると数光年、数億光年単位の時間がかかる。これでは、もし地球以外に知的生命がいたとしても交信は不可能だ。創造主は隠したいことがあるのか?知性どうしのコミュニケーションを望まないのか?もし光速が限りなく速ければ、私の悲劇的状況を“スペースチューバー”として全宇宙へ発信できるだろう。最後の瞬間まで愛する人と会話ができるかもしれない。もっとも愛する人がいればこんなところまでやって来ていないだろう。ただせめて“和解の一言”くらいは?センチメンタルな考えはよそう。

 “ボディーセル”にはアナログ近距離通信しか装備していない。アナログ信号よりデジタル信号のほうが、メッセージを遠くまで届けるのには有利だ。モールス信号の“トン、ツー”を“1と0”に変換すればか簡易的なデジタル信号に変換することができる。幸い私はかつてモールス信号を習った。父には理解できなかっただろうが、太平洋航海の冒険へ出ることを知った祖父が、“いざというときにモールス信号が最後の通信手段となる”と教えてくれた(航海士であれば当然だろうが)。私は事故状況を簡潔にデジタルモールス信号で自動送信できるようにセットした。こうしておけば、バッテリーが続く限り信号を発信できる。これ以上なにもできることはない。

 今では宇宙空間を漂っている自分が、牢獄にいるように感じる。周りの星々の距離感は果てしなく遠い。意識が低下していく、エアーに鎮静剤が注入された。血圧、心拍などのデータに異常がある場合、興奮を抑えるためのセーフ機能だ。しばらくの間、眠りにつこう。そして“海”の夢を見た。


 セルヨットの隣にクジラがいる。海の中ではクジラのほうが人間よりはるかに優れた存在といえる。もし今、巨大な台風に襲われれば、私が生き残る可能性はかなり低いが、クジラの能力をもってすれば難なく切り抜けられるだろう。クジラはセルヨットの動きに並走し、静かに聞き耳を立てている。音による探査能力エコロケーションは非常に優れている。特に海の中では、視力より聴力に頼るほうが遠くまで見渡せる。クジラの聴覚であれば太平洋全体を見渡せるほどだ。しかし音の伝達速度は光より遅い、太平洋全体を見渡すには時間がかかる。これは我々人類が光により宇宙を見渡しているのと類似している。もし、宇宙にも我々の理解を超える優れた存在がいるとすれば、我々の認知できない超越した目で宇宙全体を瞬時に見渡しているだろう。今、私が瀕している、このような危機的状態からの救済は可能かもしれない。その彼、もしくは彼女が私の存在を理解してくれるのであれば。


 私は“海”の中に落ちた、潮流に押し流され静かに沈んだ。巨大な“くじら”が現れた。“くじら”はエコロケーションで私を捕らえると。ゆっくりとうねりながら近づいてくる。私はその前を通り過ぎた。大きな“目のような音”に見つめられた。目が合った瞬間、私は、はっとして目を覚ました。その時、私の心の中を何か巨大な素粒子の群れのようなものが、音波のように通り抜けてゆくのを感じた。そして偉大なる霊感の一部に触れたように心を打たれ、癒されてゆくのを感じた。

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