第2話

「はい、ゲームセット!お前まだまだ弱っちいな」


「ゆう君、もう一試合しよ」


コントローラーを置いた雄大に、タカヒロは再戦を申し込むのだが、聞き入れて貰えなかった。


「あんまりゲームばかりしてると、ママに没収されるぞ」


雄大はテレビのリモコンを掴むと、チャンネルボタンを押す。何か面白い番組はやっていないかとチャンネルを切り替えていると、ナイター中継が目に入った。東京ドームでの巨人阪神戦だ。


「伝統の一戦やってるで。これでも観るか」


雄大はタカヒロに聞いたが、タカヒロの反応は鈍かった。


「カープの試合じゃないと、つまんないよ」


タカヒロはそう言って、テレビの画面からわざと目を逸らす。はぶてれば他の番組に変えてもらえると思っているのだろう、雄大には弟の腹の内は見えていた。


「長崎やったら巨人戦しか放送せんのやから、我慢するしかないわな」


雄大がテレビのリモコンを置いた。どうやら今晩はこのチャンネルを観ることに決定したのだ。兄弟の間でのチャンネル主導権は兄にあると、暗黙の了解で決まっている。タカヒロはすっかり塞ぎ込んでしまった。


「たまに他球場の試合経過が流れるから、その時カープの試合も確認できるで」


雄大がそう言うと、タカヒロは少しだけ顔を上げた。(こいつはほんとにカープが好きなんだな)雄大はタカヒロを見て思うのだった。タカヒロに野球を教えたのは雄大である。カープファンの雄大の影響もあって、物心つく頃にはタカヒロもカープを応援していた。今では弟の方がカープに対する熱量は強いかもしれない、雄大はそれを感じて嬉しく思ったりもする。


「お風呂沸いたから、先に入っておいで」


真由美が兄弟の背中に投げかける。時刻は八時を回ったところ、そろそろ敦も帰ってくる頃だ。雄大が立ち上がってお風呂場の方に向かうと、タカヒロも兄の背中を追いかけていく。たまに喧嘩もする兄弟だが、何だかんだタカヒロはお兄ちゃんのことが好きらしい、真由美は兄弟の姿を微笑ましく見ていた。


「お前そろそろ一人で風呂入れよ」


雄大が服を脱いでいたところ、タカヒロが脱衣場に侵入してきた。あっという間にすっぽんぽんになったタカヒロは、兄の横をすり抜け風呂場へと入る。こうなったら雄大も戻れとは言えない。タカヒロが一緒だと、心安らぐ入浴タイムは味わえないな。やれやれと思いながら、雄大も風呂場に入るのだった。


雄大が体を洗っている横で、浴槽の中のタカヒロはパシャパシャと水を弾いている。


「俺が体を洗い終わったら、その中から出てくれよな」


雄大はタオルで体を擦りながらそう頼むのだが、弟は聞く耳を持たない。タカヒロのこういう素直でないところが、兄弟げんかの火種になるのだった。しかし、雄大もこんな場所で争いごとをするのは避けたい。かと言って、この狭い浴槽に兄弟一緒に浸かるのもごめんだ。どうすればいいのかと、雄大は頭を悩ませる。その時、「コンコン」と風呂場の小窓が外からノックされた。


「あっ、パパ帰ってきた」


タカヒロが嬉しそうに声を上げる。風呂場の小窓は玄関横に位置しているため、そこから明かりが漏れていると、敦はただいまの合図をしてから家に入るのだった。


「タカヒロ、パパにお帰りなさいって言いにいったら?」


雄大がそう言うと、タカヒロは勢いよく浴槽から上がり風呂場を出ていった。まったく、素直なのかそうでないのか、雄大は一人になった風呂場で、またしてもやれやれと思うのだった。


「おかえりー」


髪の毛が乾かないうちにタカヒロは父のもとへタッタと駆け寄る。息子のお出迎えに、この時ばかりは敦も、仕事の疲れを忘れるのであった。


「何だその恰好、服も着ないで。出迎えてくれるのは嬉しいけど、まずは服を着てきなさい」


「あら、そうだった。着替えの準備していなかったわね」


真由美が慌てて着替えを取りに行く。タカヒロは待っている間、身を包んでいたタオルをコウモリのマントのように広げて、父に裸を見せびらかしていた。敦もそんな愉快な恰好を見せられては、笑みを溢さずにはいられない。


「タカヒロ、それやるの家の中だけにしとくんで」


息子の今後のことも考えて、敦はそう言うのであった。


テーブルに真由美と敦が向かい合って腰掛け、夕食を食べ進めている。タカヒロは両親の視界に入る位置に座り込んで、テレビのバラエティー番組を観ていた。いや、観ているというよりは眺めているだけかもしれない。タカヒロはテレビの内容よりも、食卓に座る両親の談笑の方に意識がいっていた。タカヒロは、両親が話している話題についていける年齢ではない。ただ、二人が楽しそうに会話するのを聞いているだけで、タカヒロは幸せな気分になれるのだった。


「そろそろタカヒロを寝かす時間じゃないのか」


「そうね、お布団の準備しないと」


真由美は立ち上がると、タカヒロに歯を磨いてくるよう促す。タカヒロはまだ二人のそばにいたかったのだが、小学生は九時に寝ないといけない、そう叩き込まれている。父におやすみを言って、リビングを出て行った。成田一家が暮らすのは、平屋の賃貸住宅。両親とタカヒロは一緒の部屋で寝起きしている。


「ママとパパも早く来てね」


タカヒロは母にそう言ってから布団に入るのだが、両親が来る頃には、すでに夢の中にいることがほとんどだ。

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AM1350 片桐街 @machi_katagiri

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