第3話 バイト先の同僚にアプローチ―好意の返報性狙い
木造調のカウンターと、ほんのり甘いコーヒーの香りが漂うカフェで、星野凌は新人スタッフとして働き始めた。
大学の帰り道にも通いやすい場所にあり、スタッフは皆若い学生中心。
その中でも一際明るい笑顔を振りまく木村結衣に、凌は早くも目を奪われていた。
「星野くん、ホールは慣れた?
今日忙しいから、ドリンクの補充手伝ってくれる?」
結衣が笑顔で話しかけると、凌は反射的に「もちろん」と返事する。
大きな声での接客が苦手な自分とは正反対の、誰とでも楽しくやりとりする彼女の姿が眩しい。
凌はさっそく好意の返報性を狙う作戦をひらめいた。
「まずは彼女に親切にして好印象を与えれば、いつか僕に特別な思いを抱いてくれるかも」と、心の中で都合よく計算をする。
レジが落ち着いたタイミングを見計らい、コンビニで買った新作スイーツを差し入れに持ってきた。
「いつも大変そうだから、よかったら食べて。
甘いの好きって聞いたし」
そう言いながら包装をそっと手渡すと、結衣は少し目を丸くする。
「え、うれしい。
ありがと~!
甘いもの大好きだから助かる」
その時の彼女の笑顔が、凌の心を一気に弾ませる。
さっそく好意の返報性の第一段階に成功したと、鼻息を荒くする。
しかし翌日、結衣は気遣いのつもりなのか、小さなお菓子を持ってきた。
「昨日のお礼だよ。
差し入れありがとね」
軽いノリでお返しを受け取った凌だったが、心の中では少し違和感を覚える。
「え、僕はただの好意で渡しただけなのに。
これじゃあ、返礼品をもらうためにやってるみたいに見えないかな」
それでも「好意の返報性」は維持すべきだと考えた凌は、新しい作戦を立てた。
何かと細かい仕事をすすんで買って出ることで、結衣に好意的な印象を与えようとする。
例えばドリンクカウンターの清掃や、閉店後のレジ締め作業も、率先して手伝ってみせる。
「うわ、本当に助かる!
ありがとう、星野くん」
結衣は素直に礼を言うものの、そのたびに「今度お礼するね」と、決まり文句のような言葉を添えてくる。
「好意の返報性を働かせたいはずなのに、なんだか彼女に気を遣わせてるだけじゃないか?」
凌はモヤモヤしながらエプロンを外し、休憩室へ向かった。
そこでスマホを見ると、幼馴染の槙村彩花からLINEが入っている。
“バイトどう?
変なテクニックばっかり使ってないといいけど”
小さく苦笑いしながら返事を打ち込む。
“まだ大丈夫。
だけど、ちょっと違う方向に進んでる気もする”
彩花はすぐに既読をつけて返信を寄こした。
“あんた、好意は対等にやりとりしないと変な負担になっちゃうよ。
一方的に与えるだけって、本当に相手のこと考えてる?”
「対等…か」
口に出してつぶやきながら、凌は先ほど結衣が見せた少しばかり戸惑ったような笑顔を思い出す。
自分が意図したわけではないが、結衣が“お礼をしなきゃいけない”と負担に思っているとしたら、この関係は望んでいるものとは違う。
それでも「好かれたい」「好意の返報性を発動させたい」という下心が優先してしまうのが、今の凌の弱いところだ。
翌日もバイト先に出ると、結衣はカウンター越しに手を振ってくれる。
いつも通りに元気で明るい声が響くが、その奥にある微妙な距離感を凌は少し気にしていた。
ホールに立ちながらドリンクを運んでいると、結衣がふとこちらに近づいて話しかける。
「星野くんって、これからもずっとバイト続けるの?
もっと楽なバイト選びそうなのにさ」
「うん。
ここ居心地いいし、結衣さん…あ、いや、先輩もいるから」
言葉を詰まらせながらも、本音を言いかけてごまかす凌。
そんな様子を見た結衣は、くすっと笑ってから目を伏せるように瞬きをした。
「そっか、私は人と話すの好きだから続けてるけど…星野くんも、もっと気楽にしていいんだよ」
柔らかい口調に、凌は胸の奥が少しうずくような感触を覚える。
休憩時間に入ると、凌は再び彩花にメッセージを送ってみる。
“なんか彼女に負担をかけてる気がするんだけど、ちゃんと伝わってないのかな”
すると彩花からはすぐ返事が返ってくる。
“自分がやりたいからやってるのか、相手のためにやってるのか、ちゃんと考えたら?
テクニック頼りにすると、一方通行になるよ”
凌は画面を閉じてから、改めて結衣の様子を思い返した。
彼女はいつも感謝の言葉をくれるけど、それを返そうとする度合いのほうが大きくなっているような気もする。
それはもしかすると、自分の接し方に問題があるのかもしれない。
「対等でいたいって気持ち、わかってあげなきゃな」
小さくつぶやいた瞬間、結衣が休憩室に入ってきた。
「おつかれさま。
今日すごく忙しかったね。
あ、そうだ…今度のシフト終わったあと、みんなでご飯行こうって計画してるんだけど来る?」
彼女は髪を結い直しながら、ふわりとした笑顔で誘ってくる。
凌は一瞬「個人的に二人で…」と言いかけるが、それはまだ早いと思い直し、素直にうなずいた。
「ぜひ行きます。
こういうの、あんまり経験ないから嬉しいです」
その返事を聞いて、結衣は何かほっとしたような表情を浮かべる。
「よかった。
星野くん、いつも気を使ってくれてるから、こっちも一緒に楽しめたらいいなって思ってたんだ」
言われてみれば、結衣の声にはほんのり安堵が混じっている。
凌はその微妙な変化を初めてはっきり感じとり、少しだけ胸が熱くなった。
一方で、今まで自分がやってきた“作戦”が、対等な関係を遠ざけていたのではないかという疑問が頭をよぎる。
「好意の返報性って、ただのテクニックとして使うんじゃなくて、ちゃんと相手と同じ目線で与え合うことが大切なのかも」
ささやかながら、そんな気づきがふと生まれていた。
バイト終わり、カフェのドアを出ると涼しい夜風が頬を撫でる。
いつもは見慣れない街の灯りが、少しだけ綺麗に見えるような気がした。
凌はスマホを取り出して彩花に短いメッセージを送る。
“ありがとう。
もうちょい肩の力を抜いてみるよ。
そっちこそ、ちゃんとご飯食べてる?”
返事はまだ来ないが、彼女なら呆れ半分で応援してくれているだろう。
お気に入りのヘッドホンを首にかけ、明日のシフトも頑張ろうと心に決める。
今はまだ答えを出せないけれど、好意の返報性をどう扱うべきか、ようやく自分の中で問いを立てはじめたところだ。
このまま少しずつでも結衣に近づけたらいい。
そう願いながら、凌は夜の街を歩き出した。
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