第2話 サークル勧誘と単純接触効果の大誤算

キャンパス中央に設置されたサークルブースが立ち並ぶ一角で、星野凌は足早に歩き回っていた。

心理学系のサークルを見つけるやいなや、張り紙に貼られた部員募集の文字に食いつく。

「ここだ。

絶対ここに入れば、単純接触効果で先輩とも仲良くなれるはず」

熱っぽくつぶやきながら、ブースの前に立つ女性に視線を送る。


目を引く長い黒髪を、淡い色合いのカーディガンがほんのり引き立てている。

橘真奈美と名札の端に書かれた文字を見つけると、凌は一気にテンションを上げた。

大学二年生らしい落ち着いた空気をまとい、何事にも動じなさそうな横顔がクールビューティそのものだ。

「えっと…心理学サークルの勧誘、されてますか。

自分、一年の星野凌っていいます」

いざ声をかけてみると、真奈美は少しだけ目を伏せて淡々と答えた。


「はい。

サークルに興味があるなら、説明しますけど…」

その声音には、愛想らしいものがほとんど感じられない。

それでも凌は、「第一印象が大事」という学んだばかりの心理学の常識を何とか活かそうと、わざとらしく明るい笑顔を作る。

「めちゃくちゃ興味あります。

心理学の知識を実践する場が欲しくて、ぜひ先輩たちのお話も聞いてみたいんです」


うまくいったと思いながら話す凌に対し、真奈美は微妙に言葉を濁すように手元のパンフレットを見せた。

「活動内容はこの通り。

講義のサポートや研究会が中心ですね」

すると凌は勢いづいて、持ち前の行動力を発揮しようと手を伸ばす。

「あ、僕もいろんな心理テクニック知ってるんですよ。

単純接触効果に好意の返報性、あとフット・イン・ザ・ドアやローボールテクニックなんかも…」

笑みを浮かべて自慢げに語っていると、真奈美の表情が曇ったように見えた。


「そうなんですね。

でも、あまり“テクニック”ばかり披露されると、ちょっと引いちゃう人もいるかもしれませんよ」

静かに言い放った真奈美の声は、冷たいわけではないがどうにも距離を感じる。

「ごめんなさい。

次の新入生にも説明しなきゃいけないので」

そう言って手のパンフレットを差し出すと、彼女は早々にブースの奥へ戻っていった。


振られたわけではない。

しかし第一印象で変なやつだと思われてしまった手応えが、凌の胸に重くのしかかる。

「やっちまった…」

短くつぶやきながら振り返ると、いつの間にか後ろにいた槙村彩花が息をついていた。

「だから言ったでしょ。

最初の印象が大事なんだから、いきなりテクニックうんぬん言うと警戒されるよ」

彩花は呆れまじりの視線を凌に注ぎ、薄く笑う。


「でも、単純接触効果って何度も会えば好感度が高まるんだろ。

だったら今後サークルに通い詰めれば、真奈美先輩とも距離縮まるはず」

凌は何とかポジティブに考えようとして、ブース近くの椅子を見つけると腰かけた。

「あんたはいつもそうやって、確証バイアスばかり働かせるよね。

“うまくいく”って思い込みたくて、都合のいい情報だけ拾ってるんじゃないの」

彩花が指摘すると、凌はスマホを取り出しながら苦笑いを浮かべる。


「確証バイアス、か。

まあ、確かに理論を習ったばかりだから舞い上がってるかも。

でも、次はもうちょっと自然に近づくって決めたよ。

あのクールビューティ先輩がどうやって笑うのか、見てみたいしさ」

そう言ってスマホのメモ画面を開き、次の作戦プランを書きつける。

彩花はちらりとその画面をのぞいて眉をひそめた。


「また計画?

“ミラーリングで相手の仕草をまねる”とか“観察学習を逆手に取る”とか、いろいろ書いてるけどさ…そこまで理詰めで動くと引かれるって。

第一印象をやり直すには時間もかかるし、単純接触効果って元々は好意的な雰囲気を前提にしてる場合が多いよ」

彩花は意外と心理学の知識に明るい。

凌が高校時代にハマった心理本を読むたびに、彼女も一緒にページをめくっていたからだ。


「そんなの、これから巻き返せばいいんだって。

とにかく先輩と会う回数を増やして、少しずつでも印象を上書きしてもらうしかない」

凌はスマホをしまうと立ち上がって、もう一度サークルブースの方へ視線を投げた。

「あの先輩、なんか冷たいと思ったけど…いや、きっとクールなだけで根は優しいんだよ。

単純接触効果で俺を見直してくれるはず」


呆れつつも少し笑った彩花は、自分のスマホを開いて操作しはじめる。

「じゃあ、そのうち返事ちょうだいよ。

LINE送ったから」

画面には彩花からの短いメッセージが届いている。

“もうちょっと普通に行きなよ。

第一印象が肝心。

それを忘れないで”


「わざわざLINEで釘刺さなくてもいいじゃん」

凌は苦笑いしながらスマホをしまい、再び真奈美の姿を探そうと視線を巡らせた。

しかし、いつの間にかサークルブースには他の新入生が集まり、彼女の姿は見当たらない。

目につくのは先輩部員らしき数名だけで、どこか規律正しそうな雰囲気が流れている。


「会えないならしょうがないな。

また明日来てみるか。

単純接触効果は継続が大事だからな」

そうつぶやいて歩き始める凌に、彩花は諦め半分の表情を向けた。

「ま、頑張りなよ。

でもしつこくしすぎたら、嫌悪感が倍増することもあるから。

“接触”の量だけが答えじゃないって理解できてる?」


軽く首をかしげて問いかける彼女に、凌は言葉を濁しながら小さく笑う。

「う、うん…気をつける。

やり方考えながら、うまくタイミング測るつもり」

その足取りにはまだ空回りの予感が残っているが、今のところは気づいていないらしい。

サークル勧誘の喧騒のなか、彼は単純接触効果による巻き返しを信じて意気込んでいる。

果たしてその道のりが容易なものかどうかは、自分でもまだ分からない。


夕方になり、ブースがたたまれる頃に彩花は軽く伸びをした。

「そろそろ帰ろう。

あんたは下調べに忙しそうだけど、くれぐれも相手の気持ちを無視しないようにね」

淡々とした助言を最後に、彼女は鞄を肩にかけて歩き出す。

凌は少し物足りなさを感じながらも、またあの先輩に会うチャンスを想像している。

「たくさん話して、見直してもらうぞ」

小さく決意を言い聞かせてから、夕暮れの校舎を振り返り、帰り道へと足を進めた。

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