夏と禍

『ギターのメンテ完了。着々と準備を整えてます。オンラインライブまであと二週間!』

 送信ボタンをクリックすると、私の文章がタイムラインに表示される。文章の下に置かれたハートマークの数字が瞬く間に増えていき、数秒で二桁に達した。

 たった一人で防音室にいても私の言葉は誰かに届いている。それだけで少し安心できた。

 メンテナンスを終えたばかりのギターを手に取ってコードを押さえる。難しいコードだ。何度も繰り返し押さえていたせいで指先が少し痺れている。

 私は再来週のライブに向けて新曲を作っていた。

 ライブといえばサプライズ新曲だろう。みんな喜んでくれるかな。

 変に響いた音を壁のクッション材が吸い込んだ。私のミスは外には漏れず、存分に練習できる。この部屋を用意してくれた羽住さんには感謝しかなかった。

「私、歌いたいです」

 去年の花火大会の翌日、私は羽住さんに申し出た。

 元々音楽は好きで自宅療養中は家でギターを触っていたから少しは演奏できる。というより、私にはそれしか残されていなかった。

「うん。わかった」

 羽住さんがそう答えた一週間後「お待たせ」という言葉とともに案内されたのがこの部屋だった。

 元々倉庫として使っていた部屋に防音材を貼り付けたものらしい。床にはいくつか大きな段ボール箱が残っており、奥には長机とパイプ椅子がひとつずつ置かれている。

「この部屋自由に使っていいよ。大声で歌ってもいいし楽器を演奏してもいい。ただし検査の時間と消灯時間は守ること。ナースコールはあそこにあるから何かあったらすぐ呼んでね」

 羽住さんの説明は私の耳にほとんど入ってこなかった。私一人のために防音室を用意してくれるとは思ってもみなかったからだ。

 私の驚きを察したのか「院長から伝言だけど」と羽住さんはこちらを向く。

「誕生日おめでとうだって」

「私、春生まれなんですけど」

「そうだったっけ」

 とぼけるように笑った羽住さんに感謝しつつ『ここってパソコン繋がりますか。あとマイクとかあれば借りたいです』と追い討ちをかけたのがその一週間後。

『火曜日だけ消灯時間伸ばしてほしいんですけども』ととどめを刺したのがさらに一週間後のことだった。

 感情をあまり表に出さない彼女の顔が曇りはじめ、院長からの伝言が『もうムリ』になったのでそれ以上はやめておいた。十分すぎるくらいだ。

 同時に、きっと私の病気が完治することはないのだと悟った。

 この先長い病院生活を強いられることがわかっているから、病院側もここまで私の我儘を聞いてくれるのだろう。最悪だ。

「おかげでこの子が生まれたんだけどね」

 SNSのプロフィール画面に表示されたアイコンを見る。円形に切り取られたトーカは今日も笑顔だ。

 一年前、動画投稿サイトに『トーカの歌チャンネル』を開設した。

 ただ歌うだけじゃ意味がない。誰もいない場所で花火を打ち上げたいわけじゃなかった。

 歌って、沸かせたいんだ。

 オリジナル曲の歌唱を中心に、時折カバー曲を交えたチャンネルは順調にフォロワー数を伸ばした。素人が始めたにしてはうまくいっているほうだと自負している。

「あれ?」

 プロフィール画面を眺めているとダイレクトメッセージが届いていることに気づいた。

 差出人は同じ音楽動画界隈のアカウントだ。私よりもずいぶん前に始めているベテランで、直接関わったことはまだなかった。

 何だろうと思いながらメッセージを開く。

『トーカちゃん、最近調子のってない?』

 初めの一文を目にして、私は息を呑んだ。

 唐突な隠す気のない攻撃性に理解が追いつかない。

 メッセージは続いている。吞みこんだ息を吐きだせないまま私はそれを目でなぞる。

『聞いたよ、ライブやるんだって? トーカ単独ライブだっけ。よくそんなこと言えるねえ。僕には無理だな。ここではもっと謙虚でいたほうがいいよ』

 寒い。延々と続く心ない言葉が雨となって私の体温を奪っていく。

 ここまでむき出しの悪意に触れたことがなかった。身体が揺れる。鼓動が速くなる。

『てかちゃんと学校行ってる? 学生だったよね? 平日の昼間もSNSで見かけるけど。大事だよ学校は。いろんなこと勉強しなきゃ。あ、もしかして音楽一本で食ってく気なのかな。いい夢だねw』

 視界はぼやけているのに文字ははっきりと読み取れてしまう。私は無意識に自分の喉に手をやっていた。

 息ができない。息がしたい。気持ち悪い。落ち着いて。息をしなきゃ。

 考えれば考えるほど空気を吐きだせなくなって、震える指でナースコールを押し込んだ。

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