第6話



「野蛮で文明も劣っている国に、か弱い瑛華が嫁げば倒れてしまう」

「お母様の言うとおり、あんな国へ嫁ぐなんてわたくしは耐えられない。噂だと王は毛むくじゃらの巨漢だというわ。おまけに肥満体型で腹の贅肉は膝まで垂れていて、常に脂汗が滲んでいるんですって! 想像しただけで気持ち悪い!! ……それから」

 瑛華は言葉にするのも憚られるというように口元に袖を当て、一段と声を潜める。


「おまえはレビレート婚を知っているかしら? あそこでは野蛮な風習が盛んに行われているのよ」

 聞き慣れない単語に莉珠が目を白黒させていたら、雹雪が教えてくれた。

「レビレート婚は夫の兄弟とも関係を持つ結婚を言う。つまり気に入らない花嫁は兄弟間で物の様に回されるの」

 男女の営みを知らないわけではない莉珠は顔色を失う。

 雹雪は憂いのある表情で瑛華を一瞥する。

「子には辛い思いをさせたくないというのが親心というもの。だから莉珠、瑛華の身代わりになりなさい。おまえの身体に傷一つ残さなかったのはこのためよ」

 雹雪のお陰で莉珠は柳暗宮と福寿宮の範囲を自由に歩けるようになった。

 もし彼女が引き取ってくれなければ、莉珠はあの廃れた柳暗宮で一生独りで過ごさなければならなかった。

 莉珠はこれまでの恩を返したいと思っている。だからこそ、雹雪の考えを危惧した。


「私はお姉様のように美しくありません。あちらの王様に身代わりだとバレたら国同士の問題に発展しかねます。災いを呼ぶ可能性だってありますから」

 蒼鹿王は、美しい公主を嫁にと要求してきた。それは瑛華のことで間違いない。

 瑛華が美姫であるという話は国内はもちろん、周辺諸国にまでその名を轟かせていると聞いたことがある。

 平凡な容姿の莉珠では瞬時に身代わりだと見抜かれてしまうし、雹雪の結界がないところへ行けば、たくさんの人が災いで不幸になってしまう。

「お父様の勅命を無視して勝手に私が嫁いだりしたら……」

 叱られて罰を受けるのは雹雪と瑛華だ。



 すると言葉の先を読んだ瑛華が口を開いた。

「心配無用よ。おまえの災いは後宮内だけの秘密だし、あちらへ行く前にお母様が術を掛けてくださるわ。そもそも、蒼鹿王はわたくしの顔を知らないのよ」

 公主が降嫁する際、事前に似顔絵を相手国へ送るのが通例となっている。ところが、酷冬が来る前に花嫁が欲しいとあちら側に要求されたため省かれた。

 また、蒼鹿王はを望んでいて、瑛華を指名したわけではない。表向きは瑛華として莉珠を降嫁させるが、万が一あちら側に莉珠だとバレても最悪言い逃れができる。

「おまえを身代わりにするようお父様に進言したら、大層お喜びになったわ。まあ、そうよね。ようやくおまえという厄介者をこの国から追い出せるんだもの」

 莉珠は頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。


 母が死んでから、父である皇帝と顔を合わせる機会は一度もなかった。周りの話を聞く限り、疎ましく思われているのを知っていたから。

 だが、改めて現実を突きつけられ、目の前が真っ暗になった。

 現実を受け止め切れずに呆然としていたら、莉珠の胸中を知ってか知らでか雹雪が口を開く。

「こたびの婚姻はあの国へ借りを返すためのものだが、もう一つ役割がある。それは王を懐柔してこちらに敵意を向けさせないことよ」

 要は北西の防衛力を低下させないために、蒼鹿国の手綱を握りたいという思惑があるようだ。莉珠は皇帝の意図を理解すると同時に、瑛華の思考を分析する。


 瑛華は何に対しても理想が高い。特に結婚相手には強いこだわりがあり、美丈夫な男でなければいけないだとか、細身で筋肉質がいいだとか日頃から口にしていた。

 先ほどの話だと蒼鹿王は瑛華の理想とはかけ離れた容姿をしている。政略結婚を命じられても、瑛華が応じないのは当然である。

(私が身代わりになれば、すべてがうまくいくのね)

 お膳立ては整っている。後は莉珠が蒼鹿国へ向かえば良いだけのようだ。

 残る不安は、嫁いだ後で蒼鹿王の手綱をしっかり握れるかどうかだが。


「兄弟で女を楽しむような知能の低い野蛮な国の王なら、おまえでも容易く懐柔できるだろう。だって身の程をわきまえないおまえの母親は、陛下に取り入るのが上手だったんだもの。その娘ならこれくらい簡単よ」

 蛙の子は所詮蛙だと雹雪は莉珠を嘲る。

 雹雪はああ言うが、年頃の男性と関わりを持った経験がない莉珠は、実際自分がどうなるか分からなかった。

 それよりも蕎嬪の悪口を言われて悲しくなった。母はそんな人ではないと反論したい。だが、言葉が喉に引っ掛かって言い返せない。

 黙り込んでいたら、雹雪が長い爪の生えた人差し指で莉珠の胸をトンと突いた。


「最後に術を掛けなくてはいけない。あちらで災いを振りまかれては、おまえが瑛華でないとバレてしまう」

 雹雪は緩慢な動作で懐から小物入れを取り出し、中から一本の赤みを帯びた黒針を摘まんだ。莉珠の隣に腰を下ろし、見せつけるように針をひらひらと動かす。

「これは邪針じゃばりと言って、こなたの一族の女子に伝わる秘術。針には結界と同じ辟邪へきじゃの念を込めてある。これをおまえの体内に打ち込んでおくことで、災いを退けるの」

 説明を終えた雹雪は、もう一方の手を莉珠の前に差し出した。

「さあ、腕をお出し」

 莉珠は服を捲って細い右腕を出す。


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