第4話
瑛華たちが居なくなった後、莉珠は雹雪に言いつけられた大量の繕い物をこなしていた。
窓の外へ顔を向けてみたら、とっくに日は沈んでいた。無事に仕事は済んだがこの時間では夕食にはありつけそうにない。
「あのう」
「……ひゃっ!?」
突然声がして頭を動かしたら、戸口の前で人が立っていた。
莉珠は顔を赤くして首を縮める。
「あ、気づかなくて、ごめんなさい。えっと……」
「
宮女の格好をした、二つの
涼しい目元の彼女は全体的に中性的な顔立ちをしていて背も高い。もともと背の低い莉珠が立つと見上げる格好になった。
「机の上にたたんであるものですべてよ。どうぞ、持っていって」
「承知しました」
瑩瑩は机の上に置かれた衣類の山を見て一瞬片眉を動かすも、すぐ真顔になって盆にそれらをのせた。莉珠がその様子を眺めていたら、お腹の虫が室内に鳴り響いた。慌ててくるりと背中を向けてお腹を押さえる。
「公主」
恥ずかしくて俯いていたら、名前を呼ばれた。
まだ顔の熱は取れていない。しかしこのまま顔を向けないのも失礼だと思い、莉珠は勇気を出して顔を上げる。
すると、目の前に何かが包まれた布が差し出された。
「良かったらどうぞ」
受け取ってはらりと布を開けば、中には月餅が二つある。香ばしい香りのする分厚いそれは、中に蓮の実や胡桃の餡がたっぷり詰まっていそうだ。
「あ、ありがとう」
彼女の心遣いに感謝を述べ、莉珠は月餅を懐にしまった。
そこでふと、今朝のできごとを思い出す。
「もしかして厨房に
恐る恐る尋ねたら、瑩瑩は小さく頷いて周りに人気がないのを確認してから声を潜めた。
「この一週間、瑛華公主の嫌がらせで夕食抜きにされていたでしょう? 私の夕食に出ていた包子をこっそり厨房に置いておきました」
「そうだったのね。とても助かったわ、ありがとう。あの包子がなければ今頃もっとお腹が空いて力が出なかっただろうから」
莉珠が再度お礼を言ったら、瑩瑩が耐えかねたように表情を歪めた。
「公主は不当な扱いを受けているのに、何故怒らないのですか?」
「怒る? 怒るって何を?」
莉珠はぱちぱちと瞬きをしてから小首を傾げ、疑問を疑問で返した。
その様子に困惑する瑩瑩は焦れた様子で言う。
「だって、だってそうじゃないですか! あなたがいくら災いを呼ぶと噂の公主だったとしても、酷い扱いを受けていい訳がありません。淑妃や瑛華公主から折檻されているとも聞きました。あなたは皇帝の娘です。こんなのおかしいです。害されて良いはずがありません!!」
声を荒らげる瑩瑩は根が真面目なのだろう。
莉珠への不当な扱いに怒り、下唇を噛み締めている。一方で、莉珠はばつの悪い顔した。
「不当だなんて。私が災いを呼ぶ身の上だから仕方がないことなの。淑妃様のお力がなければ、永遠に柳暗宮から出られず独りだった。二人には感謝しているわ」
雹雪は莉珠に自由を与えてくれた恩人。負の感情をぶつけてはくるが曲がりなりにも莉珠に価値を見出してくれている。
柳暗宮で孤独に過ごす方がよっぽどぞっとする。動物たちが会いに来てくれているにせよ、人との触れ合いには飢えている。
(お母様が元気だった頃は、周りにたくさん人がいて賑やかだったわ。それに憂炎お兄様にも何度か遊んでもらった)
母の顔も憂炎の顔も朧ろ気になっているけれど、楽しくて幸せだった気持ちだけは忘れていない。
あの頃のような幸せを望めないのは分かっている。それでも誰かと関わって小さな幸せを感じたいのだ。
だから関わりを作ってくれている二人に感謝しなくてはいけない。莉珠は心の底からそう思っている。
端から見れば歪な関係だろう。しかし、莉珠にとって二人は人との繋がりを持つための最後の砦。これからも莉珠は誠心誠意尽くしていく。
背の高い瑩瑩は莉珠と同じ目線になるように膝を曲げる。
「二人に感謝する必要はありません。あなたは公主で下女ではありません。大切に扱われるべきです。そして、もっと自分を尊重してください」
「自分を尊重? だけど私は……」
言われた言葉が理解できず、莉珠は面食らう。
災いを呼ぶ赤眼のせいで母は不治の病で死に、乳母や女官たちも立て続けに死んでいった。その存在自体が罪だと言い聞かされてきた莉珠には、瑩瑩の訴えなど微塵も心に響かなかった。
他人に災いを振りまく赤眼の自分は、疎まれて然るべき存在だと信じて疑わない。
「私は現状に満足しているわ。これ以上、何かを強請るなんて天罰が下ってしまう」
「そんなことありません。だって淑妃は……」
莉珠は瑩瑩の言葉を手で制し、口を開く。
「あなたは他の人たちと違って、私を想ってくれるのね。とても嬉しいし、ありがたいわ。だけど誰かが不幸になってしまうくらいなら、私はこのままの方が良い」
莉珠の声音には、有無を言わさない響きがあった。
ぐっと唇を噛みしめる瑩瑩は顔を伏せ、莉珠から離れる。続いて盆を手に取ると頭を下げた。
「失礼します」
瑩瑩は足早に部屋から出ていってしまった。
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